社交ダンスネタです。
はい、ここで、お帰りの方、せっかくご足労頂いたのに申し訳ありません。
(といっても、手間は、ワンクリックでしょうけれど)
でも、どんな分野にも共通する、精神論でもある。
(だから、社交ダンスネタの時は、いつもすっ飛ばす、とおっしゃる方、帰らないで、ちょっと読んでください・・・)
今日の個人レッスン、教わったことを覚えていないので憂鬱だ。
先週はお休みだったので、2週間あくと、完全に忘却の彼方。
わたしは、覚えは、いたって悪く、その場で覚えきれていないものを、
どうしてそのまま放置して2週間のブランク後に、いきなり出来る?
出来るわけがない。
実は、この個人レッスン、わたしには、ブタに真珠で、悩んでいる。
幼稚園児に、東大の教授がつきっきりで専門に、ついているようなもの。
音楽系などでは、英才教育で、小さい頃から有名な先生に師事して、
遠方地から親が付き添って東京に通う、なんていうこともあるようだが、
わたしは、ぜんぜん違うわけでして。
北島選手に、水泳を習っているようなもの。
わざわざアメリカに行って、イチローに、野球を教えてもらっているようなもの。
わたしなんぞには、近所の、ちょっとその道が得意なおっちゃん、おばちゃんレベルでいいのだ。
イチローが、わたしの打った、とてつもないヘンなボールを、グランド狭しと、拾いに走り回ってくれているのを見て、
こりゃあ、もったいなさすぎ・・・と、感じているのに近い感覚だ。
わたしが、ちっとも覚えないので、何回も何回も何回も、幼児に身振り手振りで、振り付けをつけるかのごとく、
(いや、サルか、犬に教えているかのごとく。いや、彼らのほうがもっとカシコイ)
いくら、生活の糧だといっても、優秀な踊り手に、そんなことをさせては、いけない。
すごいエリートのサラブレット馬に、馬力をふりしぼって、荒れた田んぼを耕させるようなもの。
オーラがする、ため息がでるような、素晴らしい華麗な踊り手に、あんなことをさせてはいけない。
あまりの覚えの悪いわたしに、うんざりしながら何度も教える先生を見て、そう、前回、しみじみと思った。
先生は、こんなことをするために、ダンスの世界に入ったのではない。
でも、現実と理想の差は、こんなものだ。
ハレの舞台に立つためには、自分たちの苦しい練習もそりゃあ、欠かせないが、
それよりも、お金を稼ぐための、レベルの低い客に、くだらないレッスンをすること、
それは、割りきらなければならない。
いくら虚しくても。
こちらは、高いお金を払っている。
あちらは、高いお金を受理している。
ただ、金銭のやりとりで成り立つといっても、そう割り切れるものでもない。
人(の力)を買うのは、それなりにお互いが納得しなければ、人身売買みたいになってしまう。
・・・で、いつも緊張する、その素晴らしい先生・・・
もう1年になるが、いまだに、わたしは緊張している。
そして、緊張のあまり(じつは、たんに覚えが悪いだけ)、覚えられずに、レッスン中はもちろん、終わったあとも後味も悪く、
こんなデキの悪い生徒では、先生も戦意が失せるだろうし、たいへん申し訳なく、
たとえ、お金で成り立っているにせよ、とても、とても、こころ苦しい。
なので、そろそろ1年。
もっと自分にあった、荒れ果てた、かちんこちんの田んぼを、ともに汗水ながして耕してくれる、
エリートでなくてもいいから、見かけも悪くてもいいから、丈夫で、力持ちな、先生にチェンジしようかと思い始めている。
こんな、ブログ更新しているヒマがあれば、2週間前の、忘れきっているステップを、いま、復習すべきだ。
はい、そのとおり。
どんな先生が助っ人として手を貸してくださっても、
実際にやるのは、実践するのは、汗をかいて努力すべきは、自分自身に他ならないのだから。
がんばろっと、今から10分、練習しよっと。
(時間、少なすぎか・・・)
それよか、眠くなってきた、わたし、・・・こりゃ、もう終わってる?!