蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

少数派

2013-03-24 | 日々のこと

膨大な数の読者がいる、そういうブログは、とても面白い・・・(んだろう)。
最近、わたしは、そういう、メジャーなブログにはまったく足を運ばない。
わたしは、マニアック好みである。


(もちろん、写真のある、普通の日常を綴った、個性的な楽しいブログも好きで、お邪魔する)


文字の羅列だけで、顔が見えるような、体温が伝わるような、そんなブログが好きだ。
文章自体、文字自体が、わけがわからなかったりしても、
その、わけのわからないぶりが、ひとつの意味をなしている場合もある。


自分のこころで見る。
抽象画を見る、そんな感覚か。

ちなみに、わたし、抽象画、ほとんど、意味わからないけれど・・・
まあ、抽象画に、理屈付けして、したり顔で解説つけるのも、いかがなものかと。
ムンクの「叫び」とか、学校の美術で習ったけれど、知識が先。
中学の時に、当時の親友に連れられて、神戸の美術館に足を運んで観た記憶がある。
いや、あれは、ユトリロだったかな?(受身行動なので、いい加減だ)
でも、「叫び」はケイタイの絵文字になっているぐらいの、メジャーぶり。
それはそうと、泣き顔の絵文字は、赤ちゃんの泣き顔そっくり。
単純な線で、よく描かれている、あの絵文字。口のカタチが、すばらしい。


と、話がそれている。


「哲学」は、ヒマをもてあましたときに、遊ぶ、脳内・理屈プレー。
なにもしたくないときに、自分がサボっている理由、理屈を必死で考え出す。

電車のホームでの待ち時間があるとすると、みなさんは、ケイタイをいじっている。
わたしは、最近、ケイタイでも哲学でもなく、骨盤底筋体操をしている。
いつでも、どこでも、できる。
単純なインナーマッスルを使った、引き締め運動だけれど、1セット5回、一日に5セットが目標。
運動中、他人から見られても、その運動をしているということが、わからないが、
自分では、涼しい顔、ポーカーフェイスをしているつもりが、気張った、力んだ顔になっているかも。
ここのところ、サボリまくっているが。
気を抜くと、すぐ、サボり、そのうち忘れる。


さて、今日もバタバタ。
もっとも不得意な、ゲスト対応デー。
いつまで続くのか。
一日が、あっという間。
哲学しているヒマがない。



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