姉のお孫さん。小学校1年生の女の子。
今年のお正月、実家で集まったとき、仏壇の前にある木魚をぽくぽく、悪戯でデタラメに叩いて、遊んでいた。
実家で、家中、ばったばったと走り回り、一人天下。
小さな子供は、彼女だけ。あとは、全員、成人。
初孫(母にとっては、初ひ孫)である彼女が生まれてから、7年間、天下は続いている。
その姿と、両親(姉の娘夫婦)を見て、わたしの上娘の感想。
「あんな遊びを放置している両親と、その環境には疑問を感じる.
教えてあげない、両親や、まわりのみんなが悪い」
ぴしゃり、手厳しい。
してはいけないこと、よくないことは、教えないとわからない、という。
わたしより、娘のほうが、断然、厳しい。
わたしは、ちょっとだけしか、思わなかったことだが、娘は、深く、しっかり思ったようだ。
お正月らしく、着物姿の義姉が、毛氈をひいた上で、本格的にお茶を立ててくれたが、
この女の子は、これまたオチャラケで、お茶立てにも参加した。
思いっきり、ちゃかちゃかと、茶せんが傷むのではないかという勢いで、お茶碗の底狭しと茶せんをまわして遊んでいた。
それはそれで、ひとつの、いい経験だとは思うが、むちゃくちゃにやっては、茶せんは、傷む。
いくら遊びだからといっても、教えるべきである。
そもそも茶せんは、何回もかき混ぜることに耐えられることを前提として作られているが、
それにも増して、ひょっとすると、義姉の茶せんは、めっちゃくちゃ強靭なミラクル茶せんで、
少々のムチャをしても、傷まないのかかも知れないが。
知らない人には、子供であれ、まずは正しい使い方を教えるべきだ、と思うのだが、
わたしの、道具を大切にしすぎるケチ根性が、むくむくと顔を出す。
おおらかに育てることと、ルールを教えないことは、別だと考える。
うちの孫が恒例のお正月・実家集合に参加することになると、おそらく、いや~なムードが漂うと思う。
なぜなら、上娘は厳しいからだ。
躾にも教育にも厳しい。
自分の子供に躾ける内容が、他の家族の子供たちと違っていた場合、ちょっとシラけるとことになるかも知れない。
上娘に、わたしが、躾けたわけでもなんでもなく、彼女は、そういう性格のようだ。
婚家の義母たちから、背中で指導を受けた部分もある。
教育の面に関しても、知らず知らずのうちに、ある程度の目標を課されていたかも知れない。
あくまでも自然な流れであると、わたしは思っているが、
家族以外の他からの目で見ると、暖かく応援なんぞ、してやる気にはならないだろう。
まわりがどうであれ、自分は、いたってちゃらんぽらんなのは、昔も今も同じ。
なので、わたしは、いまも、逆輸入のように、この教官に指導を受けている。