蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

付き合ってください

2012-12-04 | 日々のこと

仙人オフデーが続き、やっと、仙人の日常が戻った。
でも、いつものごとく、時間がない。

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「まいにちフランス語」という、ラジオフランス語講座を毎朝、聴いている。
(実情は、BGMとして流している・・・が、正解)
もう、かれこれ3年(正確には2年9ヶ月)になる。

内容も、再放送されているシリーズが、いくつかあり、再放送も今で二つめ。
テキストは、前のものを利用し、買わない。
基礎編(月、火、水)と、応用編(木、金)に分けられていて、
まるまるすべて同じものが再放送されるわけではなく、
基礎編か、応用編のどちらか一方は、新作である。

応用編は、最初の1年で、完全に落ちこぼれた。
ラジオから流れる音をBGMとして流すだけにしていたが、今では、ラジオの電源を入れないことも多々ある。
まったくわからないし。
ただ、フランス語はわからないが、日本語に解説した内容が気に入っている場合もある。
例えば、2010年4月から放送された(その後、再放送もあった?)、
フランス文学を毎回、紹介していったシリーズは、はじめてラジオ講座を聴いた時であったこともあり、
楽しく聴き、紹介されていた「ナナ」という小説まで買って読んだ。
男性を次々と破滅させる娼婦ナナのお話だったが、
翻訳本は、いかにも、日本語訳が、もたついているというか、
19世紀?当時の部屋のカーテンの様子とか、すらすら読みにくい、ガタピシした内容だったので、アタマもガタピシきた。

まあ、それは、最初に、頬を高潮させて、初々しくラジオ講座を聴いていた頃の話。
今では、再放送なのに、初めて聴くかのごとくの、違う意味での新鮮さ。
まったく記憶にない内容を、かなり多く含む。
テキストに自分で、メモを書き加えたりしている、その筆跡をみると自分の書いた文字のようだが、記憶がない。
ただし、初々しいのではなく、ふてぶてしい。

数字の数え方で、フランス語習得を脱落したという人は多い。
なんなの? あの、けったいな、複雑な、わけのわからない数え方は?
わたしは、10までカウントできるが、そこで、脱落した。じつに潔い。

放送で、覚えているのは、イラストだったり、声優の声だったり。
合間に入る、短い音楽だったり。

今は、パトリスと、たかちゃんの軽妙なやり取りが楽しい、再放送だ。
で、やっとこさ、ここからが、本題に移る。
(なあんだ、フランス語のことじゃなかったの?
はい、フランス語、ちんぷんかんぷんなんで・・・)

で、で、・・・です。
話は、ここから・・・です。

昨日の放送で、フランス人は、「付き合ってください」と、告白してから付き合うのではなく、
いきなり、ナンパからでも気が合ったら付き合うそうな。
「付き合って」と言わなくても、ふとしたキッカケで愛が生まれることがフランスでは日常だって、
パトリスが、そう言っていた。

日本人は、告白してから、付き合うという人が多いとか。
特に若い方々?
へ~、そうだったの?

「前から好きでした。付き合ってください」
片膝を地面につけ、ひざまずき、花束を差し出すシーン。
(あ、これは、プロポーズの時か? 漫画的、金太郎飴パターンの連想)
わたしのイマジネーションは、貧困そのものだ。

ちなみに、わたしは、そんな経験は一度もない。
これって、お付き合いに移ったの?と、感じるヒマも、余裕も、瞬間もなく、
(あとで、思えば)付き合い始めは、初対面の時、というのが、ほとんどだ。
初対面でない場合は、後になって、ああ、あの頃が付き合い始めの頃だったんだ、と
記憶をさかのぼって逆算する。

いちいち、「付き合ってください」、とか、「付き合ってくれる?」とか、
前置き、許可、そんなの、役所の手続きじゃあるまいし、めんどくさい。

なんで、そんなお役所・手続きがいるんだろう?
わたしは、無粋人間なので、この年になっても、まったく理解できない。
「いやです」
「どっちでもいいです」
「勝手にして」
などと答えられたら、どうするのだろう?

