蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

今日も理解できない、あぁ、哲学

2012-07-18 | ブログ

ふと、このブログの編集画面で、クリックする場所を間違えて、トラックバック管理のところをひらいた。


すると、見覚えのない「保留」が、いくつか溜まっていた。


トラックバックは、広告っぽいものや、首を傾げたくなるものが多いので、
いつしか、トラックバック管理をチェックしなくなって久しい。


が、今回は、哲学のトラックバックになっていて、そのブログに飛んでいった。
朝の時間がない中で、飛ばし読みは、あまりにも失礼であるし、わたしの脳ミソも速読を許さないので、
時間のあるときに、細部はゆっくり読ませていただくことにする。
やわらかアタマと、考えるアタマのバランスが、絶妙で、ユーモア・ペーソスも感じられ、なかなか好感度が高い。
内容は、わたしの好きなフィロソフィー。
日常の言葉に置き換えて、わかりやすい言葉で書いておられる。

わたしも、哲学は好きなのだが、
いわゆる、学校で学ぶ、学者による学問の哲学は、硬すぎて、歯に合わない。(今、治療中)
刃にも合わない。
かっきーーん、と、脳ミソの外側で跳ね返され、しかも、刃は、ぼろぼろになる。


もっと、単純な疑問、明快な答えが欲しい。
わたしは、もやもやの霧のなかで、一人で自問して、一人で答えるという、ぐるぐる人生哲学・自問自答パターンが多い。


日常生活において、どうでもいいことで、
答えが出ても、どうってことなく、答えが出ない時と同じ生活を送るケースが多い。


この、あわただしい、朝の時間に、手際よくまとめるには、手ごわい内容だが、
わたしは、どうでもいいことを何度も何度もこねくりまわすのは、キライではない。
逆に、一秒も早く結論を出さねばならないことや、行動に移さねばならないことは、
一秒でも遅く引き伸ばしたい、槍が降っても動かない、へんなところにマイペースぶりを発揮するタイプだ。


なので、哲学めいた話を、煮詰めて、もとのカタチがわからないほど、煮詰まって、疑問自体がわからなくなって、
もはや、アタマの交通整理係のおじさんは、いずこへ・・・、
わけがわからないことも、わからなくなって、寝てしまう・・なんてことは、結構好きだったりする。


実生活では、オシリに火がついているのに、アタマのなかは、一日中、釣り糸を垂れている、水墨画の仙人のごとく、なのだろう。


というわけで、時間があれば、さらに煮詰めたいところだが、
洗濯機の洗濯終了音と、目の前に迫る出発時間とで、ここで、いきなり、哲学は、強制終了となった。


 


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