小説を書いていると(ただし、亀の歩み)、砂に水を注ぐかのごとく。
疲れるし、少ししかない脳ミソは、消耗するし・・・なんか、いいことある?ってかんじになってしまう。
趣味だったら、それはそれで、楽しいはずなんだけれど、
趣味なようで、趣味でもないのかも・・・って。ちょっと思っている。
それは、スランプとも言うらしい。
(ま、いっちょまえに、恥ずかしげもなく、言えば・・・の話だが。恥ずかしくて言えない)
じっくり腰を据えて、あれこれ、深く考えることも必要だが、
現実生活が、ばたばたしてくると、それどころではなくなってくる。
寝る時間も惜しんで、哲学する、そんな強靭な脳ミソはまったく持ち合わせていないので、無理。
おそらく、じっとしていても、膨大な、まとまったボリュームの自由時間があったとしても、、無理。
脳ミソが、ある場所まで進むと、
工事中の、道路に突っ立っている、おじさんみたいに、ストップ、と、赤い旗を真横に出して、それ以上の前進を阻止する。
ましてや、朝のゴミ出し、3度の洗濯の合間、朝食準備、そして迫るラジオ・フランス語講座を知らせる5分前アラーム、
それらをくねくねとくぐりぬけ、このブログを更新しているのだが、
ただでさえ、ちょっと考えただけで、眠気に襲われるわたしなのに、こんなにバタバタしながら、
そもそも選ぶ話題ではない。
フランス語のあとは、15分しか余裕がなくて、8時からは、あまり面白くないかも、と思いつつ、惰性で見てしまうNHK梅ちゃん、
その後、ドタドタと出発準備に取り掛かる。
ブログ更新やっている場合じゃないが、梅ちゃんの後、出発準備にかかるまでの30分で、更新する場合もある。
そんな、ドタンバタン、気が散るなか、更新することに意味があるのだろうか?
あわただしい時間の谷間のフランス語は、ただのBGMになってしまっているし、、、、
きちんと聞いても、もはやBGM。(今日などは、朝の居眠りまどろみタイム→これは、ラジオ後に追記)
なんか、なあ・・・
気が散っているにも、ほどがある。
どれもこれも、中途半端。
さて、BGMタイムに迫られ、今からフランス語を流し、なんの意味もない、ばたばたするだけの朝。
夜は夜で、アイデア枯渇、朝は朝で、時間の細切れ。
意味がないことの積み重ねで、意味を見出す?