ミニ鬱、突入から3ヶ月目。
やっと動き出したかんじ。
少しずつではあるが。
一旦、自分を空っぽにしてみた。
自分はいったい何がしたいのか?
何にもしない空白の日々を過ごして自問した。
で、、、
退屈だった。
何にもしない、何もしなくてよい、何もしたくない、、、
なんであれ、何にもしないのは、身体に良くない。
健康体なので、先に身体が音をあげた。
こころのせいで、エンジンが止まり、動かなかったが、健康体はやはり動きたがる。
心身は一体だ。
自宅軟禁は疲れる。
家に篭っていないで外に出るべきだ、と、友人にアドバイスを受けた。
外が面白くなくても、失敗しても、とりあえず行動に移すべきだ、と。
自宅が例え1万坪で、やることがいっぱいあったとしても、、、それはそれで、やることがありすぎて、心身共に疲れそうだが。
(→例えが変)
というわけで、なんだかよくわからないが、わたしが能動的に動いたわけでも積極的に頑張ったわけでもないのではあるが、外因から、偶然、日常が動き始めた。
わたし以外は、周りは動いていたのだ。
梅雨のシーズンに突入し、その後は想像するだけでゲンナリする酷暑がやって来るにもかかわらず、なんとなく気持ちが上向きになった。
よかった、、、。
虚しくじっとしていたが、底まで沈んだ後はしばらくすると浮き上がるようだ。
スケジュールも無理のないバランスで活発になっている。
忙し過ぎるのも疲弊するが、逆もまた良くないことを身に染みて感じる。
人生には何度かそういうバイオリズムがあり、何か引き金があると、ミニ鬱が顔を出すようだ。
たぶん、今のミニ鬱は、老人への入り口にいるわたしが、入りたくなくて抵抗、停滞していたのだろう。
老化という捉え方なら生物として抗えないので納得できるが、老化ではない、生来の力や経験・体験を通して年齢を重ね自分が培ってきた力。
その自分の能力を知り、その限界がわかり、今後の展開を予想して、やる気をなくしたと思われる。
やり直し、再チャレンジするには、エネルギーが足りない。
だが、すっかり枯渇して2度と湧き上がらないわけではなく、時間が経てばまたチャージできる。
挫折してもまた這い上がる。
無駄な抵抗、あがき、、、ではあるが、これは、生きる原動力だと思う。
老化のせいではない、自分の能力の無さを思い知り、こころが傷んで痛んでいた。
やっとこさ、ちょっと治ったのかな、、、
と。
友人たちとの交流も復活しそう。
今後も頻繁に行動を共にはしないと思うが、それがキッカケになって、わたしの、細い管につっかえていたもの、詰まっていたものが溶けた感じで、ようやく少しずつ流れ始める。
停滞は良くない。流れないと。
無理やり詰まっているものを外科的に取ると傷が生まれるが、漢方薬のように、自然治癒力を促す、そういう方法だと思う。
自分流、行動療法。
良くなるまで、じっと待つ。
病み上がりではあるが、快適な気分だ。