日が変わってしまいましたが、昨日は私の44回目の誕生日でした。
この歳になると祝おうなんて気持ちはさらさら無いわけですが、女房からはネクタイ、娘からはメッセージカードといちごのチョコレートを貰いました。
この歳になると、「ありがとう」という一言でさえも照れくさいです。
1年中で一番暗い季節に生まれた私ですが、せめて鉄ネタだけでも明るく行きたいと思います。
今日は、かつて東海道・山陽でブルートレインを牽引していたEF60の500番代の画像をお届けしたいと思います。
F級新性能車の元祖として誕生したEF60は、10‰の勾配で1200tの貨物列車を引き出せる性能を備えた機関車でした。そして、その性能が買われブルトレ牽引機として誕生したのが500番代車です。
EF60500番代は、20系客車との連結に対応するため、運転台に客車との連絡用電話を設置、架線異常時にカニ22形のパンタグラフを降下させMGを停止するスイッチも搭載していたため、番代区分がされていました。
しかし、EF60は元々牽引力に重点を置いて設計されていたため、高速連続運転には不向きであったっようで、ブルトレ牽引にあたっては故障も続発したようです。
その後、牽引力+高速性能に優れたEF65が開発されたため、ブルトレ牽引機の代名詞ともなったEF65500番代に道を譲り、本来の得意分野である貨物機としての道を歩むこととなったのです。
昭和52年3月30日 名古屋駅にて EF60507牽引の貨物列車
未だ中学生時代で、初めて撮ったEF60500番台。別に狙っていたわけでなく、偶然写っていました。隣に停まっているのは、高山本線の急行「のりくら」でしょうか。
昭和52年頃 撮影場所不詳 EF60501単機
撮影記録が無いのですが、おそらく大船駅辺りでなかったかと思いいます。トップナンバーに食指が動く頃でしたので、番号を見て慌てて撮った記憶があります。
この時代は、EF60自体が東海道・山陽の貨物専用機であったため、私の住む地元では撮ることができない形式でした。500番代がかつてブルトレを牽いていたという知識は既に持っていましたので、500番代を見たときは何となく得した気分になったものです。
昭和54年12月頃 浜川崎駅留置線にて EF60514
511~514号機は、基本番代でいうと3次型にあたり、ヘッドライト2灯で側面フィルタも変化し、EF65と区別し難い外観になっています。
この頃になると、首都圏で幅を利かせていたEF13やEF15の活躍に翳りが見え始め、淘汰が進むとともに東海道・山陽からEF60型が次々と流入してくるようになりました。
昭和57年5月 府中本町にて EF60504の牽引する南武線貨物
首都圏での活躍が目立ってきたEF60。かつてEF15が運用されていた線区を殆どカバーするほど広範囲で運用されました。
この時点ではまだED16でさえ最後の活躍をしていた頃ですが、EF60にとってもその活躍の終わりを迎えようとしている頃でした。
かつて東海道・山陽でブルートレインを牽引していた花形とも言えるEF60500番代でしたが、華々しい活躍は長くは続かず、貨物機として一般機に混ざって大変地味な人生を送っていました。
そして、貨物の大合理化という時代の憂き目に逢ってしまい、国鉄の分割民営化を待たずにその人生に終わりを告げました。
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この歳になると祝おうなんて気持ちはさらさら無いわけですが、女房からはネクタイ、娘からはメッセージカードといちごのチョコレートを貰いました。
この歳になると、「ありがとう」という一言でさえも照れくさいです。
1年中で一番暗い季節に生まれた私ですが、せめて鉄ネタだけでも明るく行きたいと思います。
今日は、かつて東海道・山陽でブルートレインを牽引していたEF60の500番代の画像をお届けしたいと思います。
F級新性能車の元祖として誕生したEF60は、10‰の勾配で1200tの貨物列車を引き出せる性能を備えた機関車でした。そして、その性能が買われブルトレ牽引機として誕生したのが500番代車です。
EF60500番代は、20系客車との連結に対応するため、運転台に客車との連絡用電話を設置、架線異常時にカニ22形のパンタグラフを降下させMGを停止するスイッチも搭載していたため、番代区分がされていました。
しかし、EF60は元々牽引力に重点を置いて設計されていたため、高速連続運転には不向きであったっようで、ブルトレ牽引にあたっては故障も続発したようです。
その後、牽引力+高速性能に優れたEF65が開発されたため、ブルトレ牽引機の代名詞ともなったEF65500番代に道を譲り、本来の得意分野である貨物機としての道を歩むこととなったのです。
昭和52年3月30日 名古屋駅にて EF60507牽引の貨物列車
未だ中学生時代で、初めて撮ったEF60500番台。別に狙っていたわけでなく、偶然写っていました。隣に停まっているのは、高山本線の急行「のりくら」でしょうか。
昭和52年頃 撮影場所不詳 EF60501単機
撮影記録が無いのですが、おそらく大船駅辺りでなかったかと思いいます。トップナンバーに食指が動く頃でしたので、番号を見て慌てて撮った記憶があります。
この時代は、EF60自体が東海道・山陽の貨物専用機であったため、私の住む地元では撮ることができない形式でした。500番代がかつてブルトレを牽いていたという知識は既に持っていましたので、500番代を見たときは何となく得した気分になったものです。
昭和54年12月頃 浜川崎駅留置線にて EF60514
511~514号機は、基本番代でいうと3次型にあたり、ヘッドライト2灯で側面フィルタも変化し、EF65と区別し難い外観になっています。
この頃になると、首都圏で幅を利かせていたEF13やEF15の活躍に翳りが見え始め、淘汰が進むとともに東海道・山陽からEF60型が次々と流入してくるようになりました。
昭和57年5月 府中本町にて EF60504の牽引する南武線貨物
首都圏での活躍が目立ってきたEF60。かつてEF15が運用されていた線区を殆どカバーするほど広範囲で運用されました。
この時点ではまだED16でさえ最後の活躍をしていた頃ですが、EF60にとってもその活躍の終わりを迎えようとしている頃でした。
かつて東海道・山陽でブルートレインを牽引していた花形とも言えるEF60500番代でしたが、華々しい活躍は長くは続かず、貨物機として一般機に混ざって大変地味な人生を送っていました。
そして、貨物の大合理化という時代の憂き目に逢ってしまい、国鉄の分割民営化を待たずにその人生に終わりを告げました。
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