「再考、再検討をお願いします」
「そんなこと言わないで、さー」
「がっかり」
「オレ(わたし)のどこが気に入らん?」
みたいに、各人、いろんな反応があるのだろうか。

「付き合いますが、好きになるかどうかわからないけれど、それでも、いいですか?」
なんて、こころのスイス人みたいなお返事をする場合もあるのだろうか。
「それでもいいので、付き合ってください」となるのだろうけれど、
「ぼく(わたし)のこと、好き?」って、ころあいを見て聞くのだろうか?
「あと、少しです」
「まだです」
「なかなか、遠いです」
「程遠いです」
とか、答えるのだろうか。

まともにフォーマット通り、順序だてて付き合ったことがないので、シュミレーションが、貧困すぎて笑える。

で、わたしの、貧困中の貧困の、結論。(まだ、早いか?)

人は、世界中で同じ顔の人は一人もいないように、(一卵性双生児は、知らん)
特定の人と人の付き合い方は、世界中で一つとして同じ付き合いかたは、ない。
なので、参考にしたり、カンニングしたり、理想として手本にしたりするのは、けっこうだが、
自分たちには、自分たちの付き合いかたしかない。

自分は、世界に一人しかいないから、「これが、自分流の付き合い方だ」、と思っていても、
相手も世界に一人しかいないから、これまた、相手流の付き合い方というものがある。
お互いが、自分流を通せは、ややこしいし、(いつも、話し合い、調整し合い、けんかし合い。
交互に譲り合うとか、中間をとったり、とか、前進ならいいけれど)
それより、もっともっと、いちばん、ややこしいのが、お互いが、お互いともに、相手に合わせるというパターン。
どうすりゃいいの?


「わたしは、いつも、こうです。こういう付き合いかたをします」なんて、言い切れないと思う。
だって、相手が違えば、付き合い方も違うはず。
それが、毎回、同じパターンになるのであれば、ごり押し?
前の人との付き合いの事例は、活きてないのか、
あるいは、よっぽど、具合がよくて、「よし、これでいこう}と、黄金の定番として定着したのか。
でも、付き合いの前例、ってことで、今は別れてるってことは、死別でもない限り、ベストな付き合い方ではなかったということだ。

夢に描く「お付き合い」パターンが、いつも同じシチュエーションというのは、よくわかる。
だが、わたしの場合は、その夢がない。
ただただ、笑えてしまうのだ。
ほっぺを真っ赤にして、はにかんでいる自分を想像するだけで。

本でいえば、最初に解説を読む。あるいは、本に巻いてある帯の一行だけ読む。
それに近い。
プロローグとか、しちめんどくさい。
どうせなら、全編、プロローグで、本編なし、エピローグなし、解説なし、とか。
作者に頼らず、自分だけの世界で、自分で組み立ててしまうってのは、どう?

「付き合ってください」
そう言われたら・・・わたしなら・・・どんな相手であっても、
「はい、こんな、わたしでよかったら」
「でも、あとは、知らんよ」だろうか。

プロポーズなら、真面目に取り組むけれど。

アラブの王様に、プロポーズしてもらって、第四夫人ぐらいに、なってみたいかな?
おもしろい人生経験が出来そうだし。(オイルダラーを一度でも浴びてみたい・・・)
ただし、第一夫人ではないところが、ミソ。
あるいは、武装ゲリラに誘拐されて、愛が生まれ、自分もゲリラとして活動するとか・・・
そういう激動の人生も、味わい深いか?(わたしは、ノーサンキューだが)

どこかの、時が止まったような田舎町で、ロッキングチェアーに揺られながら、
窓の外をぼーっと眺めて、季節の移り変わりを感じながら、一句作ったり・・・・
肘の抜けたエルボーパッチ付きセーターや、馴染んだオーガニックコットンシャツをさりげなく着こなした、
気さくな、ステキな仲間(ほんの少数)が、まわりにいて、肩の力を抜いて暮らすのも、いいなあ・・・

などなど・・・
「付き合ってください」とは、正反対の、
お役所仕事の苦手な、わたしであります。

 

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