マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

EF60500番代:貨物列車を牽引するかつてのブルトレ機

2007-12-21 01:23:00 | 国鉄・JR機関車(直流型)
日が変わってしまいましたが、昨日は私の44回目の誕生日でした。
この歳になると祝おうなんて気持ちはさらさら無いわけですが、女房からはネクタイ、娘からはメッセージカードといちごのチョコレートを貰いました。
この歳になると、「ありがとう」という一言でさえも照れくさいです。

1年中で一番暗い季節に生まれた私ですが、せめて鉄ネタだけでも明るく行きたいと思います。

今日は、かつて東海道・山陽でブルートレインを牽引していたEF60の500番代の画像をお届けしたいと思います。

F級新性能車の元祖として誕生したEF60は、10‰の勾配で1200tの貨物列車を引き出せる性能を備えた機関車でした。そして、その性能が買われブルトレ牽引機として誕生したのが500番代車です。
EF60500番代は、20系客車との連結に対応するため、運転台に客車との連絡用電話を設置、架線異常時にカニ22形のパンタグラフを降下させMGを停止するスイッチも搭載していたため、番代区分がされていました。

しかし、EF60は元々牽引力に重点を置いて設計されていたため、高速連続運転には不向きであったっようで、ブルトレ牽引にあたっては故障も続発したようです。

その後、牽引力+高速性能に優れたEF65が開発されたため、ブルトレ牽引機の代名詞ともなったEF65500番代に道を譲り、本来の得意分野である貨物機としての道を歩むこととなったのです。


昭和52年3月30日 名古屋駅にて EF60507牽引の貨物列車

未だ中学生時代で、初めて撮ったEF60500番台。別に狙っていたわけでなく、偶然写っていました。隣に停まっているのは、高山本線の急行「のりくら」でしょうか。



昭和52年頃 撮影場所不詳 EF60501単機

撮影記録が無いのですが、おそらく大船駅辺りでなかったかと思いいます。トップナンバーに食指が動く頃でしたので、番号を見て慌てて撮った記憶があります。
この時代は、EF60自体が東海道・山陽の貨物専用機であったため、私の住む地元では撮ることができない形式でした。500番代がかつてブルトレを牽いていたという知識は既に持っていましたので、500番代を見たときは何となく得した気分になったものです。



昭和54年12月頃 浜川崎駅留置線にて EF60514

511~514号機は、基本番代でいうと3次型にあたり、ヘッドライト2灯で側面フィルタも変化し、EF65と区別し難い外観になっています。
この頃になると、首都圏で幅を利かせていたEF13やEF15の活躍に翳りが見え始め、淘汰が進むとともに東海道・山陽からEF60型が次々と流入してくるようになりました。



昭和57年5月 府中本町にて EF60504の牽引する南武線貨物

首都圏での活躍が目立ってきたEF60。かつてEF15が運用されていた線区を殆どカバーするほど広範囲で運用されました。
この時点ではまだED16でさえ最後の活躍をしていた頃ですが、EF60にとってもその活躍の終わりを迎えようとしている頃でした。


かつて東海道・山陽でブルートレインを牽引していた花形とも言えるEF60500番代でしたが、華々しい活躍は長くは続かず、貨物機として一般機に混ざって大変地味な人生を送っていました。
そして、貨物の大合理化という時代の憂き目に逢ってしまい、国鉄の分割民営化を待たずにその人生に終わりを告げました。

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クハ77:両毛線

2007-12-20 01:15:24 | 旧型国電
両毛線と言えば、その昔スカ色70系が独壇場で活躍していた路線です。一部上野乗り入れの急行「あかぎ」や「わたらせ」といった面々が末端普通列車として走ってはおりましたが、実質70系が主であったといえると思います。
両毛線の電車化に際し、横須賀線からの70系を転入させたと言う、そこそこ歴史ある70系路線です。

その70系の電車群でもとりわけ特徴であったのが、今日ご紹介いたします「クハ77」形です。
元は東海道線などで活躍していた「サロ85」を3扉化の上運転台を取り付けた、極めて特徴のある形態をしています。運転台は、当時流行していた高窓の103系冷房車やクモユニ74などと共通する形状となっています。

同類では、「サロ85」を3扉化して付随車として活躍していた「サハ85100番代」や、新潟色で活躍していた「サハ87」などが70系の一員として存在しましたが、モハ80系の中で正式に70系に編入された車両はこの「クハ77」のみで、同属の中でも異端な車両となっています。

