蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

リアル人に知られたら、ブログ閉鎖する?

2012-07-07 | ブログ

リアル知人が、大勢、自分のブログの存在を知ったら、どうするか?

よほど、特徴がないと、ブログを発見できないはずなんだけれど、ある人の場合は、
いともカンタンに、キーワード検索したら、すぐ見つかったそうだ。

それをわざわざ、わたしに、「発見したよ」と報告してくれるところが、我々は、清く、正しく、美しい、善人のお付き合いだ。
(実際、あまり、ドロドロしてない。
実家ネタでは、わたしにとって、あまり、おもしろい、おいしいネタは、ころがっていない)


たくさんのリアル人に知られたら、迷わず、閉鎖するとおっしゃる方々も当然、おられる。
なるほど、そりゃあ、そうですわな。

わたしもブログを閉鎖するという手もある。しかし、面倒というのもあるが、
今までやってきたものを、(業者は儲かって嬉しいだろうけれど)、1部か2部、製本して記念に取っておきたい気もする。
旅行の写真とか、全然、プリントアウトも、整理もしないで、このブログにだけアップしているし。
日記やアルバムも兼ねている。
閉鎖せずに、でも、更新しないままだと、蜘蛛の巣が張って、廃屋、宙ぶらりんになるのもツライし。


そもそもリアル知人が、このブログを知ったのは、
わたしが、うれしそうに、「ねえ、読んで、読んで」と宣伝したわけではない。
教えて、と乞われて、お教えしたまでだ。
(あ、でも、一人、中学の時の同級生には、一生に数回しか会わないんだし、調子に乗って、うれしそうに教えたかも。
彼女から、ブログと、リアルなわたしのイメージが違うって、クレーム感想が来たんだった)

ひょっとしたら、数人は、ブログ開設当初、話のネタに、自主的に教えたかも知れない。
mixiの自己紹介で、貼り付けたのがマズかったか?
(そりゃあ、マズイわなあ)

知られて、飛び上がるほど困ることは書いてないつもりだけれど。
ほとんど、ひとりごと、ぼやきや愚痴のようなことばかりだから。
困ることは、少しあったとしても、わたしは、あまり自分の気持ちや行動を表に出さないので、
ブログを読むと、いちいち説明しなくていいので、手間が省けるということもある。
知られたくないことは、書かなければいいわけだし。

ということは、知られたくないことなんて、ほとんどないってこと?
否。いっぱいある。
だが、自分の内面の醜い部分は、隠したまんまで、べつに、そのまま抱えてたって、その毒が回るわけでもない。
それとも、ブログに書いているようなことは、ほんとうは、恥ずかしくて言えないようなことばかりなのかも?
わたしが、恥知らずで、無神経なので、あまり恥を恥と、感じないのかも。

だらだら、マイナスの内容を書いていたら、「あれは、鬱陶しい」とか、面と向かって言われる。
そういうことをリアル人に、知られたり、言われたりして平気なこと自体が、理解していただけないのだろう。

べつに、こころの奥のものを、ぐさっと突付かれて、平気なわけでもないのだが、
こころの奥をさらけ出して書いて、目に触れられることを承知で、わざわざアップしているのは、自分だし、
それをとやかく言われるといっても、ほんの1~2分程度、さらっと感想を述べられるだけだから、べつに、どうってことはない。
「明日から、取引中止だ」、とか、「給料は、もう、渡さん」とか、「今まで、あげたものを、ぜんぶ返せ」とか、
「今後、いっさい、顔も見たくない」とか、「1週間以内に、荷物をまとめて出て行け」とか、
そんな、実生活に直結するようなことは、ない。

この感覚が、おかしいのかも?
だが、わたしにとって、ブログは、たんなる趣味、おアソビなので、何を言われても、べつにいいのだ。

大きく、わたしの生活に力を及ぼすとか、影響があるとか、制約を加えるとか、そういうリアル人は、困るが、
べつに、そんなことがなければ、どうってことはない。
蚊に刺された程度だ。
その感覚、このずうずうしさ、厚かましさ、無神経ぶりが、きっと理解を超えるのだと思う。

そして、リアル人といっても、一人を除いて、日ごろ、会うわけでもないので、これまた、どうってことない。
この、たった一人でも、そこが肝心で、
日ごろ会うリアル人に、ブログを知られ、その内容を話題に取り上げ、べらべら話す、ということ自体が、
皆さんにとって、ありえないと想像する。


最近は、ああした、こうした、あれ食べた、ここ行った、あれ、見た、なんてレポートっぽいものはアップしていない。
やっているうちに、だんだん飽きたんだろう。
めんどくさくも、なっている。
また復活するかも知れないし、別のその分野に特化したブログで紹介するかも知れない。

ブログも生き物なので、そのとき、そのときの、流れや特徴、テイストが移り変わり、異なる。
それに応じて、ブログをリセットし、新しく作り直せばいいのだろうけれど、わたしは、几帳面ではなく、めんどくさがりなので、それをしない。
しないまんま、続けていると、年月と共に移り変わるブログになり、これまた、自分では懐かしくて、顔から火は出るが、
それはそれで、でこぼこで整っていない天然の、また別の味わい。

過去の自分も、自分、今の自分も、自分、これからの自分も、自分。
ぜんぶ、自分だが、同じところもあるし、同じでないところもある。


人さまが、自分になんぞ、興味を持ってくれるということは、ある意味ありがたい。
これだけ、長々と書いていると、読んでくださるなんてことは、おそらくないだろう、と、はじめっから諦めている。
たとえ、リアル人であろうが、知らない人であろうが、
わたしは、ふだん、あまり、ひとと深く付き合わないので、せめてブログでぐらい、ホンネを言いたい。

ただし、わたしは、このブログを知るリアル人の、悪いことは絶対に、ここには書かない。
そのほうが、無難。
情報の一方通行だけど、しょせん、わたし自身の情報など、たかが知れている。


こう、延々と長文を綴っていると、ほんとうに、眠くなってきた。
上まぶたと、下まぶたは、仲よし、こよしだ。
もう寝ることにします・・・

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