蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

刀やトゲが、刺さるか、刺さらないか

2013-03-06 | 日々のこと

センセーショナルなブログには、絶対に死んでもならない、なれない、蝶ブログ。
だが、今回のことで、思った。

なにかブログ村で出来事があり、物議をかもす記事があり、
それを見た人が野次馬みたいに、見物がてらに、飛んでくる。
そしてポイントを稼ぐ、ということは、嫌だと感じた。
いつもの静かなポイントで充分だ。いえ、ありがたく感謝だ。
いっそ、ブログ村を抜けようかとも思ったが、一瞬、思っただけで、行動には移らなかった。

感覚が合う人だけが、来てくださればいい。
感覚が合わなくても、キライでも、なにかを求めて来てくださるのも、自由。
メンバー限定とかにして、鍵をかけておくわけにはいかない。
もともと、不特定多数の人が行き来できる、双方向交流できるのが、ブログの特徴だ。


前に、母に、買ったばかりの花柄の服を着ていったところ、
「どこがいいのか、なにがいいのか、さっぱりわからない! 」
と、率直、ストレート、素直な感想を言われて、その後、一度だけしかその服は着なかった。

むっとした。
いくら母親でも、人が、買ったばかりの服を嬉しそうに着て楽しんでいるのに、
それをぶっつぶし、ぺちゃんこにするなんて、とアタマにきた。
母は、素直に感想を言うことで、なにかプラス面があったか?
「前々から『センス悪い』って、言おうと思ってたんだ。あ~、スッキリした」というほどの効果もなかったと思う。

例えば、あまりにもその服が変なので、母親として恥ずかしいとか、世間体を考えて、とか、
不愉快このうえない、とか、一般的に見ても、アタマや常識を疑うようなセンスだとか、・・・。
わたしのためを思って、みっともない姿を世間にさらさないよう、阻止しようした、とか。

そんな社会的意義、正義感も、なさそうだった。
たんに、深く考えずに、感じたままを言ったまでだ。

しかし、そんなことで、めげるのは、おかしい。
その前にも、わたしが、ちょっとユニークなショルダーバッグを買って、使っていた時、
義母と実母、ふたりともに、「なんという、おかしなバッグ!」と言われた。
そのバッグは、なんと言われようが、自分が飽きるまで、ボロっちくなるまで、恥ずかしくなるまで、使い続けた。

つまり、ひとになんと指摘されようが、自分がいいと思うものは、続行する。
自分が気になるようなものは、人に指摘されたことを怨みながら、指摘されたことのせいにして、ストップする。
そいういうことか・・・。

・・・でもない。
ちょっと違う。

母が、自分の感性を押し付けてくることに、むっとしたのだ。
押し付けられて、母の感性の通りにしたところで、何が生まれる?
そもそも、自分の感性は、ひとに押し付けてくるものか?

結果的には、ひとつの服は、着なくなり、ひとつのバッグは、使い続けた。
花柄服は、気を悪くしたが、バッグは、たいして、むっとしなかった。
「きっと、そう感想を持たれるだろう」と思っていたこともあったし、感覚が違うから、気にしなかった。

この違いは、なんだろう???
服は、痛いところをふいに、突かれ、バッグは、あらかじめ、心構えが出来ていたのか?

ひとに、言われて気になるのは、自分でも自信がなかったりする、弱いところなんだろう。

ま、なんでもいいです。

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