蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

プライドと、ブランドと、ポリシー

2012-12-19 | 日々のこと

台湾に滞在中、後半から、ちょっとその兆候は現れていたが、
帰国後、急性の病気に進展し、きつい一回500mm服用の抗生物質を飲んだら、
あれよあれよという間に、病状は劇的に改善した。

薬って、すごい。
自分が苦しみながら、今が、江戸時代で、抗生物質がなかったら、
日常生活を送りつつ、こんな症状のまま、何日も、何年も耐えなければいけないなんて・・・
と、考えただけで、めまいがしそうだった。
ましてや、不治の難病、原因不明、病名不明で、一生、などということにでもなったら・・・
生まれた時から健康優良児のわたしには、ほんとうに、恐ろしい気がした。

しかし、喉もと過ぎたら、ころっと忘れ、また、元の生活、ちょっとムチャをしてしまう。
今回の病気も、じつは、今日、とても大事な案件があり、片道2時間ちょいの場所に出向かなければならなかった。
わたしが、欠席すると、コトが進まず
段取りしている専門家や業者は、まあ仕方ないとして、多くの人々に迷惑をかけ、困ったことになる。
そりゃあ、立つこともできない重症なら、アタマを下げて、延期してもらうが、
わたしは、けっこう、無理をしてしまうタイプなので、人の役には立たない代わり、迷惑になってはいけない、と、
常日頃から思っている。
なので、今日のことがアタマに浮かび、発症した時は、とても困惑した。

でも、どうにか行けそうなので、やれやれだ。
薬よ、このまま効いておくれ、と願うばかりだ。
そのうち、自分の治癒力で、本格的に治るだろう。
病状が安定すると、とたんに、楽天家のわたしに戻る。

やはり、こころとからだは、ぴったり寄り添っていると感じる。
病気なのに、明るく強いこころを維持する人は、アタマが下がる。
わたしには、できない、至難の技だ。


ちなみに、ハナシは変わって・・・
(もう、その重要案件の件で出かけないといけないのに、追加して、時間、大丈夫か?)

ノーブランドの服や、持ち物を持ち、ブランドは、自分だ!!というポリシー、
これは、痺(しび)れる。
とすると、コピー商品を持つ人は、いったいどういうポリシーなのだろう?
いっそ、ノーブランドにしたら、いいのに。
コピー、知的所有権の概念自体がない、コピー王国の住民ならいざ知らず。

ちっちゃい、サイフぐらいの大きさのミニバッグが10万円、ショルダーバッグも10万円、
横にカラーの動物柄があるのが、18万円、
免税店で、売っている商品の価格を店員さんに聞いたら、そう教えてくれた。
飛行機の出るギリギリ真際の、電気ショック療法っぽい、崖っぷち的・刺激の与え方をして、
そのバッグを買おうかと一瞬、思ったが、やめた。
別ブランドで、5万円の小さな、ちゃんとしたバッグも売られていた。
まあ、けっこうデザインは良く、鏡の前で、迷ったが、それも、やめた。
小さくて、荷物の多いわたしには、役立つとは思えない。

ノーブランドの中から、気に入ったデザイン、大きさのものを別の機会に、じっくり探そうと思った。
と言いつつ、おそらく、買わないような気がする。
よほど気に入ったモノがあれば別だが。なかなか、ない。

わたし、もともとケチ。
古いもの、家具、家、耐久消費財、そういうモノ、大好きだ。
いい味、素材の持つ味、使っている人の味が、加味される。
まさに、その人そのもののブランドだ。

「買えるけど買わない、という主義だ」、なんて、書くと、絶対に反感を買うけれど、
買えないから、けなすというのでは、少し、意味合いが違ってくると思うので。
選択肢があってこその、買わないというチョイスだ。
かといって、買えない人を見下しているわけでは決してない。
買えない人は、コピー商品なのか?
買えるけれどコピー商品を買う、リアル人の金持ちも知っている。
人それぞれ、意識も、それぞれ。

自分のために買うのか、人に、見られたくて買うのか。
それも、人それぞれ。
確かに、高いブランド品を持っている人を見ると、小金を持っているのかな、とは思うが、
わたしは、根性が悪いので、一応、コピー商品かも?と疑う目も、ついでに併せて持っている。
なんと、ほんと、性格悪いなあ・・・
いや、これも、個性のひとつだ。

日本には、西洋風ブランド意識が、根付いているのか、いないのか?
明治以降、西洋の考え方は、すべて素晴らしくてマネしよう、
価値観も、・・・なのか?
日本は今、階級社会ではないので、なんともかんとも・・・。

 
ここで、時間は大幅遅刻。おしまい。
中途半場で、強制終了いたします。

 

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