蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ステキな暗黒・闇タイム

2013-03-28 | 日々のこと

家の者たちは、みんな、寝た。
しーんと静まりかえる、ミッドナイト。
さあ、わたしの時間!!

きゃっと喜び、嬉しい悲鳴を発したのは、ほんの一瞬。
もう、わたしも寝よう。脳からの就寝指令。
やっぱり、朝のバタバタ時間に書くほうが、威勢がある。


ベッドサイドに、漫画が3冊ある。
いつも読もう、読もうと思いつつ、ベッドに横たわると、即、おやすみ3秒。夢のなか。
・・・のはずが、夢をすっ飛ばし、
気が付くと、「いってらっしゃい」と家族を送り出す朝。
時間は、上瞼を下瞼にくっつけた、その瞬間に、一瞬にして、消えてなくなっている。
どこにいった?
わたしの、ゴールデン・タイム。

せっかくの、黄金の、制限時間のない夜なのに・・・
たったの3秒ももたない、この、もったいなさ。
羊が1匹・・・と、数える暇もない。
電気毛布の電源を入れ、靴下を脱いで、掛け布団を整えて、がばっと、上半身にかけたら、
もう、瞬間的に朝になっている。

じつに、じつに、もったいない。

夜、テレビでニュースを観ていて、ちょっと眠くなると、机に突っ伏して、ちょこっと居眠り。
気が付くと、オデコに、縄文式の模様みたいなのが、くっきり、ついている。

電車も、座席に座れる幸運に見舞われると、喜びに浸るゆとりもなく、即、爆睡。
治安の悪い外国なら、だらしなく居眠りしていたら泥棒に泣かされるところだ。

と、なにが言いたいのか、さっぱりわからない。
自分でもわからないのだから、読んでいる人は、もっとわからない。

なにはともあれ、とにもかくにも・・・
せっかくの、時間制限なし、無限大の夜を手に入れたのに、
もう、寝ようとしている。

さあ、わたしも、寝よう。
寝る子は育つ。
寝るババは、熟成しすぎるけれど、まあ、いいや、であります。
春眠のみならず、オールシーズン、むさぼる、睡眠。
暁は、何処?

では、おやすみなさい。

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My World

2013-03-28 | 趣味

あれが、あった。これこれが、あった。
そういう楽しい話を書きたいか・・・というと、
今のわたしは、そういう気分にはなれない。

ほんとうは、毎日、充実していて、楽しいのだけれど。
書きたいか、どうか、だ。

小説にする気にもなれない。
人生経験が、壮絶でなさすぎて、平凡すぎて、甘すぎて、ぬるすぎて、薄すぎるからだ。
そして、想像力や、創造力が、中途半端すぎるからだ。
しかも、本も読まない。調べ物もしない。サイテーのサボリ人間だ。
知識を得る努力もせず、組み立てる力もない。
そして、ボキャ貧。
なので、小説どころか、ブログも、すっかり書く気力が萎えている。

人の書いたものを読むのがいちばん、楽でいい。
読むのは、難しいものや、専門分野のものではなくフツーの人が書いた、フツーのもの。
読みやすい。
なぜか。
素人だから。
ボキャブラリーの量と質が、一般的だからだ。
そしてなによりも、カンタンに手っ取り早く、ワンクリックで、無料で、読むことができる。
第一、お隣に住んでいるかのごとく、身近で親近感があり、温もりを感じる。


わたしは、ファッションモデルにはなれなくても、ファッション画、デザインは描けなくても、
自分で「こういうデザインで」と、ゼロから創造しなくても、
店で売っている、手ごろな値段の既製品の洋服を買うことは、できる。
受身は、楽だ。

セミ・オーダーもできる。
既製品をあれこれ、組み合わせる。
マネマネ・盗品、ごった煮、寄せ寄せオリジナル。
ただし、お取り寄せピックアップ、抜粋するのは、自分。抜粋の比率を決めるのも。

