マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

ED75+旧型客車(東北本線)

2007-12-24 01:10:04 | 国鉄・JR機関車(交流・交直両用型)
今日は、私にとっての鉄道シーンの中で最も思い出深いものをご紹介したいと思います。

母親の実家は、福島県の白河と猪苗代を直線で結んだ丁度中間辺りにある「天栄村」というところにあります。
鉄道とはまるで無縁の地で、交通機関といえばバスになります。しかし、そのバスも一番近いバス停が歩いて30分掛かる「牧の内」というところで、峠を一つ越えていかなければなりません。
で、最寄り駅はというと、東北本線の白河駅か須賀川駅ということになります。母親の姉夫婦が須賀川駅の近くに住んでいたため、専ら須賀川駅を利用していました。

私が小学生の頃は、特急列車というのは高級品であり、1日3往復しか止まらない「ひばり」もまず利用することが無く、急行「まつしま」「ばんだい」や「いいで」「ざおう」が高級な旅行手段でした。
しかし、私が小学3年生くらいから乗り物酔いするようになり、急行列車にも乗りたがらなくなってしまい、それからよく利用するようになったのが、下り121列車という旧型客車を使用した普通列車でした。

EF57やEF58に牽かれ、途中機関車交換や特急・急行の追越待ちを繰り返しながら、須賀川まで5時間半も掛けて故郷を目指していたわけです。
そして、黒磯からは赤い交流機のED71や75の出番となり、すれ違う列車も東北本線らしいローカルな鉄道風景に変わっていくのです。

毎年3回、東北への旅を続けていたわけですから、埼玉県に住みながらも、交流区間の普通列車が日常的に当たり前の風景となり、私の鉄人生の中でも忘れられないシーンとなっているのです。

そして、高校生や大人になってからは、交流機の牽く客車を写真に収めたくなって、幾度と無く写真を撮りに出掛けたわけです。
今日は、そんな思い出のシーンの中から、プリント・スキャニングしてあったものだけを一部ですがご紹介いたしたいと思います。


昭和56年1月5日 東北本線 豊原~白坂間にて ED7580牽引普通列車

母親の実家に行く際、母・兄と別行動をとり、白坂駅で下車して撮影を行ったときのものです。当時、この区間の普通列車は、ほんの一部を除いて旧型客車でした。ED71も走っていましたが、普通列車は殆どED75が牽引していたようです。
写真の80号機は、ツララ切りを装備した少数派のED75です。



昭和56年1月5日 東北本線 白坂駅にて ED75107牽引普通列車

白坂駅を今まさに出発した普通列車。白坂駅は1面のホーム2線が中線となっており、本線はその外側のホームが無いところを駆け抜けていくという、東北本線では珍しいタイプの配線となっています。



昭和58年10月5日 東北本線 黒磯駅にて ED7578+旧型客車

黒磯駅4番線で出発待機中の普通列車。黒磯始発の普通列車は、この4番線で折り返しとなります。黒磯駅は、配線の関係上4・5番線と1~3番線ホームが斜にずれているため、急行「なすの」や115系普通列車からの乗換えはもの凄い距離を歩かされることになります。写真に自転車が写っているところから、職員にとっても距離があり過ぎて不便だという事を物語っています。



昭和59年10月14日 東北本線 矢吹~泉崎 ED75+旧客普通列車

この時期ですと、旧型客車による普通列車も晩年だったような気がします。
このあたりは、稲刈りのあと、稲を三脚状に束ねて立てて置くという風景が多かったようです。同じ東北地方でも、以前ご紹介いたしました http://diary.jp.aol.com/marutetsu/277 の風景とは全く異なる趣きで、大変興味を惹かれました。


東北本線の交流南部地域では、50系への置換えを経由せずに455系や715系といった車両による電車化が実施されました。改正時には、一夜にして客車普通列車が消えてしまったわけですね。
子供の頃から思い入れの深い旧型客車・交流機。未だにプリントアウトしていないネガやリバーサルもあるようですので、探し出してまたここにご紹介できたらと思っております。
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【動画】 ローカルな風景 第31回 (鹿島鉄道)

2007-12-23 18:02:41 | ローカルな風景
鹿島鉄道の【動画】はこれで最終回になります。
余り良い映りではありませんが、哀しい意味で今年のビッグイベントとなってしまった鹿島鉄道を偲びましょう。

[[youtube:n1SmPXoFwPE&rel=1]]
平成19年3月17日 KR重連 常陸小川~四箇村間にて

最期の頃にしか見ることの出来なかったKRの重連です。
手持ち撮影ですので画面が安定していませんがご了承下さい。


[[youtube:Ae3Xkh0gKro&rel=1]]
平成19年3月1日 鹿島鉄道 榎本~借宿前間にて キハ432

左右に身体を揺らして走ってくる姿がユーモラスです。

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101系京浜東北線(哀しいモノクロ写真)

2007-12-23 01:30:50 | その他電車
今日は、国鉄型101系では最後のアップになると思いますが、〆にふさわしく京浜東北線をお送りしたいと思います。

鉄道ファン誌のNo561(2008年1月号)とNo562(2008年2月号)で、「京浜東北線を駆け抜けた車両たち」と題して京浜東北線に使用された車両や時代背景など詳細に記された記事が載っております。この記事をお読みになった方はお判りと思いますが、京浜東北線にも都合3編成の101系が運用されていたことがあります。

私も詳細については知らないのですが、昭和45年12月2日から運用開始され、昭和53年10月、現在の武蔵野線(新松戸~西船橋)延長開業による列車本数増に必要な車両として捻出されるまで、8年弱の期間に亘り京浜東北線を走っていたとのことです。

