今週は、あっという間に過ぎた。
もう1週間が経ってしまった。
次女婿が誕生会に、手料理を持って来てくれたのは1週間前。
もうあれから1週間???
なぜ?
思い返してみる。
日月火水木金土、、、
あ、そうそう、、、毎日なんだかんだと、あれこれタスクがあったり、出かけたり。
ぼーーっと暇を持て余していた日はなかった。
しかし、逆説になるが、、、。
残り少ない人生なのに、こんなに早く時間が過ぎてはもったいないのでは?
何もすることがなくて(する気がなくて)退屈は苦痛で虚しいが、することがあると、時間が瞬間的に1週間過ぎてしまって、それもまた充実しているにしても、時間の無駄使いではないにしても、、、過ぎるのが早いのは良いことか、良くないことか。
ダダ漏れは避けたい。
が、漏れているのではなく、たぶん、脳機能が弱っているため、記憶濃度が薄くなっていると思われる。
鮮明度や新鮮度をしっかりきっちり保てない?
退屈な時は時間が過ぎるのが遅く、楽しい時は早いという。
早ければ早いだけ、持ち時間、残り時間の減り方が早い。
では持ち時間の絶対量(健康寿命)を増やせば良いのでは?
当たり前の理想を言ったところで、無意味だけど。
なんでも、メリハリがあってこそ、相反する双方が際立つ。
逆ベクトルの法則。
ちなみに。
昨日は、わたしの希少な友人との女子会。
コロナ前、以来。
たっぷりおしゃべりした中で、こころに残るものを思い出し、味わっている。
彼女は頑張り屋さんなのだ。
尊敬している。
でも彼女は、「わたしは何の取り柄もないから、残ったのは、こんなことしか出来なかったのよ」と言う。
芸術もスポーツも才能がある人しか芽を出さない、
才能云々に関係ない、誰でも出来ることと言えば、勉強しか残らなかったの、と。
勉強こそ、才能だとわたしは、声を大にして言う。
アタマが悪いと、理解出来ない、覚えられない、応用出来ない。発想も出来ない。
頭脳、脳みそは、才能のカタマリだと感じる。
やる気を起こす、モチベーションこそが要で、いくら頭脳明晰でも、宝の持ち腐れということもある。
彼女は、「自分には何もない、だから、自分の芯みたいなものを確立したかった」と言う。
いやいやいやいや、素晴らしい。
わたしも何もないのだが、努力嫌いな省エネ人間なもので、芯といってもただ甘く自己肯定するだけ。
客観的に目に見える、かたちになるものがない。
その点、彼女はそれを成している。
わたしがひっくり返っても出来ない。
同世代で同じようなかんじなのに、人それぞれ、違うものなのだろうか。
同じようなかんじ、なんて、曖昧にひとくくりには出来ないが。
そう言うなら、親も環境も同じの、2歳違いの姉とわたしは、違うタイプ。別人。
姉は彼女と同じく頑張り屋さんで、行動派で能力も高い。
姉もわたしも2人とも逆境だとか、そういう荒波環境ではないのに。
かたや、頑張り、かたや、頑張らない。
まあ、それも個性なのだろう。
かと言って、わたしは別に卑屈になって自己否定する年齢でもない。
逆の発想がある。
良く出来る、能力ある人は、どんどん自分で行動していき、本人は疲弊する。
出来ない省エネ人は、いつも大樹の陰でのんびり休憩して、余力いっぱい。
一生、余力を使わないまま生涯を終える可能性は大。
だが、いつも涼しい気分。汗をかかない。
(冷や汗は、しょっちゅうだけど)
しかし、「サボっている」と糾弾されるので、どう対応するかが、ポイント。
どっちにしても、やる気ある行動派は素晴らしい。
エネルギーを浴びるが、たぶん、わたし自身はサボりなので、表面上に浴びるだけで、すぐ浴びたエネルギーはなくなる。
ではあるが、本能的に、エネルギーを浴びる方向を嗅ぎつける。
自分のエネルギーチャージは、人からいただく。
盗電してスマホ・チャージみたいなもの?
堂々と自宅の電力を使ってチャージしているが。
太陽エネルギーを浴びる地球のようなもの?
更にその周りを回る月のような人もいるけれど。
わたしは、ある程度、エネルギーを自分の裁量で活用したい。
そのためにも、太陽役の人にはエネルギーを豊富に発していただきたいが、それは望みすぎ。
枯渇しないよう、エネルギー源を探し、命を長らえている。
ある意味、海に囲まれ、国土が狭く、資源の少ない日本のようなものか。
日本沈没にならなければよいが。
あ、そう言えば、日本を追い抜く最新インド事情を彼女から聞いた。
また今度。