好きなことを書こう。
そう思うと、楽しい気分になってくる。
わたしは、自分が大好きな、おばかちゃんである。
(おばちゃん、でもある)
自分のことを自分が好きにならないでどうする?
べつに、誰かに好きになってもらえなくても、いい。
自分が、自分を好きなら、いい。
(これ、強がり、多少、入ってます)
家族もそう。
上娘が、赤ちゃん=我が子をベタ誉めする。
「すごい、親の欲目。よく、そんなこと言って恥ずかしくないねえ・・・」とわたしが言うと、
「家族ぐらい、誉めてあげて、好きになってあげて、世界一、ファンになってあげないと」と。
なるほど・・・。
そうか、親ばかって、いいものだ。(過剰にならなければ)
甘やかしすぎ、軌道を逸した評価は良くない。
が、それは、徐々に成長する過程で、世間の中での現実に、自分で気付いて、苦労して、試行錯誤して、
自分のアイデンティティが確立される。
わたしは、親に、たっぷりの愛情をかけてもらった記憶がない。
それは、はっきりと口に出して、
たとえば「あなたは、えらい」
「あなたは、世界一、かわいい」
「あなたを愛している」
なんていう、歯の浮く言葉を、毎朝、毎夕、かけてもらった記憶がないだけだ。
そのかわりに、
「おまえは、のろい、とろい」
「おまえは、口ばっかりで行動力が伴わない」
と、母親から、しょっちゅう言われた。
父親からは、「こんなことも、わからんのか」
と、あほぶりを指摘されていた。
今思えば、それは、真実、事実を言っていただけであって、辛口アドバイスだったのだが。
さらに、「叱らずに甘やかしてきてしまったのが、よくなかった」とも母親は言い続けた。
甘やかされた記憶はまるでなく、「叱らずに~~」のフレーズばかりが、遠くアタマにこだまする。
確かに、非常に残念なことであるが、わたしは、ちょっと、とろくて、ちょっと、まぬけである。
(とりあえず、「ちょっと」という副詞を入れておこう・・・)
そして、それをあまり苦にしない、もっともやっかいな、機嫌のいい一人っ子である。(現実は、3人きょうだい)
親に言われなくても、学校でも世間でも、充分、痛いほど自覚できる機会を与えられた。
さらに、親に念を押していただかなくても、自分でもわかっているのだ。
家でも、外でも、同じことを言われると、自分の逃げ場がない。
逃避先は、脳内ディズニーランド。
アタマに広がる楽しい世界。
空想癖は、ものごころが、ついたときから始まっていた。
しかし、よくよくよくよく、ぎゅ~っと脳ミソを凝縮させて考えると、
両親の名誉のために言うと、忙しい合間を縫って、ちょこっと、ふれあいタイムもあったように思う。
幼稚園に初めて行く初日。
家の近くの横断歩道にある信号機を指差し、わたしの目線と同じになるよう、歩道手前で、しゃがんだ父が、
赤・黄・青の信号の移り変わりと、その意味を教えてくれた。
プールにも連れていってくれたこともある。
神戸の洋食レストランにも連れていってくれた。
店名は「パウリスタ」だったか? いつも、タルタルソースたっぷりのエビフライを楽しみにしていた。
怒られた記憶がほとんどだが、そうでもない記憶も、ちゃんと残っている。
(前に読んだ、田中角栄の娘さんの著書にあった内容を思い出す。
娘さんといっても、真紀子さんじゃないほうの、
正式な婚姻内でないほうの、娘さんが書いた本のなかの、角栄オヤジの断片みたいだ。
実際の著書のなかでは、こんな内容ではないが)
さらに、母親の記憶をさかのぼると・・・
お天気のいい、日曜日の朝に、まだ布団から出ていない母親の背中に乗っかって、
「親亀の背中に小亀を乗せて」状態で、甘えて遊んでいたこともある。
わたしは、母親の背中に、こじんまり乗れるぐらいだから、かなり幼い時だろう。
母親は、鬼のように恐ろしい、小言マシーンばかりでもないようだ。
今でも、基本的に「甘えた」であるわたしは、当時の心地よさが忘れられないのかも知れない。
現在の、あんな、しわしわの、ちっちゃくなってしまった(態度はデカイが)、おばあちゃんの背中に、
こんな、でっかい、おばあさん予備軍のわたしが、乗っかって、遊んでいたなんて、
非常に摩訶不思議、けったいなかんじではあるが。
さてさて、書き始めてから、ここまで書く間に、途中、どれだけ、いろんな用事、雑用を挟んだことか。
(歯科医院で治療、玄関前の草むしり、お留守番、赤ちゃん子守、食事作り、・・・)
中断しては書き、また中断しては、書き・・・
なにを書いていたか、忘れてしまった。
で、ここで話は変わる・・・
上娘は、今、iTunesで、英語とBGMを流しているが、
ベビーは、こういう音楽を聴きながら育つと、どんな影響があるだろう。
ジャンルは、クラシックと、ジャズ。
わたしは、音のない環境で、育てられたように思う。
ピアノは習わされていたものの、常に家に音楽が流れている環境ではなかった。
親が、音の見本として、音楽を、自然な流れで身に入る環境を整え、示してくれていたわけではない。
どちらかというと、忙しい両親に代わって、家でお留守番をしていた、祖母の影響、大。
相撲と、吉本のお笑いTV。
ああ、だから、わたしは、こんなのになったのか・・・??
クラシックと、ジャズが流れていたら、もっと、かっこいい、年を重ねた女性になれていたかも知れない。
(時遅し。感性は、べったり、たっぷり、どっぷり、吉本と松竹新喜劇)
好きなことを書くと、止まらない。
それよりも、なによりも、まとまりがない。
〆も、結論もない。
今日のところは、これぐらいにしておこう。
「今日は、これぐらいにしといたる」
そういうギャグ、あったなあ・・・。