蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

さびしいウサギは、雨でも元気

2013-03-19 | 日々のこと

今日は、たっぷり、たっぷり、ブログタイムを確保できた。

なんてったって、朝の5時半スタート。
(下娘は、その時間には、すでに持ち帰りの仕事をしていた・・・ご苦労様)
それから、ゴミ出し、宅配牛乳入れ、部屋ざっと片付け、洗濯・・・
まだまだ時間はある。
さあ、散歩、散歩。(インドア、パソコン内です)
その間も、某ブログを開けて、ピアノのBGMを流す。

そうすると、あれれ、自分が書く時間が減った・・・。
とはいっても、まだまだ時間はある。

さて、ブログ村。
新しいメンバーが次々続々登場し、活気づいて、けっこうなことだ。
やはり、同じ顔ぶれは、停滞、渋滞をもたらす。

ちなみに、社交ダンス・メイトたちにも、同じことが言える・・・はずなんだけど・・・。
わたしにおいては、フレッシュメンバー歓迎!!には、至らない、みなさま、先輩諸氏のご様子。
フレッシュ検定があるようだ。
その検定試験に合格しないと、だめなのか。
なぜか、わたしは、どうも、コミュニケーションがとれない猫みたいだ。
一定の距離があり、縮まらない。

そもそもわたしは、へんなヤツだと自覚している。
自分のことは、猫だとは思っていないが、ウサギかも知れない。
仮に猫だとしても、高貴な猫なんかではなく、野良猫。
うろちょろ、うろちょろ、うろうろ、のろのろ。
でも、根っからの野良猫大将なんかじゃなくて、野良猫と、どこかの猫のハーフか、クオーターかも?

ウサギは、さびしくて死んでしまうらしい、という、この症状が、とてもお気に入りである。
わたしは、突然、ウサギになる。
でも、本当は人間。ウサギではないので、死なない。

まあ、ウサギは、おいといて・・・。
その、社交ダンスメイトのなかで、自分は、浮いている、と感じる。
みなさん、長くやっておられるので、顔なじみになっていて、近年、参加したような新顔には、冷たい(と感じる)。

社交ダンスは、高齢者に適した娯楽。
長くやっている、ということは、小学生の時からやっている人は、ほとんどいないので、
つまり、皆さん、そこそこのお年だということだ。
そこに、新顔のわたしが、仮に80歳だとしよう。
そうすると、ひょっとして、けっこう、すんなり、新顔でありながら、迎え入れてくれるかも知れない。

何十歳もうんと若い場合は、マスコットやオモチャ、アイドル的に迎えてくれるかも知れない。
だが、皆さんより、5~10~15~20歳、若い場合は?
中途半端に、ただ、ほんの少し若いだけ。いちばん、鬱陶しい、目障りな年下ぶり。
しかも、たいして上手でもない。

もし、誰もが認めるほど上手であれば、
性格が悪かろうが、顔が悪かろうが、スタイルが悪かろうが、
行い、態度が悪かろうが、口が悪かろうが、根性が悪かろうが、すべてが悪かろうが、
おそらく、一目置いてくれると思う。お相手をしてくれると思う。

ちょっと若い分、頭を低くして、素直に先輩たちの懐に飛び込めばいいものを、
雑種の異端猫であるわたしは、群れから離れ、ひとりで拗ねている。
そして、ウサギかも知れない、なんて、かわいくもなんともないことを言っている。(あ、こころの中で、です)

いわゆる、かわいがられないタイプであります。

そういえば、デジャブ。
前にも、とってもとっても年上の年齢の、おねえさま・お局さんにイビられたような記憶が蘇ってきた。
イビられて、なんぼ、です。

いいの、いいの。
帰りに、ひとりで、とぼとぼ、雨降るなか、五月人形を見に、まっちゃまち(大阪にある、人形で有名な地)に、行った。
地下鉄の乗換え交差駅が、線によって上層下層に分離され、異国の地みたいだ。
外国・一人旅気分。(たんに、方向おんち)

ずらずらずらと並ぶ、店、店、店。
おなじ人形を扱う店にも、店のタイプ、ティスト、取り揃えられている商品も、得意分野が少しずつ違っていて、
また、いろんな店主、店員がいて、面白かった。
土砂降り一歩手前であったことと、閉店真際だったことで、お客は、ほとんどいなかった。
何回か足を運ぼうと思っている。

帰路、どさっと、野菜やらなんやらを買い込み、エコバッグになんかおさまらず、何袋も何袋もぶらさげ、
電車、バス、徒歩と、延々雨のなか、ああ、しんど~、にもかかわらず、

さびしいウサギは、けっこう一人遊びが好きだったりして、
体力と、好奇心、行動力は、不思議とあるのであります。

 

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