昭和53年といえば、私が未だ中学2~3年生の頃でしたので、101系が走っていたことは知っていましたが、写真は特急列車かEF57ばかり撮っている頃でしたので、記録としても皆無であったと思われていたのです。

しかし、いざネガを探してみると、フィルム現像したままプリントアウトしていなかった写真の中から101系の写真が出てきたのです。
昔の写真なので非常に見苦しい写真でもあり、特に外に出て行くような記録ではないのですが、本日、こうして公開することができることを大変嬉しく思います。

では、本当に良い写真ではないのですが、大きな気持ちでご覧くださいませ。


昭和51年頃 京浜東北線 南浦和~浦和間にて 南浦和駅を発車した大宮行き101系

ネガが露出不足のため、コントラストの欠ける寝ぼけた写真になってしまいました。
原版は6×6の「リコーフレックス」という2眼レフで撮影し、キャビネ版に焼き付けた写真です。夕方らしい上にレンズシャッター式なので、写真もブレブレな感じです。
当時、103系の写真など全く撮る気の無い頃でしたので、おそらく、101系が来たことが判って慌てて撮ったものではないかと思われます。



昭和53年頃 京浜東北線 蕨駅にて 停車中の大宮行き101系

こちらは最晩年の頃の写真と思われます。当時は、鉄道雑誌をお小遣いで買える頃ではなかったので、101系がなくなることも察知出来なかった筈です。おそらく、蕨駅で特急列車の写真を撮っているときに偶然来た101系を収めたのだと思います。ちなみに、こちらはキャノンFTbという35mmの一眼レフカメラです。
時代的に判断して、この後間もなく武蔵野線用に1000番代化改造され転出していったものと思われます。


このような首都圏カラーをまとった車両を撮影する際は、カラー写真であることが必須な感じが否めません。モノクロなりの主張もあるわけですが、「大宮」という方向幕だけではどうしてもインパクトが弱くなってしまいます。
せっかくの貴重な記録でありながらも、モノクロであったことは今でも非常に残念な気持ちです。

実は、この2枚の写真以外に、カラーネガの101系の写真が存在しています。まだプリントアウトしたことが無いため期待したいところですが、他のコマを見るとシャッターの走行ムラが見受けられるのです。また、昭和52年頃に撮ったものですから、退色も懸念されます。
いずれはこのネガも現像することになるとは思いますが、結果次第でアップするかどうか検討したいと思います。
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【動画】 ローカルな風景 第30回 (鹿島鉄道)

2007-12-22 18:59:45 | ローカルな風景
こんばんわ!

またまた鹿島鉄道の動画をアップいたしました。

今日は、キハ601形を2本ご紹介しちゃいたいと思います。


[[youtube:iAYSZ1Fx7OE&rel=1]]
平成19年3月1日 鹿島鉄道 601 常陸小川~四箇村間にて


[[youtube:FCjaIEx7PvQ&rel=1]]
平成19年3月1日 鹿島鉄道 601 四箇村~常陸小川間にて

こちらは手持ち撮影なので酔うかもしれません。酔いやすい方はご注意を!


コメント (4)
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EF58168(宇都宮のノーマル機)

2007-12-22 09:48:43 | EF58のアルバム
昨日は疲れから早々に寝てしまい、更新できませんでした。コメントのご返事も遅くなりましたことをお詫びいたします。

この間、大変開いてしまったのですが、久しぶりにEF58シリーズをお届けしたいと思います。
今日は、宇都宮運転所の最後の精鋭の一員であった168号機です。

168号機は、昭和33年3月4日竣工の東洋電機・汽車会社製。新製当初は沼津区配置で、その後宮原区→宇都宮区と、移動経歴は少ない方です。
形態的には、宮原区の時代があったためか、どちらかというと関西仕様で、正面窓はHゴム、側面フィルタはヨロイ戸化されています。寒冷地仕様は全くありません。パンタグラフはPS15を搭載しています。晩年は宇都宮仕様となり、デフロスタを装備しています。
前出の170~175号機(最終型)では、側面明かり窓3個のうち真ん中の1個がHゴム仕様となっていることを説明させていただきましたが、この168号機の誕生時期から見た場合、最終型と数ヶ月も変わらず誕生しているのにも拘わらず、その差異を見ることはできません。

では、現役時代の写真をご覧ください。


昭和57年1月 東北本線 西川口~蕨間にて 14系客車を牽く168号機

東北本線で14系客車12連を牽く168号機。東北新幹線の開業直前であることから、東北本線の特急・急行とも運転本数ではピークを迎えていた時代です。既に旧型客車の臨時は”シナ座”以外にはありませんでしたが、旅客用機関車としてEF58が存分に活躍できた最期のときでした。



昭和57年5月 東北本線 蕨~西川口間にて 荷物列車を牽引する168号機

貨物線を行く荷物列車。同時期に高崎二区が牽引する荷物列車の写真もあることから、高崎二区のゴハチ撤退に関連した運用の異動が見え始めた頃ではないかと推測されます。
写真を撮ったときには全然気にしていませんでしたが・・・。



昭和60年2月 東北本線 与野駅にて スロ81系「シナ座」を牽引する168号機

EF58活躍最晩年の頃。このシナ座のために残ったEF58がいるという時代です。
同年開催の「つくば万博」対応の多客輸送の関係もあったため、時を同じくして廃車の運命となっていた常磐線EF80とともに、最終最期の活躍をしていました。


スタイルが標準的・一般的過ぎてインパクトに欠ける形態の168号機でしたが、同区の中でも最後まで活躍していたようで、長きに亘りその姿を見ることが出来ました。
コメント (4)
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