蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

男社会を考える

2024-06-02 | 時事&世の中
「男社会を考える」。
京都の中高一貫私立男子校での授業がNHK TV 「関西熱視線」で紹介されていた。
女性教師による丁寧な授業である。
気づきや疑問はないか、と受講した生徒にアンケートを行ったところ、、、

◯女子が非力なのに、なぜ平等なのか?
◯専業主婦は家事が仕事なのに、なぜ他業種職業人の夫と家事を分担するのか?

中高生の疑問は純粋だ。
この学校は、男女共学ではなく中高一貫男子校であるところが、ミソ。

ちなみに、わたしの子供は全員、中高一貫私立校。
長女=女子高、長男=男子校、次女=共学。
同じ条件のため、見事に比較しやすい。
結論から言えば、時代は変わる、その移行期だったので、取り敢えず、古い今までの価値観を踏襲して、わたしは教育方針を決めた。
新しく訪れる未来を正確に予測できるとは限らなかったので、その時に最善だと思う道を選んだ。
それは、良かったのか、悪かったのか、判断出来ないが、教育選択について、今は大人になった子供達に恨まれることはなかった。
そして、孫たちはまた違う時代に沿った教育方針になっている。

3人共に自立してくれて、親の役目は終えたと思っている。
男子校に行っていた息子なら、上記の男子中高生と同じような疑問を抱いただろうか。

実は息子は社会人になってからは家に寄り付かなくなった。
学生の頃はよく帰省していたのだが。
理由はわかる。
夫が、帰って来て跡を継いで欲しいと直接、言うからだ。
わたしも、結婚しないの?と、聞いたり、両親共に、ウザかったのだろう。
何度かはっきり断られて夫は後継も諦めたようだし、わたしは結婚も諦めた。
そのあたりからか、息子は母の日にプレゼントをくれるようになった。
やはり、人生の選択を押し付けられるのは嫌なのだろう。
そんなこんなで、息子とはまともに話したことが、しばらくなかったので、「男社会」をどんな風に考えているのかわからない。

それよりも、息子が中高生の頃は、わたしは自分育て(仕事)が忙しく、子供にかまっている余裕がなかった。
中高一貫校に入れてしまえば、あとはエスカレーター式に次に進むだろうから、教育の手綱を離した。
学校でそういう授業があったとしても、親子や家庭で話し合うゆとりはなかった。
なので、どんな風な考えを持っていたのか想像もつなかい。
だが、社会経験を積むに従って、息子たちも考えも変わるかも知れない。

長女と次女は自宅から通学していたので、ある程度は様子がわかった。
二人共、絵に描いたように真面目な生活。
いったい誰に似たのだろう?
そのせいもあって、無事、自立してくれた。
男社会のど真ん中に就職し、まだ男女による仕事内容の区別は依然とあり、今のように育児も家事分担も夫が協力してくれない妻にとって、総合職は辛く、家庭に戻ってしまう親を持つ世代。
まだそういう流れが残っている中、お茶汲み女子、寿退職を選んだほうが、ずっと楽だったのに、、、しかしそれでは今の時代には合わないようだ。
わたしの目から見ると苦しい道を歩むことになったが、それは今では普通らしい。
当時、わたしは子供たちの将来に選択肢があるほうが、無いより良いと考えたのだが、かえってハードルを高くした。

今は、障害のある子も普通学級で一緒に学ぶし、運動会にも参加者する。
能力の優劣に対する価値観は、昔とは少し違うと感じる。
多様化社会。
障害そのものの実体は同じだが、意識が変化した。

ちなみに、男子中高校生の、「劣った女子を平等に扱うのは疑問だ」と感じた点。
「女子は劣っている」という前提からの発想だ。
では、劣っている男子はどう扱われる?
女子より優れていることが男子の絶対条件だとすると、男女共学の生徒ならまた違う感想を持つだろう。
(次女が通った男女共学の中高一貫校では、女子のほうが威勢が良かった)

男子中高校生の純粋な疑問、「専業主婦は家事が仕事説」、イタイところを突かれた。
どう納得させればよい?
専業主婦(主夫)も時代と共に位置が変わってきている。
税制にも変化がある。

国民は経済的にも平等であるべきだという社会主義と、貧富の差を認める自由競争の資本主義があるように、平等の考え方は色々。
男子中高校生にどうやって教えたら良いのだろう。

女子は小学校までしか教育を受けられない国も、現実として現在ある。
宗教が絡むと、他宗教からは何も言えなくなる。
が、宗教2世の悲劇もある。
自由を得るのは難しい。

さらに、
男性から性の対象としての捉え方には、女性からの非難の声が上がっている。
昔の常識は今の非常識。
ドラマ「不適切にもほどがある!」が話題を呼んだが、目の付けどころがキャッチーだ。