最近、「梅ちゃん」を背中で見ている。
前なら、必死で見ていたのに。
時間がなくなってきていることもある。
今朝は、やけに早朝から、草引きをした。
伸びる草と、草むしりと、いたちごっこ。攻防戦。
大勢不利で、わたしの守りより、草の成長のほうが、いまのところ勝ち。
その後、引き続き、しょうもない駄作小説とかに、無駄にかかっているからだ。
あっという間に、ラジオ・フランス語講座BGMタイムに。
小説のコンセプトを最初に考えたのに、書いているうちに、いずこへ?状態になっている。
ほんとに、いい加減。
ぶれぶれも、いいとこ。
醸成だの、熟成だのとは、ほどとおい。
その場まかせ。
まるで、わたしの人生そのもの。
と言いつつ、わたしの人生は、じつは、しっかりとした、絶対にぶれないコンセプトはあるのだが。
それは、人に依存して生きること。
今日の、背中の梅ちゃん放映で、患者さんの女性か誰かが言ってたけれど
恋人の松岡にプレゼントしてもらえないのは、梅ちゃんは、甘えるのがヘタなんだって。
それに比べると、わたしは、「甘え」が自分の人間性の基本構造の柱となっている。
なんだって、かんだって、だれにだって、ぜんぶ、甘えてしまう。
あほだと思われようが、見下げられようが、べつにいいのだ。
あ、ちなみに義母から、あるイベントのお祝いとして、昨夜、仕出し弁当が届いた。
感謝して余りあるのだが、文化の違いを感じた。
田舎の仕出し弁当って、どうして、あんなにデカくて、内容量が多いのだろう?
刺身、寿司、てんぷら、焼き魚、野菜の煮物、酢もの、フライ、ミニ饅頭、フルーツ・・・
見ただけで、もう、お腹がいっぱいになってしまった。
下娘は、
「この量が食べられるのは、現役男子高校生の野球部員とか、かなあ」
と、ぼつりと感想。
ひとは、見た目が7割?8割?というが、
お弁当、食べ物も、見た目が大事。
人にいただいておきながら、文句を言う、最低の性格のわたしであり、
石を投げられるだけでは、もはや済まず、地獄に落ちそうなのだが、
地域色、年代の違いが、文化の違いを生むのだろうか。
単に好みの違い?
わたしが、刺身があまり好きではないからか?
義母は、料理もかなり得意で上手だし、こまめに、あれこれ創意工夫して調理し、好みもうるさいのに、
彼女が選んだとは思えない、田舎仕出弁当だった。
いちども、その店に行ったことも、注文したこともないらしいが、今回は、なぜ、そんな店を選んだのか、
そのいきさつは、知らないが。
(だいたい、勝手に想像はしているが、確かめる必要性もないし)
お礼の言葉、感謝の気持ちは、ちゃんと伝えた。
「ボリュームが多くて、二日にわたっていただきます」とも、伝えた。
ただし、「美味しく」いただきました、というべきところの、「美味しく」という部分だけを抜いておいた。
やはり、わたしは、地獄に落ちるべきか。
しかし、感謝して余りあることは事実だ。