カルト脱出記: エホバの証人元信者が語る25年間の記録 (河出文庫) | |
クリエーター情報なし | |
河出書房新社 |
・佐藤典雅
本書は、東京ガールズコレクションを手掛けた著者が、どのようにエホバの証人の信者として育ち、どうして決別することになったかを描いた手記である。
外の人間が取材によって書いたようなものではなく、どっぷりと教団の中に浸かっていた人間が、自らの体験を元に書き上げたものなので、その分リアリティはある。しかし、教団をカルトと断じながらも、なんだかまだ愛着のようなものを持っているなと感じられるのは私の気のせいだろうか。
妻がまず洗脳されて信者になるケースが多いということは興味深い。これは、男女の特徴が反映されるのかなと思ったが、あまりここに突っ込むとまずいかもしれないので、やめておこう(笑)。そんな場合、夫の方はどうするのか。付き合いで信者になるか、それとも、とても一緒には暮らせないと離婚に至るかのどちらかのようだ。 離婚にまで発展した場合は、家庭は崩壊するし、どちらのケースでも一番被害を受けるのは子供たちである。なにしろ、教団活動を優先するために、大学など行かずに新聞配達でもやって生活していけと、母親から大真面目に言われるのだから。
もちろん、そんなことをしてまともな生活ができるはずがない。手に職もなく、学歴もなく気が付いたら歳だけとっているということになってしまうのだ。待っているのは極貧の生活。そうなるともう教団から足を抜くこともできなくなってしまう。
もっとも、宗教には多かれ少なかれカルト的な要素があるというのが私の見解だ。既存宗教も例外ではない。要は程度の問題だろう。この本で扱われているのはキリスト教系の話なのだでそこに限っていうと、聖書には多くの矛盾があるし、これまで積み重ねられてきた科学的な知見とも食い違っていることも事実だろう。それらを無視して、ただ信じろというのはどうなんだろう。
それなのに、議論はすべて、経典の中の聖句に基づいてやらねばならない。要するに経典の絶対化だ。かって、マルクス教が大流行りだったころ、多くの人が洗脳されていたが、これも議論はすべてマルクス教から見てどうかということだったらしい。聖典へ疑問を持つことは許されなかったのだ。考えてみると空恐ろしいことだが、かぶれていた人は大まじめだったのだろう。宗教もすべて、これに似たところがある。
私自身は、宗教には全く関心がないのだが、世の中には私が想像もできないような、こんな世界もあるのかということを知ることができ、勉強にはなった。しかし、あまり関わり合いになりたいとは思わない世界ではある。
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※初出は「風竜胆の書評」です。