マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

憧れの車輌たちVol21 (20系寝台:あけぼの・ゆうづるⅡ)

2007-04-08 22:20:55 | ブルートレイン:機関車・客車
こんばんわ。

今朝ほどに引き続き、20系寝台客車「あけぼの」「ゆうづる」の続きをお届けいたします。

今回は、いつもの悪質な画像に輪を掛けて悪質な構図・画質です。温かい目で見てやってください。


昭和51年頃 西川口~蕨間にて マニ20を使用した「ゆうづる」
上野に到着後、尾久に推進で引き上げた列車は機関車をつなぎ替え、東大宮操車場に回送されます。マニ20は20系初代の電源車で貴重な存在でしたが、生産量数も少なかったため、あまりお目に掛かることはできませんでした。ブレブレですみません・・・。


昭和51年頃 東大宮操車場にて 583系「ゆうづる」と並び一服中のカニ21「ゆうづる」
当時、特急列車街道であった東北・上信越筋では、尾久客車区の留置線だけでは容量が足りず、常磐線の特急・急行車輌であっても東大宮へやってきました。


上と同日 東大宮操車場にて 洗浄線に入る20系あけぼの編成
実は、20系で一番大好きな車輌がこのカニ22です。まだ上野駅といえども夜間出歩くことが許されなかった当時では、なかなか写真を撮ることもできませんでした。間近で見る同車は迫力満点。できれば、機関車が繋がっていなければ。でも高崎第二機関区のEF58と手を繋ぐ「あけぼの」はユニークですね。


自分では写真がほとんどないカニ22ですので、近年関水金属社からカニ22が発売されたときは本当にうれしかったですね。実車は、尾久客車区晩年の頃、「北陸」や「北星」に運用されることがありましたが、残念ながらキャッチできませんでした。もっと写真を撮りたかった型式でした。
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バスネタ 国際興業バス 全部いすゞキュービック2

2007-04-08 12:43:44 | バスの写真館
こんにちわ。

今朝ほどのトラブルでほとんど寝れていないのですが、昼寝をする前にアップいたしまうす。
今日は、昨日の国際興業キュービックバスの続きです。

撮影は、すべて平成18年11月4日です。

赤羽駅西口 9022 赤羽営業所所属 96年式


赤羽駅東口 9023 赤羽営業所所属 96年式


赤羽駅西口 9024 赤羽営業所所属 96年式


赤羽駅東口 9025 赤羽営業所所属 96年式
以上の4枚は、偶然にも連番となっていました。9025だけ塗装が新色に更新されているのが分かります。他の車輌も更新を受けて存続するのか、他の系列会社へ委譲されるのか、微妙な存在です。アイドリングストップのマーク(行先幕の左右)の付き方が4車ともバラバラなのがユーモラスです。


蕨駅東口 9097 鳩ヶ谷営業所所属 96年式
このバスは塗装更新済みです。


赤羽駅西口 3005 赤羽営業所所属 98年式
これは同じキュービックでもノンステップ車です。国際興業では30両が導入されましたが、31両目からは「エルガ」に変わってしまったため、同社の中では少数派となっています。

まだまだいすゞキュービックが多く存在する国際興業バスですが、確実にエルガやエルガミオが勢力を伸ばしており、これから3年くらいの間には相当な変化が見られるのではないかと思われます。
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憧れの車輌たちVol20 (20系寝台:あけぼの・ゆうづる)

2007-04-08 04:38:38 | ブルートレイン:機関車・客車
お待たせいたしましたぁ~。
本当に参りました。以前にもインターネットが繋がらなかったことがあったのですが、モデムをリセットしたら簡単に復旧したんですよね。今回はパソコン側の接続設定に問題があったようですが、結局何が問題だったのかわかりませんでした。この辺に弱いのはチョット辛いところです。

