文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
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書評:山月記

2016-11-25 10:23:05 | 書評:小説(SF/ファンタジー)
山月記
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・中島敦

 「文豪ストレイドッグス」(原作:朝霧カフカ・作画:春河35)という深夜アニメがある。文豪の名を持った登場人物が、文豪たちの作品に由来した異能力を使って戦いを繰り広げるというものだ。それに出てくる主役キャラ、中島敦という名の少年の能力は虎に変身するというものである。

 私も文学読みではないので、中島敦という名前自体も知らなかったのだが、彼の短編小説である「山月記」が元になっているらしい。そこで、どんな作品か、ちょっと読んでみた。

 「山月記」は李徴という虎になってしまった男の話だ。才能に恵まれたていた李徴は、いったんは官吏になったものの、賤吏に甘んじることを潔しとせず、詩家として名を成したいと郷里に戻る。しかし世の中に入れられることはなく、ある日どこかに飛び出したまま帰ることはなかった。

 翌年、友人の袁傪が虎になった李徴と出会い、彼の身の上話を聞くというもの。李徴が虎になった理由は、以下のように語られる。

<人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。・・・(中略)・・・己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。>

 しかし、なぜ虎だったのだろうという疑問がわいてくる。どうして、猿やタヌキではなかったのか。中国では、虎は四聖獣に入るくらいの特別な動物だ。そして虎は、ライオンなどのように群れを作らない。つまり孤高の獣なのである。つまり李徴の心にある、自分はひとかどの人物であるという自尊心、そして孤高を好むような性格、それらが彼を虎に変えたのだろうと思う。

 つまり、羞恥心に近い臆病な自尊心であるとは言いながらも、自分は、猿やタヌキのようなモブ的存在ではない。やはり主役級なのだと思っていたに違いない。この作品を読んでいると、そんなつまらないことを考えてしまった。

☆☆☆

※本記事は、「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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