純と愛。
もうあと数回で終わりだが、どうも、まじめに見る気がしない。
いつからそうなったのだろう。
昨日なんか、テレビをつけているだけで、見ているのは、パソコンモニター。
背中で、耳だけで聞いていた。
なんだか、途中から、不自然になってきて、無理やりっぽいストーリー展開に、すっかり嫌気がさしてきた。
最初の、大阪市内のホテル勤務のときは、面白かったのだが。
愛クンのお母さんのキャラクター設定、わざとらしさ、変人ぶりには、ついていけない。
で、興味が、さささーっと、引いていったわけである。
いつもは、朝は8時から15分間だけテレビをつけるだけだが、
今日は、その後の「あさイチ」、ぽっこりお腹をひっこっめる運動と、くびれをつくる運動の再放送をちょっと見た。
ドローイングという、腹式呼吸をしながら腹筋を鍛える、あの運動は、
日常生活のなかで、いつでも、どこでもできそうだ。
さてさて・・・
今日もまたまた、けっこう疲れる、遠出の一日。遠方までの往復。
頑張って、クリアーしよう。
ひとつひとつ、こなしていくのみ。
あ、そういえば、(いきなり、話題が変わる・・・)
わたしは、小説を書く気が、ぜんぜんしない。
去年、少しだけ書いて、ほったらかしている。
そもそも、最初に、小説の先輩から、小説の「いろは」を伝授され、そのルールにこだわってしまった。
自分流の、ハチャメチャ、ノールールでいきかったのだが、
いざ、知ってしまうと、どうも、無視することができなくなり、息が詰まって、
さらさらと書けなくなってしまった。
長々、だらだら、でまかせに書くことは書くのだが、
ストーリー展開と、最後の意外性などを、意識すると、ぴたりと筆は止まる。
もともと、アタマがあまりよくないわたしは、小説は無理かと、感じている。
なので、自分の、ちゅるちゅるアウトプット・ノリは、徐々にスローダウン、
ついにはフリーズし、放置したまんまになっている。
わたしは、経済も政治も、受け売りだし、社会事情にも通じていない。
理論に筋が通っていない。
先日も、そのことをある人に指摘された。
だが、むっとしたわけではなく、
ほんとうに、そのとおり、なんで、バレたんだろう・・・と思ったが、当たり前だ。
バレるわなあ・・・そりゃあ。
感性だけでは、だめだ、ということは、よくわかっている。
なんでもそうだが、基礎がないと、いくら上になにかを積もうとしても、砂の上の城。
いきなり、うわべだけ飾ろうとしても、すぐメッキがはがれる。
社交ダンスもそうだ。
一瞬、ぱっと見、ほんの短時間であれば、ごまかしが効くかもしれないが、
長く観察されたりすると、だめだめぶりが暴露される。
根っこの部分が、短い、弱い、ちゃんと地に足をついていない。
表面に見える部分ばかりが、頭でっかちのようになって、ぐらぐらしている。
逆三角形になっている。
ピラミッド型の三角形が望ましい。
ということで、わたしのあほぶりを見抜かれたが、落ち込むこともなく、
真摯に受け取った。
ぴしゃり指摘の人物は、わたしより、明らかに社会のことに通じている人であった。
長い間、生き馬の目を抜く社会を泳いできた実績がある。
なので、わたしは、冗談っぽい口調のなかに、するどい観察コメントをすんなり受け取った。
日々、勉強。
しかしながら、わたしは、経済や政治、ほとんど興味ないし、勉強してないので、
なにを言われても、べつに傷つかない。
努力(どりょく)の「ど」の字もしていない。
あ、ついでに、理数系的なことも、だめだけど。
だから、進歩がないのだろうけれど、いいんです。
これを開き直りという。