蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

人の話を聞かない

2024-06-06 | 老い
趣味仲間Aさん。
理解力がなさ過ぎて嫌になる。
わたしが言っていることの「意味がわからない」と言う。
他の人と全く同じ内容の、お知らせLINEを複数人に送ったところ、Aさんから意味不明だと返信された。
他の人は皆さん、意味がわかり、それぞれ反応があった。
なぜ、このAさんだけが、わからないのだろう?
個人差?
認知症の入り口?

丁寧な説明を重ねているが、返信はない。
結構、ストレスだ。
翌日、Aさんから「日常的に接していないと(前にわたしが言っていたことは)忘れました」と追加LINEがあった。
それに対して、ムカついたわたし。
「例え日常的に顔を合わせる人にでも、(自分の私的なことを何度も何度も自慢げに声を大にして)言いません。
滅多にほとんど日頃会わない人で、前にたった一回だけ言ったことでも忘れない人もいますよ」と、わたしはカンジワルイ反撃LINEを送った。

顔を合わせて挨拶するだけの人や、時折、お茶を飲むだけなら良い。
が、Aさんとはそれまでの経緯がある。
その人の意向や意見に従い、物事を進めて行く関係にある場合(時としてパワハラにもつながる)、自分が関心がないことはすぐ忘れ、自分がこだわることは間違っていても押し通すような人に、協力する気はどんどんなくなるし、納得できない、従えない。
第一に自分の非を絶対に認めない人は、わたしは距離を置く。
誰だって、長所や短所、得意や不得意がある。
そして例えトータルしてマイナスがプラスを上回っても、一点豪華主義で聳え立つ美点(良いところ)があれば、それは強みだ。
マイナス点も目をつぶることになる。
が、逆もあり、どんなにトータル高得点でも、どうしても受け入れられない点があれば、アウト。


Aさんは、少し変わっている。
今回のことだけでなく、他のことも、わたしの言うことを全く意に介さないどころか、聞く耳を持たない。
自分が言いたいこと、欲求、要望だけを伝えて来る。押し付ける。
話し合いなど、まるで出来ない。
コミュニケーションの取り方がわたしと合わない。
調整だの、すり合わせだのが、出来ない。
だから、わたしは提案を承諾しない。却下。

もし、本当に認知症の入り口だったとしても、なんの不思議もない。
「認知症を特別扱いするな、普通だ」と、TV等の医療情報が流れている。
目の当たりに身近な人たちの推移を直に見ていると、わたしもそう思う。
ある日突然ではなく、徐々に。
そして、ある時期を境にスピードが早まる。


しかしなあ、、、
あれだけわたしが言っていたことをすっかり忘れているなんて、、、
控えめに言ったので、仕方ないといえば仕方ないけれど、わたしのことを軽んじている、どうでもいいと捉えているとしか思えない。
全然、聞いていない、頭に残っていないのだから。
頭が悪いせいなら、仕方ないのか?
ではあるが、、、
そういうことが積み重なって、うんざりしている。
距離を置きたくなる。
人が段々離れていくのは、こういう経緯からではないだろうか。

歳を重ねると、自己中心になりがちだ。
人間関係もそうやって、断捨離したり、されたりするのだろう。
だが、自分が、面倒臭いから、嫌だから、人付き合いをしなくなる自分側理由ならまだしも、人から呆れられて切られることもあるだろう。

孤高の孤独が、自分では自分の嗜好でそうしていると自負していても、たんに人に嫌われて距離を置かれたせいなら、能動的選択ではない。
お付き合いしないのは自分サイドの嗜好、思考だけではなく、相手から疎まれている側面を気づかない自業自得なら、わたしの目指す理想ではない。
人の振り見て我が振り直せ。
気をつけなければ。
気がついたその日、その瞬間から、新しい自分。
ずいぶん、遅いけど。

必要がないからと引きこもらず、外に出る。
人と接する、交流する。
そう心がける。
これは日々勉強になる。
そう遠くない将来に訪れる、本格的老いに備えて、自分を見直し、新しく自分の土台を補強する。
本格的に老いた時は、自然な流れに添う。
今はまだ、気づき、発見、補強時期。