感謝されたい、認められたい、これは、人間のまともな欲求であります。
わたしは、仙人予備校時代には、なにも考えていなかったけれど、
仙人ぴかぴか1年生になって、まともではなくなってきている感がある。
感謝しろとか、認めろ、とか、迫ってこられると、過呼吸?になって、うっと、なって、
チアノーゼ気味の顔色になってしまう。
お互いが自然体でそうあるべきだが、仙人学校の校長先生でも、難しい技かも知れない。
無言のプレッシャーも、恐ろしい武器である。
いっそ、「1000円、よこせ」
「合計24000円いただきます」、
などと、お代金でも請求されたほうが、あっさり、さっぱり、その場その場で、精算できていいかも。
うやむや未清算がたまると、ろくなことがない。
うっぷんや、恨みなどとは正反対の、感謝や感激など、プラスの思いなら、よろしいが。
仙人は、実生活に疎い。
というか、実生活が苦手で、仙人になった。(まだ、実習生で、仙人になっていないけれど)
霞ばっかり食べていても、生きていけないし、
理想ばかり高くても、現実が、「あれま?なにやってんの?」と、マヌケなら、なんの説得力もない。
人さまに向かって声高に言える人は、実生活もちゃんとしてないと。
しかも、人と比べて、どこの誰にも文句が言えないぐらい、ちゃんとしてないと。
(だが、自分は完璧と思っている人ほど、鬱陶しい人はいない)
世界中の人から賛同、絶賛を浴びる実生活って、どんなだ?
おえらい高僧だって、自分の衣類、ちゃんと自分で洗濯してる?
王様やお妃さまだって、自分のこと、自分でしてる?
じゃあ、自分のこと、自分でしてる人は、そんなに偉い?
自分のことを自分でするのは、あたりまえ、と思うけれど。
まあ、役割分担や、適材適所という、合理的采配もありだけれど。
人のあげ足ばっかり取って、なにが面白い?
なので、わたしは、人前には決して出ることもなく、山にこもって、ひっそり暮らしている。
(あ、これ、精神的に・・・です。抽象的心象風景です。
いちいち説明するのも、どうかと思いますが、
たまには、説明しておかないと、誤解を生んではいけないので)
ただひとつ、現時点で、リアルタイムで、最高気分なのは、
・・・今日のブログが、ここで終わりそうなこと。
わたしも、つまらん人間であります。・・・つくづく・・・