今日は久しぶりに583系をお届けいたします。
昼夜兼用に作られた583系ですが、その特殊な車輌設備から、夜行と昼行で同一区間に運用されることがほとんどで、臨時列車への使用も非常に限定的でした。それはつまり、臨時列車に運用されるとしても、583系を運用する定期特急列車の増発という形態に限られたものといえます。(一部「夕月」のように、新規の列車名を設定したものもありましたが、他の夜行特急と同一区間を走っていたので、特に変わった運転形態ではありません。その点、「しらさぎ」は例外的な設定でしたね。)
しかし、新幹線網が発達し始めると夜行特急が衰退し始め、余剰車輌が発生するようになりました。それからというもの、定期特急では「雷鳥」のように夜行運用が無かった区間にも進出するようになりました。そして、臨時運用にも活発に就くようになり、「シュプール号」などで今までにはなかった上越線や奥羽本線、羽越本線などにも走行するようになりました。
今回は、このような例で活躍した583系のシーンをアップいたします。
昭和58年8月17日 大宮駅にて 特急「ふるさと」
東北新幹線が大宮始発の暫定開業となりました。この際、在来線「やまびこ」は全廃、「はつかり」は盛岡~青森のアクセス特急に変わってしまいましたが、乗換え不便の救済策として、上野~青森間の直通臨時特急「ふるさと」が設定されました。でも、なぜか上りが大宮止まりだったのは理由がわかりません。
昭和60年1月5日 栗橋~古河間にて 下り「ふるさと」
光線の関係で後ろ向きの走行写真になってしまいましたが、グリーン車及び食堂車を組み込んだ13両フル編成だったことがわかります。「はくつる」「ゆうづる」と並んで最後のフル編成583系でした。
平成2年2月18日 奥羽本線 庭坂駅にて 「シュプール蔵王」
583系「シュプール」が各地で運転され、上越線への入線、485系との混結運転など様々な話題を振りまきました。この「シュプール」も改軌前の同区間に設定され、板谷峠を越えました。定期列車では設定されなかった区間でした。
昭和60年 常磐線 神立~高浜間にて 「エキスポドリーム号」
つくば万博の開催にあたり宿泊施設の確保という施策から、20系客車や583系など余剰寝台車輌を活用し、土浦駅(電車区留置線)でホテルとして使用する運用が組まれました。常磐線では元々「ゆうづる」「みちのく」が走っていましたが、この列車は東大宮操車場から武蔵野線を経由して万博中央まで走るという、当時としては奇抜な策がとられました。編成が逆向きであることで、通常には無い運用であることがわかります。(手前が青森・仙台方)
平成4年8月18日 奥羽本線 八郎潟~犀川間にて 臨時寝台特急「あけぼの81号」
そのむかし、「あけぼの51号」といえば14系座席車が定番でしたが、余剰車輌の活用といったところでしょう。
平成14年9月22日 西川口~蕨間にて 「リバイバルひばり」
リバイバル列車も各地で運転されましたが、オリジナルの姿をとどめる583系は風前の灯となり、今後は段々難しくなってくるでしょうね。
今でこそ、仙台区の583系が武蔵野線や京葉線、そして房総各線にまで走るようになりましたが、昔ではとても考えられないことでした。考えてみれば、東北筋では、東北本線と常磐線しか走っていなかったのですね。583系は、やはり長大編成が似合いますので、西日本583系のオリジナル塗装化を是非実現して欲しいですね。
昼夜兼用に作られた583系ですが、その特殊な車輌設備から、夜行と昼行で同一区間に運用されることがほとんどで、臨時列車への使用も非常に限定的でした。それはつまり、臨時列車に運用されるとしても、583系を運用する定期特急列車の増発という形態に限られたものといえます。(一部「夕月」のように、新規の列車名を設定したものもありましたが、他の夜行特急と同一区間を走っていたので、特に変わった運転形態ではありません。その点、「しらさぎ」は例外的な設定でしたね。)
しかし、新幹線網が発達し始めると夜行特急が衰退し始め、余剰車輌が発生するようになりました。それからというもの、定期特急では「雷鳥」のように夜行運用が無かった区間にも進出するようになりました。そして、臨時運用にも活発に就くようになり、「シュプール号」などで今までにはなかった上越線や奥羽本線、羽越本線などにも走行するようになりました。
今回は、このような例で活躍した583系のシーンをアップいたします。
昭和58年8月17日 大宮駅にて 特急「ふるさと」
東北新幹線が大宮始発の暫定開業となりました。この際、在来線「やまびこ」は全廃、「はつかり」は盛岡~青森のアクセス特急に変わってしまいましたが、乗換え不便の救済策として、上野~青森間の直通臨時特急「ふるさと」が設定されました。でも、なぜか上りが大宮止まりだったのは理由がわかりません。
昭和60年1月5日 栗橋~古河間にて 下り「ふるさと」
光線の関係で後ろ向きの走行写真になってしまいましたが、グリーン車及び食堂車を組み込んだ13両フル編成だったことがわかります。「はくつる」「ゆうづる」と並んで最後のフル編成583系でした。
平成2年2月18日 奥羽本線 庭坂駅にて 「シュプール蔵王」
583系「シュプール」が各地で運転され、上越線への入線、485系との混結運転など様々な話題を振りまきました。この「シュプール」も改軌前の同区間に設定され、板谷峠を越えました。定期列車では設定されなかった区間でした。
昭和60年 常磐線 神立~高浜間にて 「エキスポドリーム号」
つくば万博の開催にあたり宿泊施設の確保という施策から、20系客車や583系など余剰寝台車輌を活用し、土浦駅(電車区留置線)でホテルとして使用する運用が組まれました。常磐線では元々「ゆうづる」「みちのく」が走っていましたが、この列車は東大宮操車場から武蔵野線を経由して万博中央まで走るという、当時としては奇抜な策がとられました。編成が逆向きであることで、通常には無い運用であることがわかります。(手前が青森・仙台方)
平成4年8月18日 奥羽本線 八郎潟~犀川間にて 臨時寝台特急「あけぼの81号」
そのむかし、「あけぼの51号」といえば14系座席車が定番でしたが、余剰車輌の活用といったところでしょう。
平成14年9月22日 西川口~蕨間にて 「リバイバルひばり」
リバイバル列車も各地で運転されましたが、オリジナルの姿をとどめる583系は風前の灯となり、今後は段々難しくなってくるでしょうね。
今でこそ、仙台区の583系が武蔵野線や京葉線、そして房総各線にまで走るようになりましたが、昔ではとても考えられないことでした。考えてみれば、東北筋では、東北本線と常磐線しか走っていなかったのですね。583系は、やはり長大編成が似合いますので、西日本583系のオリジナル塗装化を是非実現して欲しいですね。