こんばんわ。
今日は残業で遅くなり、またこんな遅い時間になってしまいました。
でも、このブログはできるだけ切らせたくないので、頑張ってアップしたいと思います。
今日のテーマは103系です。以前にも少し述べましたが、昔は通勤電車には全くといって良いほど興味がなく、ほとんど写真を撮っていなかったと思ったのですが、この度このブログの開設にあたり古いネガを捜索していたら、意外と写っているものがありました。
そんな中から、徐々にではありますがご紹介していきたいと思います。
今回は「京浜東北線」の103系をアップしたいと思います。
西川口~蕨間にて クモハ103の流し撮り。
このような写真を撮るようになったのは、高校で写真部に入ってから。おそらく昭和54年頃、ATC化工事の真っ最中だと思います。7+3編成のすべてが大宮方にクモハ103を連結しておりましたので、ATC化の直前まで写真を撮りましたが、あまり良い機材を持っていなかったので、これといって良い写真は撮っていません。
蕨~南浦和間にて 浦和電車区に出張中の新製185系200番台を横目にひた走る103系
東北新幹線の大宮暫定開業を控えた昭和57年初頭。訓練用と思われますが、185系がしばらくの間浦和電車区に駐留していました。思わぬライバルの出現に、103系はどんな思いだったのでしょうか。
蕨駅にて 中央線色のクモハ103
昭和52年頃走っていた編成です。中央線の101→103系化に関連して、ATC化で余剰となるクモハ103を中心とする低窓編成が中央線へ転出することになりました。このころ、転出してから検査入場するまで旧線の塗装のまま走るのが通例でしたが、おそらく転出予定日が迫っているところで検査入場があり、予め塗り替えたものを転出まで運用したものではないでしょうか。ヘッドマークとも受け取れる「京浜東北線」マークは、他にも山手線色(うぐいす色)が見られた時期がありました。
103系については、他線区のものが若干ありますので、追ってご紹介したいと思います。
今日は残業で遅くなり、またこんな遅い時間になってしまいました。
でも、このブログはできるだけ切らせたくないので、頑張ってアップしたいと思います。
今日のテーマは103系です。以前にも少し述べましたが、昔は通勤電車には全くといって良いほど興味がなく、ほとんど写真を撮っていなかったと思ったのですが、この度このブログの開設にあたり古いネガを捜索していたら、意外と写っているものがありました。
そんな中から、徐々にではありますがご紹介していきたいと思います。
今回は「京浜東北線」の103系をアップしたいと思います。
西川口~蕨間にて クモハ103の流し撮り。
このような写真を撮るようになったのは、高校で写真部に入ってから。おそらく昭和54年頃、ATC化工事の真っ最中だと思います。7+3編成のすべてが大宮方にクモハ103を連結しておりましたので、ATC化の直前まで写真を撮りましたが、あまり良い機材を持っていなかったので、これといって良い写真は撮っていません。
蕨~南浦和間にて 浦和電車区に出張中の新製185系200番台を横目にひた走る103系
東北新幹線の大宮暫定開業を控えた昭和57年初頭。訓練用と思われますが、185系がしばらくの間浦和電車区に駐留していました。思わぬライバルの出現に、103系はどんな思いだったのでしょうか。
蕨駅にて 中央線色のクモハ103
昭和52年頃走っていた編成です。中央線の101→103系化に関連して、ATC化で余剰となるクモハ103を中心とする低窓編成が中央線へ転出することになりました。このころ、転出してから検査入場するまで旧線の塗装のまま走るのが通例でしたが、おそらく転出予定日が迫っているところで検査入場があり、予め塗り替えたものを転出まで運用したものではないでしょうか。ヘッドマークとも受け取れる「京浜東北線」マークは、他にも山手線色(うぐいす色)が見られた時期がありました。
103系については、他線区のものが若干ありますので、追ってご紹介したいと思います。