気を取り直しまして、昨日に引き続き「憧れの車輌たち」の第20弾にふさわしく、20系寝台客車の「あけぼの・ゆうづる」篇をお送りいたします。

「あけぼの」といえば古くから名のある寝台特急で、登場した時から20系寝台客車を使用した、東北本線の「はくつる」、常磐線の「ゆうづる」と肩を並べる東北の看板優等列車です。そして、最後の20系寝台として残っていたことでも有名ですね。
後年は、山形新幹線の工事により北上線を経由したり、現在のように名前は「あけぼの」でも実質は完全に違う列車を乗っ取った形で残っていますが、私のイメージではやはり奥羽本線経由の秋田・青森行きの特急寝台列車がふさわしいと思っております。(物理的に無理なのは分っていますが。)
「あけぼの」が最後の20系使用の寝台特急ということではありましたが、地方にまで撮影に行くのはまだ難しい年代でした。写真では上野・大宮駅で撮ったくらいしか残っておりませんが、写真をここにご紹介いたします。(相変わらずですが、技術的に未熟な時代ですので、構図、画質の見映えの悪さはご勘弁願います。)


昭和54年頃 上野駅にて カニ21「あけぼの」
当時の客車特急は、荷扱いの関係で上野方に荷物車・電源車が連結されるように組成されていました。したがって、関東で電源車を撮影するには、夜発の列車を撮るしか方法はありませんでした。


昭和53年頃 上野駅にて ナハネフ23「あけぼの」
20系の廃車が進み始めると、ナハネフ22の減少により普段関東ではお目にかかることのないナハネフ23が最後尾に連結されることが多くなってきました。ナハネフ21「日本海」以来のファンであった私には、これが待望の現象でした。


昭和55年頃 大宮駅にて ナハネフ23「あけぼの」
20系晩年の頃。20系寝台車最後の定期特急として最後まで走り続けました。


一方、「ゆうづる」は北海道への接続夜行特急として「はくつる」を補完する形で誕生した寝台特急ですが、本家「はくつる」をはるかに抜く583系が3往復、20系が4往復の最大7往復が設定されていました。
本数はたくさんあった「ゆうづる」ですが、上野駅の到着は早朝で、当時中学生の私にとって、マトモな写真を撮りに行くことは大変困難でした。
駅撮りの写真しかお見せできませんが、私にとっては貴重なコレクションです。


昭和51年頃 上野駅にて ナハネフ21とナハネフ22が並んだ「ゆうづる」
「日本海」以来久々に逢ったナハネフ21。上野駅19・20番線は5:30~7:00まで「ゆうづる」のラッシュとなります。


同日 ナハネフ22の「ゆうづる」のアップ。
この頃はこのようなセンスのない撮り方が多かったのが悔やまれます。ヘッドマークやヘッドサインに執着していたんでしょうね。


同日 583系「ゆうづる」と並ぶナハネフ22「ゆうづる」
後半は、スピードの速い583系が20系の列車に追いつき、わずかな差で上野駅に相次いで到着します。この583系「ゆうづる」は、20系「ゆうづる」の実に1時間50分も後に青森を出発しています。(上野駅には3分差で到着します。)

20系「ゆうづる」は、東海道の「はやぶさ」「富士」「出雲」の24系25型化により押し出された形で、この写真を撮った後、早々に24系24型化されてしまいました。


いつも質の悪い写真ばかりで恐縮ですが、今の中学・高校生のように質のよいカメラを持つことができない時代でしたから、これもやむを得ないのでしょうね。自動露出のカメラでさえあまりなかった時代ですから、オートフォーカスを含めたフルオートのカメラを親に買ってもらえる今の若者をうらやましく思います。
こんな写真が続くとは思いますが、しばらくはお付き合い願います。
コメントもお待ちしておりますので、ご遠慮なく入れてください。広告主体の管理者さん以外は必ずご返事いたします。
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お待たせしております。(インターネット復旧)

2007-04-08 02:20:46 | ノンジャンル
こんばんわ。

実家から帰ってきて更新を始めようとしたら、インターネットが一部のサイトしか接続できなくなり、「またモデムの不調か」かと思いつつリセット作業等行っていたら、完全に接続できなくなってしまいました。23:30から間もなく約3時間。パソコンの設定などあちこちいじってはみたもののどうにもならず途方に暮れていたところ、突然ハードディスクの轟音と共にセキュリティが稼動しだしました。ということは繋がった?!

やっと繋がってくれました。でも、何で急に繋がったのか訳がわかりません。なので、また不安なのですが・・・。

これから本日分の更新を致しますので、しばらくお待ちください。本当だったらもう寝る頃なのに、また生活のリズムが乱れそうです。トホホ・・・。
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