こんばんわ。
今朝ほどに引き続き、20系寝台客車「あけぼの」「ゆうづる」の続きをお届けいたします。
今回は、いつもの悪質な画像に輪を掛けて悪質な構図・画質です。温かい目で見てやってください。
昭和51年頃 西川口~蕨間にて マニ20を使用した「ゆうづる」
上野に到着後、尾久に推進で引き上げた列車は機関車をつなぎ替え、東大宮操車場に回送されます。マニ20は20系初代の電源車で貴重な存在でしたが、生産量数も少なかったため、あまりお目に掛かることはできませんでした。ブレブレですみません・・・。
昭和51年頃 東大宮操車場にて 583系「ゆうづる」と並び一服中のカニ21「ゆうづる」
当時、特急列車街道であった東北・上信越筋では、尾久客車区の留置線だけでは容量が足りず、常磐線の特急・急行車輌であっても東大宮へやってきました。
上と同日 東大宮操車場にて 洗浄線に入る20系あけぼの編成
実は、20系で一番大好きな車輌がこのカニ22です。まだ上野駅といえども夜間出歩くことが許されなかった当時では、なかなか写真を撮ることもできませんでした。間近で見る同車は迫力満点。できれば、機関車が繋がっていなければ。でも高崎第二機関区のEF58と手を繋ぐ「あけぼの」はユニークですね。
自分では写真がほとんどないカニ22ですので、近年関水金属社からカニ22が発売されたときは本当にうれしかったですね。実車は、尾久客車区晩年の頃、「北陸」や「北星」に運用されることがありましたが、残念ながらキャッチできませんでした。もっと写真を撮りたかった型式でした。
今朝ほどに引き続き、20系寝台客車「あけぼの」「ゆうづる」の続きをお届けいたします。
今回は、いつもの悪質な画像に輪を掛けて悪質な構図・画質です。温かい目で見てやってください。
昭和51年頃 西川口~蕨間にて マニ20を使用した「ゆうづる」
上野に到着後、尾久に推進で引き上げた列車は機関車をつなぎ替え、東大宮操車場に回送されます。マニ20は20系初代の電源車で貴重な存在でしたが、生産量数も少なかったため、あまりお目に掛かることはできませんでした。ブレブレですみません・・・。
昭和51年頃 東大宮操車場にて 583系「ゆうづる」と並び一服中のカニ21「ゆうづる」
当時、特急列車街道であった東北・上信越筋では、尾久客車区の留置線だけでは容量が足りず、常磐線の特急・急行車輌であっても東大宮へやってきました。
上と同日 東大宮操車場にて 洗浄線に入る20系あけぼの編成
実は、20系で一番大好きな車輌がこのカニ22です。まだ上野駅といえども夜間出歩くことが許されなかった当時では、なかなか写真を撮ることもできませんでした。間近で見る同車は迫力満点。できれば、機関車が繋がっていなければ。でも高崎第二機関区のEF58と手を繋ぐ「あけぼの」はユニークですね。
自分では写真がほとんどないカニ22ですので、近年関水金属社からカニ22が発売されたときは本当にうれしかったですね。実車は、尾久客車区晩年の頃、「北陸」や「北星」に運用されることがありましたが、残念ながらキャッチできませんでした。もっと写真を撮りたかった型式でした。