自分の引き出しがなくても、上を向いたり、下を向いたり、左右をきょろきょろ見たりして、
自分は、じっとしているだけで、なにもしなくても、
人様からのおこぼれ、アウトプット産物に触れ、けっこう楽しむことができる。
受動態は、楽々だ。
自分で、なんの積み重ねも蓄えもせずに、枯渇した感性に潤いを与えてもらえ、
時には、触発されることもある。


ただし、チョイスは自分。
大きな大きな大海原を泳いでいるかのごとく、選択肢は360度あるが、いろんなものがある。
自由だが、それに伴うリスクは自己責任で。

文章は、とりあえず、日本語と、外来語日本語。
英語なら、簡単な中学英語。
その他の言語は、わからない。
言語で表現される場合は、「人」「考え方・思考方法」に興味がある。


興味対象は、文章以外にも、いろんな分野がある。
また、さらにインターネットだけではなく、ブログやネット以外の、実社会、実世界でのリアルな分野。
わたしは、どちらかというと、「美」の分野が好きである。
芸術系のものが好き。
のこのこと、あちこちに出向いて、わけがわからないまま、丸のみする。
食あたりすることもあるが、意外なプラスの展開をするものもある。
んでもって、経済、政治、社会には、疎い。(なんども言うようだが)


最近は、ジャズも好きになっている。
ただし、ジャズのジャの字も知らない。
でも、いいんです。

いろんなタイプのジャズをiTunesで流す。
その曲を聴き、イメージを勝手に、脳内スクリーンに描き出す。
(音なのに音響ではなく、映像)

あ、この音楽は、純喫茶風。どしりとした、古い、昭和風の店内。
民放サスペンス2時間ドラマでの、登場人物が、深刻な話を打ち明ける時にかかる、やつ。
登場人物のメイク、ヘアスタイル、表情、ファッション、・・・古っぽい。

また、別の曲は、とある静かなBAR。
「オシャレ」という表現を使うと同時に、オシャレとは対極の位置に堕ちてしまうが、
わたしの感じる、ステキな(ああ、また、「ステキ」と入力すると同時に、対極の「ダサダサ」に陥る)
なんと表現していいのか、わたしには、その素養がないので、表現しようがないのだが、
なにしろ、洗練された(ああ、また、こんな表現・・・がっかり・・・)
そういう軽妙なフィーリング(またまた、こういう表現・・・。エンドレス・スパイラル。だれか、ヘルプ・ミー)

踊るとかではなく、もっと、軽い、落ち着いた、
こころが、ふっと、わたしの知らない、どこか別世界に入り込んだような、
でも、まったく知らないわけでもないような、
どこかにあったけれど、潜在的にあったものの眠っていただけで
たまたま、いままで気付かなかったような、
憧れの世界であるような、
でも、いままで、ダサダサの自分には接点がない、縁がないとハナからあきらめていて、それで、興味もなかったけれど、

自分が、ひょっとすると、合っているかも知れないような、
対象物・自体は、不動だが、自分が変化したことにより、新しい世界が開け、
その憧れは、遠いところにあるのではなく、その世界に自分が近づき、適応、フィットしていることに気付き、
嬉しいような、くすぐったいような、そんな気分だ。

音楽の好みが変わるなんて、今まで、ほとんどないことであった。
というより、音楽自体、べつに、どうでもよかったのだ。
受け売りや、流行っているから、とか、話題になっているから、とか、そういう、受身のチョイスでしかなかった。
自分から、音楽に寄り添っていくことはなかったと思う。

ただ、ジャンルが、ジャズなのか、クラシックなのか、まだ、流動的ではある。
どっちにしても、いままで、興味のなかった世界、分野が、自分から能動的な揺さぶりが生じ、
好みが変わる、ということ、
こういう自分の変化をとても、面白く感じる。

音楽だけでなく、芸術や、美・全般にもいえる。
美を追求するのは、わたしにとって、
永遠の夢の世界に浸ることができる、架け橋をゆっくりゆっくり上ることである。


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