中学生の頃撮った写真なので、その車両の特徴を盛り込むには程遠い構図ですが、少々我慢してご覧ください。


昭和53年頃 高崎駅にて

一連の両毛線70系や信越線80系を撮影した頃と同じ時期のものですが、どうも撮影した日が違うようでした。
ホーム側が陽に翳ってしまい、なんとも無様な写りになってしまいました。まだ「ホームの反対側からのほうがきれいに撮れる」なんて考えが及ばない頃だったんですね。
うぐいす色とかスカイブルーに塗ったら、そのまま山手線とか京浜東北線になってしまいそうな顔つきです。



昭和53年夏ごろ 両毛線のどこかの駅

撮影場所が全く判りません。EF12の撮影に行ったとき撮ったものです。
この写真は側面がちゃんと写っているので、構図的には良くありませんが、同車の特徴を良く映し出しています。
写真の車両は、側窓の桟が見えないところをみると、「クハ77006」と思われます。
「クハ77006」は、6両存在したクハ77の中では唯一サロ85最終期形からの改造車で、側窓がやや大きく、1段下降式の構造となっており、大変スッキリしたサイドビューとなっています。また、写真はホームとなっているため見えませんが、クハ77の中で唯一TR48A台車を履いています。

未だ旧型国電に興味を持っていない年齢でしたが、車両の由来や改造の経緯なども判らないまま、初めて見たときから非常に興味を持った車両でした。しかし、行動力が未だ無かった頃でもありますので、撮影できたのはこの2回だけしかなかったのが非常に残念です。

「クハ77」うんちくメモ

クハ77000 ← サロ85006 TR45台車
クハ77001 ← サロ85011 TR45台車
クハ77002 ← サロ85012 TR45台車
クハ77003 ← サロ85020 TR45台車
クハ77004 ← サロ85024 TR45台車
(005欠番)
クハ77006 ← サロ85030 TR48A台車

改造は、昭和43年9月前後。
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EF651019+スーパーエクスプレスレインボー デビューの日

2007-12-19 00:20:28 | 国鉄・JR機関車(直流型)
今日はいつもとはチョット変わりどころの写真をお披露目いたします。

「サロンエクスブレス東京」「サロンカーなにわ」に始まる国鉄の欧風客車ブーム。生活が豊かになって団体列車でさえもグリーン車が需要を増して行った時代。その流れの中で、古いお座敷列車の12系化とともに、新たな趣向を凝らしたお座敷車や欧風客車が次々とデビューを果たしました。

その中で、古くからお座敷列車1本で運用してきた国鉄東京北鉄道管理局では、初めて欧風客車を導入することになりました。目前に分割民営化を控えていたこともあってか、車両は新製することによらず、時代的に需要が少なくなってきた余剰の14系客車を、中間の1両は12系客車を種車とすることによる改造で賄われました。

既にお座敷列車ではメジャー化していた展望室付の客車ですが、それまでの「サロン東京」や「江戸」「やすらぎ」といった角ばったタイプではなく、局面ガラスを使用した斬新なデザインでの登場となっています。
また、その名のとおり、白をベースとして派手な斜めの赤いラインが、地味なお座敷客車とは完全に一線を画すデザインとなりました。

「SEレインボー」の登場自体も当時は非常に衝撃だったわけですが、さらに衝撃的だったのが、同車を牽引する専用機としてEF651019とEF8195が用意されたことでした。

スーパーエクスプレスレインボーのデビュー運転の写真がありますのでご覧ください。




昭和62年3月19日 東北本線 蓮田~東大宮間にて

運転日初日のスーパーエクスプレスレインボーで、これまた塗色変更デビューのEF651019が牽引しています。
確か、当日は上野~宇都宮間を1往復のお披露目運転で走り、往路はEF8195が牽引し、返しの上り列車をこのEF651019が牽引しました。
当時、鉄道誌などでも事前の告知が無かったため、デビュー運転の列車が来たときにはそれを迎えたファン一同ド肝を抜かれたのではないかと思います。

華々しくデビューしたスーパーエクスプレスレインボーでしたが、バブル崩壊による景気の低迷もあってか、その需要は減り、車体の老朽化もあって敢え無く廃車となり、EF651019も老朽化により後進のEF651118に道を譲って廃車となってしまいました。
主を失ったEF8195とEF651118が現在でも当時の出で立ちのまま活躍を続けていることが、せめてもの救いではないでしょうか。

