ちょっとだけ、補足を・・・。
いまのワイワイ・リオのカーニバル状態について。
雨の日も風の日も、ひとりで黙々と続ける、わらじ作りの道○十年、
高く売れようが売れまいが、タダみたいな値段であろうが、おもしろかろうが、おもしろくなかろうが、
とりあえず、食べていけるだけの、わらじ作り、その道一本の職人が、
ある日、作業場の外から、とんとんとノックする音に(あ、ドアなんか、ない、土間の作業場)
ふと、外を見てみると、
赤やら青やら黄色やら、カラフルな衣装をまとった、ピエロたちが、ぴーひゃらぴーひゃら笛を吹き
(あれれ・・・和洋折衷、しかも、時代は、いつ? ただし、ちんどん屋ではない)
「こっちに、おいでよ。おもしろいよ」
と、踊りながら、わらじ職人を引き込もうと誘う。
わらじ職人は、明るい太陽の光に、目をしょぼしょぼ細めながら、ふらふらと作業場を後にする。
その日のノルマ量のわらじは、まだ編みあがっていないのに。
(楽しいほうが、いいじゃない?
そんな、誰も履かないような、わらじ。ほってても、なんの影響もないし)
わらじの編み方が、だんだん、荒っぽくなってきた。
しかし、わらじの需要もいまいち、なさそうだしなあ・・・
ちょっと、遊びに行ってくるか・・・
わたしは、わらじの編み方も昔風で、なんの工夫もせず、ただただ、ひたすら編んでいるだけだからなあ。
そう思いながら、精進もせず、ふらふらしている・・・
「皆の衆は、元気で、いいのう・・・」
年寄りは、背中をまるめ、目を細めて言った。
なんか、へんだなあ・・・
わたしのブログ、長く続けている間に、なんだか、テイストがだんだん変わってきている。
気分を変えて、模様替えや、何度もブログをリセット、閉鎖して、また一から立ち上げ、
変える、創り上げるプロセスのほうが楽しい、とおっしゃるブロガーさんもいる。
わたしは、ずっと、おなじ。
でも、ほんの3年ぐらい前の記事でも、なんだか別人のよう。
前は、ひとつひとつを丁寧に、そして、ちゃんと時間をかけて取り組んでいるかんじがする。
ネタは同じようなものなのだが、調理法が違う。ネタ選びも違うかも。
ブログを変えて、そのときのテイストに合わせるのが、よいように思う。
わたしの場合、緑茶を飲んだコップに、ウーロン茶を入れて飲み、
洗わずに、さらに、コーヒーを入れ、また、コーラの日もあり、
さらに、その翌日には、お吸い物を、その翌日には、味噌汁を入れて、飲んでいるようなもの。
雰囲気を楽しむ人なら、緑茶には、清水焼、ウーロン茶には、中国茶器、
お吸い物には、塗りの椀、味噌汁には、ざっくりとした木のぬくもりのある椀、
などと、飲み物、状況、気分によって、器を変えるだろう。
わたしは、器を変える、どころか、同じ容器。
しかも、どんな入れ物であろうが、容器を洗えば問題はないのだが、洗わないことに、元凶がある。
上から、上から、次から次へと飲んでは足していって、へんな味になったりしても、平気なところに問題がある。
使い捨ての紙コップという選択肢もありえる。
作っては、ポイ、作っては、ポイ。
いつも新しく、清潔で、美しく、使いやすい。
あるいは、カラフルな、いろんな作品がいっぱい出来て、目を楽しませてくれることだろう。
創る度に、新しい自分がスタートして、気分一新。爽やかだろう。
ブログスタート時の、自慢話炸裂や、おすましの自分、
噛み砕けていない、硬い、つまらない面白みのない説明文みたいな、翻訳文みたいな、
そういう、今とは、ニュアンスも、テイストも違うブログ。でも、一生懸命、手さぐり。
そのままの容器で、しかも、洗わないで、今日まで来てしまっている。
すかっと、やり変えたら、かっこ悪い自分や、赤恥の自分も、すぱっと切り捨てられて、気持ちいいだろうに。
そうしても、いいのだが・・・
何度やり変えても、かっこ悪い自分は、いつも、自分に付き添ってくるので、同じことだ。
見上げる空にある太陽や月が、いつまでも、どこまでも、自分を追いかけてくるのと、同じだ。
気分転換せずに、このまま行こう。
ただし、過去のアップしたものは、うんと前のものでも、ほんの1日前のものでも、すでに、赤恥。
そのときの気分を表して、表に出した途端、
色が変わって、ただでさえ、かっこ悪いものが、もっともっとキショク悪いものになっている。
まあ、それも、自分。
そのうち、ごろっと、ブログをリセットして、ま新しいブログで別人になって、
「え? このブロガーさんは、元スローさんなの? 信じられない!」と、驚かせてみたい・・・
金髪の美女に大変身。
が、おそらく、一発でわかってしまう可能性あり。
胴長短足は、どんなに金髪になっても、即、ばれる。
人間、そうそう変われるものではないから。
英語サイトにでも変えれば、また別だろうけれど。(英語、できないし)
と、またまた結論のない、「起承転結ってなあに?」という内容になってしまった。
朝の忙しい時間、タイムリミットを目の前に、
時間をゆっくりかけて、自分と向き合う・・・の正反対だ。
そういう意味でも、人の生活やリズム、気分は、日々、変わり、時間が経てば経つほど、その変化は大きい。
だが、変わらないものは、ずっと変わらない。
変化と、継続を、うまくミックスできたらいいなあと、思うけれど、
今、この瞬間は、時計の針のほうが気になる。
では、このへんで、今朝もあわただしく、終了です。