クリスマス前、連休前夜の土曜日、街は、人でごった返していた。
レストラン、カフェ、人、人、人、、、。
自民党、安倍さん、お札を増刷するってことで、大判振る舞い政策の予兆?
今だけか?
高級店は予約が入らない状態、中級店も、低級店も、それぞれ、ごった返していた。
一年に一度、恋人たちは、張り切るのか?
店は、今が稼ぎ時といわんばかりに、商売っ気を出して、ぎゅうぎゅうに客を詰め込み、時間制でフル回転、
普段は取らないテーブルチャージ料や、ミネラルウォーター代を、ちゃっかり、請求書に入れ込んであり、
呆れるを通り越し、怒る気力も起こらず、「仕方ないわね」、と、力のない微笑を浮かべるばかり。
地下鉄でも、忘年会帰りの初老軍団、ひときわ声も大きい。
とくに、おばちゃん。
でかい、でかい、でかい声。
若い乗客が、思わず、ばかでかい声のするほうを、身体をよじって見ていた。
「いったい、だれや? うるさいなあ・・・」
そんなかんじの顔で、苦情ありあり感。
わたしは、そのうるさい軍団がたむろしている場所と同じあたりに立っていたけれど、
「わたしではありませんよ、違いますよ。
わたしが、しゃべっているのでは、ありませんから」
そう誤解を解きたい気持ち、ありあり。
巻き込まれただけの、切ない、無実の弁明・表情。
地下鉄、誰も話してない車内に、ひときわ声の通る、おばちゃんの大声話が長々炸裂し、
それを受けて仲間内で、大きな笑い声が、どっと、とどろき響く。
わたしが立っていた地点を囲むように、どやどや入ってきた、初老軍団は、
社交ダンスのレッスン仲間の忘年会帰りのようだった。
教室に新しく入ってきた生徒で、気に入らない態度の人がいて、いかに、その人物を追い出そうかと、
熱心に作戦会議中だった。
メンバーの中には、ダンスの先生とされる女性も混じっていて、この女性がまた、ほんとに先生?と疑うほど、
がはがは、笑い、べっちゃくっちゃ、くっちゃべるお方。
わたしのイメージする、先生とは正反対のタイプ。
それよか、わたしより背か低い、その先生の茶髪(白髪染めのキツイやつ)が、ぼわんぼわんと、
わたしの鼻のあたりをもぞもぞ、ぱらぱら入ってきそうで、
同時に、すごいキツイ香水のニオイとともに、わあーー、助けて~となった。
わたしこそ、被害者なのに、若いニイちゃんから、
うるさ軍団の一人と勘違いされているかも知れない、疑惑視線を感じるし、いい迷惑だ。
いやはや、同じ社交ダンスを志す者でも、
いくらお酒が入って、店の延長のまんまのあのノリには、いささか閉口する。
ぜったい、この人たち、上手になんか踊ってない、ド下手・初心者だと、確信の目を向けた。
(根拠は、ないけれど)
それにしても、お元気ですねえ。
逆に、元気のない、お年を召した方々も、街で目に入る。
喫茶店や、その他でもお見かけするが、
その周辺は、空気が止まっているというか、どよっとして、澱みを生じているというか、、、、
同じ年代でも、ものすごい個人差を感じる。
あの違いは、なんだろう?
ご本人は、さほど、感じていないと思うが、
周囲に与える雰囲気が、ねずみ色になっている。
服装が、ねずみ色だからか。
だとすると、サラリーマンのスーツも、ねずみ色だ。
でも、そのスーツイメージとは、また違う、あの、ねずみ色。
独特の、上から下まで、ねずみ色ファッション。
安らぎ、落ち着き、癒し、とは違う、どよどよっとした、生気のない空気感。
などと失礼極まりなく、好き勝手を書くと、
「好き好んで、そうなったんじゃないわい、アンタになんか、何がわかる?!」と、
黒いものを湛えた怖い目でキッ!!と睨まれ、舌打ちをされそうだが。
そう言いつつ、もし、わたしが、お店などに入っているのを見て、
若い人は、「う、周辺に漂う、おばちゃんのニオイ」、と後ずさりするのだろう。
なので、人のことは、決して言えない。
各世代ギャップか。
同じ年代の人が集うところは、おたがい落ち着く。
若い人の集まるところに、場違い的に自分が足を踏み入れると、気まずい空気に包まれ、
あ、違う、と足が、それ以上、進まなくなることもある。
なにかの活動で、一緒なら、そんな年代ギャップ・バリアは発生しないが、
見知らぬ人同士なら、どうしても、年代ギャップ印象を受ける。
ただし、わたしの感じるところでは、若ければよくて、年がいっているのが、悪いわけでもない。
その人の発するムード、雰囲気。
きっと、その人の人生を表しているのだろう。
わたし・・・といえば、病み上がり、
キツい抗生物質のせいか、目を目一杯開けようにも、まぶたが覆いかぶさり、お岩さん状態であるにもかかわらず、
賑やかな街中に出かけているが、おそらく、目を腫らした気の毒な、おばさんに映ることだろう。