蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

偉いひと、偉くないひと

2012-12-07 | 日々のこと

感謝されたい、認められたい、これは、人間のまともな欲求であります。
わたしは、仙人予備校時代には、なにも考えていなかったけれど、
仙人ぴかぴか1年生になって、まともではなくなってきている感がある。


感謝しろとか、認めろ、とか、迫ってこられると、過呼吸?になって、うっと、なって、
チアノーゼ気味の顔色になってしまう。


お互いが自然体でそうあるべきだが、仙人学校の校長先生でも、難しい技かも知れない。


無言のプレッシャーも、恐ろしい武器である。
いっそ、「1000円、よこせ」
「合計24000円いただきます」、
などと、お代金でも請求されたほうが、あっさり、さっぱり、その場その場で、精算できていいかも。
うやむや未清算がたまると、ろくなことがない。
うっぷんや、恨みなどとは正反対の、感謝や感激など、プラスの思いなら、よろしいが。


仙人は、実生活に疎い。
というか、実生活が苦手で、仙人になった。(まだ、実習生で、仙人になっていないけれど)
霞ばっかり食べていても、生きていけないし、
理想ばかり高くても、現実が、「あれま?なにやってんの?」と、マヌケなら、なんの説得力もない。


人さまに向かって声高に言える人は、実生活もちゃんとしてないと。
しかも、人と比べて、どこの誰にも文句が言えないぐらい、ちゃんとしてないと。
(だが、自分は完璧と思っている人ほど、鬱陶しい人はいない)
世界中の人から賛同、絶賛を浴びる実生活って、どんなだ?
おえらい高僧だって、自分の衣類、ちゃんと自分で洗濯してる?
王様やお妃さまだって、自分のこと、自分でしてる?
じゃあ、自分のこと、自分でしてる人は、そんなに偉い?
自分のことを自分でするのは、あたりまえ、と思うけれど。
まあ、役割分担や、適材適所という、合理的采配もありだけれど。

人のあげ足ばっかり取って、なにが面白い?
なので、わたしは、人前には決して出ることもなく、山にこもって、ひっそり暮らしている。
(あ、これ、精神的に・・・です。抽象的心象風景です。
いちいち説明するのも、どうかと思いますが、
たまには、説明しておかないと、誤解を生んではいけないので)


ただひとつ、現時点で、リアルタイムで、最高気分なのは、
・・・今日のブログが、ここで終わりそうなこと。

わたしも、つまらん人間であります。・・・つくづく・・・


 


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