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DD51+50系客車:冬の磐越西線

2007-12-18 00:04:55 | 国鉄・JR機関車(ディーゼル)
今日はDD51ネタで、磐越西線篇をお届けいたします。

三つ目のDD51745が在籍していて有名だった磐越西線。古くから客車列車が運転されていて、気動車化が進んだものの、数本の客車列車のスジが堅持されていました。
非電化好きの友人に誘われるままに、そこそこな回数を通いました。

今日はその中でも雪が見えるシーンをご覧ください。


昭和62年11月22日 磐越西線 喜多方~塩川間にて 

こちらは移動中に時間がなくなってしまい、電化区間で撮影したものです。
磐越西線はかなり通っていたので、飽きがくるとこんなアングルでも撮っていました。



昭和62年11月22日 磐越西線 喜多方~山都間にて

写真の列車は50系を8連つないでいるもの。当時の磐越西線の客レは4両又は5両編成が一般的で、通勤通学帯が終了した後、締め切り回送を連結してこのような長大編成が組成されています。ローカル線にチョット似合わない、本線級の組成です。



昭和63年2月13日 磐越西線 喜多方~山都間にて

こちらは745号機を撮影に行った際、待機中に撮ったもの。このときは雪が深く、国道から現場まで20分以上は雪原の中を歩いたような気がします。ちなみに、雪が無ければ5分も掛からないと思いましたけど。あの頃は若かった・・・。

磐越西線はかなりの枚数がありますので、ある程度季節ごとにご紹介して参ろうかと思います。ちなみに次回未定ですけど。
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京成電鉄(210形・2100形:青電) 

2007-12-17 01:18:14 | 列車・車輌カタログ(私鉄)
一昨日・昨日と583系「ひばり」に燃えた2日間で、我ブログも初めて160アクセスを超えるヒットとなり、大盛況のうちに終わりました。
もう年内のお祭り騒ぎは無いと思われますので、今日から平常・平穏に運営して行きたいと思います。
と言った趣旨を酌みまして、地味~に京成「青電」をアップしたいと思います。

今までアップの準備はしていたものの、この間、出し惜しみしていました。何故かと申しますと、通称「青電」と呼ばれ京成電鉄の代名詞のような存在でありました同車のことについて、私は何の知識も無かったからです。
小学生の頃に千葉に親戚がありまして、何度か「谷津遊園」と言う京成電鉄が運営していた遊園地に連れて行かされたことがあり、その際に京成電鉄に乗ったことがあるわけです。ここで、「京成電車って汚~い色の電車が走っているなぁ。」と思っていたのがこの210形「青電」だったわけです。※あくまでも小生が子供の頃の率直に思った表現ですので、ファンの方、気を悪くしないでくださいませ。

歳月が流れ高校生になったとき、京成電鉄に1つの大きな動きがありました。車体の塗色変更です。銀色車体とスカイライナーを除いて、全ての電車をファイアーレッドにしてしまおうというのです。
そうなると、鉄道の車両に対して知識がどんどん備わってきていますので、「古い色が貴重になる。」なんて思うわけで、そんな思いが即行動に移せる若さも手伝い、ツートンの「赤電」も含めて「青電」の撮影に突撃したわけです。

あまり良い写りではありませんが、見られそうなヤツだけ拾ってアップいたします。


昭和54年5月頃 京成電鉄 国鉄千葉駅前駅にて 青電2102

現在は「京成千葉」駅に改称されています。300mmの望遠を多用していた頃で、みんな馬鹿デカく写ってしまい、見るに絶えられない写真ばかりでした。でも、色が出ている以上、私にとっては貴重なカットです。



昭和54年5月頃 京成電鉄 京成津田沼~京成幕張間にて 青電2177

こちらは総武本線と併走している区間で、撮影したこの場所は、ひょっとすると現在の幕張本郷駅の構内になってしまった場所くらいかもしれません。せっかくいい構図だったのですが、ブレてしまっているのが残念です。横を走っている183系0番代の特急や、幕張電車区に停留中の153系か165系も懐かしい時代です。



昭和54年5月頃 京成電鉄 京成津田沼駅にて 青電2105外3色揃い踏みの図

京成津田沼駅脇にある車庫に停まっていた3種類の塗装車。時代の移り変わりを1度に見れたシーンです。

撮影に行った頃は、青電は既に本線運用に入っていなかったのか、この千葉線に行くまで逢うことができませんでした。それでも、当時は行動力が備わってきた頃だったので、この千葉線まで追いかけてくることが出来たわけです。

何分、当該車両の詳しい知識はございませんので、詳細をお知りになりたい方はWiki
( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%88%902100%E5%BD%A2%E3%83%BB210%E5%BD%A2%E3%83%BB2000%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A )
をご参照くださいませ。
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