世の中の主婦の皆様は、クリスマスの後は、迎春準備にかかっておられることだろう。
クリスマスイブも、ターキーやら、チキンやら、ケーキにロウソク、窓の外は雪、ホワイトクリスマスの曲・・・
昨夜は、クリスマスっぽい演出で、ロマンチックなイブを楽しまれたことだろう。
さて、わたしは・・・といえば、
イブのメニューは、チャーハンと、二日前に作った野菜スープのみ。
お昼は、醤油を入れすぎて、へんに辛い、野菜と厚揚げのごった煮。
絶対、わたしは主婦ではない。
主婦の風上にも、風下にも、隅にも、床の下にも、置けない。
こんな、つまらん、手抜き中の手抜きチャーハン(じつは、たんなる、炒めヤキメシ)を、
「美味しい!」と、夫は一言。
なんか、気の毒というか、なんというか・・・。
宦官みたい?にしてしまった?
まあ、彼は、連休は、お遊びに出かけて留守だったので、夜、「ただいま~」と帰宅直後の、
留守にしていた、家族に対する引け目みたいなものもあって、
どんなマズイものが出ても、よっぽどでもない限り、「美味しい」と、言うのだろうけれど。
新米をどっさり、食べきれないほど農家から毎年いただいているが、
別の方から、前年の、ご大層な包装で送ってくっださった、どこやら産コシヒカリ、その他を余らせていて、
その古米は、そのまま食べても、いくら優秀ブランドでも、味はごまかせないと、思い、ヤキメシにすることにした。
(元ミスユニバースの、おばあちゃん版。
いくら美しくても、決定的な年齢による劣化は、ごまかせないのと同じ)
下娘は、目下、引きこもり、受験体制。年内からみっちり続き、正月もなし。
お茶を補充しに来る時以外は、ダイニングに顔を出さない。
せめて、その娘のために、一瞬でも、クリスマスっぽくしてあげればいいものを・・・。
なんでかねえ・・・。ほんとに、悪い母、妻。しみじみ・・・。
家族のために尽くさない人物像・・・それは、わたし。典型的。
と・・・ここで、下娘が、お茶の補充と、ブランチに下りてくる。
で、昨日の夫のお土産の、どこやらホテルの肉まんを電子レンジで温めて、二人で食べて、食事は1分で終了。
今から、わたしは、出かけるわけであって・・・
かわいい娘をほって・・・、ああ、悪い母・・・許してね・・・
昨夜も、他の家みたいに、華やかにメリークリスマスしないで、ごめんね、
(七面鳥、クラッカー、パンパンッ、シャンパン、プシューッ、ジングルベル、鈴の音、
サンタとトナカイさん、カミングホーム、ウエルカム・・・英語むちゃくちゃ)
と、下娘に言うと、「わたし、もう、○○才なんで」と、クール顔。
(そうね、その年齢は、わたしは、すでに子供が2.5人いた)
ああ、そうだった、オトナなんだった。
しかし、年はいっても、わたしなど、立派な年齢だが、内容は、まるで子供だし。
「そんなもんは、やりたい人がやれば、いいんや」と、下娘。
ほんと? それでいいの? ねえねえ・・???
と、いやらしげに、細目斜め目、猫なで声、すり足で、にじり寄る、わたし。
二つの相反することを同時に行うのは、スーパーマンでもない限り、なかなか、難しい。
ただでさえ、欠陥品のわたし。
「家庭的」「家事万能」「主婦」という路線とは、きっぱり決別しよう。
まるで、能動的に自分で選択して、採択したような書き方だが、たんに、落第、転落しただけだ。
器だけで、中身の伴わない、冷めた家庭、という、クール宅急便の宅配車のような家庭をコンセプトにしよう。
家庭とは、もはや言わない、家族が単体で、同じ家に住んでいる、というかんじか。
だが、これは、逆説的にとらえると、離れて住んでいる家族たちにも、同居しているのと同じ感覚を持てる。
住所は離れているけれど、家族。
同じ住所でも、家族。
温かいナマの血が通ってない、人形の寄り集まりのように、他人には感じられるかも知れないが、
けっこう、ふつうに、トラブルもなく、平和に暮らしている。
ただ、子供たちが家庭を持ったとき、どんな家庭を築くのかが心配だ。
砂の上に建つ要塞を造りあげたとしたら、わたしのせいだ。
幸運なことに、上娘のだんなさんは、とてもいい、よく出来た方なので、娘の不出来な面を補足してくれている。
朝ドラ「純と愛」の愛クンみたいなかんじだ。
わたしは、彼には、足を向けて寝られない。
上娘は、いろんな方々に、「よく出来ただんなさんだ」と言われるようで、
そんな、だんなさんを見つけてきた自分が偉いのだ、と、豪語しているが。
(それなりの、要所要所は、フォローもしていると思われる)
幸せのカタチは、家庭によって様々。
人が見て、外から見て、どう映ろうが、自分たちが、信念持って努力してたら、いいのでは?
ただし、わたしの場合は、信念持って、さぼっている。
これは、誰の目から見ても、神からの罰が下りそうだ。