長女が最近、仕事に終われている。
夜中まで仕事、プライベート時間も仕事、食事中も仕事、休日も仕事。
今、まさに働き盛り、重要な役割りを担っているようだ。
想像するには蝶番(ちょうつがい、ヒンジ)のような位置か?
同じ蝶でも、わたしの愚蝶ブログとは全く違う。
仕事のことは、愚母(わたし)に言っても、理解されないか、へんに間違って解釈して他人に話されたり、また説明を何度も重ねるのが面倒なのか、娘たちは、わたしには一切言わない。
なので、想像するのみ。
(娘婿は、自分の仕事の一部を親切に丁寧に優しく、わかりやすく説明してくれるが。
義理の間柄は、ワンクッションあるから気遣いしてくれる)
私、長女、次女、おんな3人の会話。
「このごろ、(おねえちゃんは)仕事、大変らしいよ」
と、わたしが次女にため息混じりで、一言、漏らした。
次女が言った。
「おねえちゃん、仕事、やめたら?」
長女が答えた。
「仕事やめて、何するの?」
わたしが、口を挟んだ。
「専業主婦!」
・・・
気まずい空気は、、、流れなかった。
即座に長女が勢いよく言った。
「専業主婦の仕事って何?!」
・・・
が、わたしは、しどろもどろ、、、にはならなかった。
待ってました!とばかりに、元気に言った。
料理、家事、育児!
3つの単語を並べた。
長女、次女、2人から流れる冷た〜い気流。
その後、ほんの2、3言、なにかを発したが、会話は全く発展しなかった。
全員、3人共、流した。
建設的意見を交わす気、ゼロ。
この話題、終了!と、時間の無駄だと言わんがばかりに、各人、忙しなく別の事柄に移った。
討論、議論する価値、意義がないのか。
かつて、ちゃんとした就労経験なしのママ友が言っていた。
主婦は色々用事があって大変だ、と。
家事はさておき、銀行に行ったり、と。
今なら銀行に行かなくてもインターネットで用は足りる。
(現場に足を運び対面でしか出来ないこともあるようだが)
彼女は子供が帰ってきた時に家にいて迎えたいそうだ。
自営業なら可能。
家事や子育ての合間に出来る仕事を探していた女性もいたが、「合間」の定義が難しい。
確かに、合間に出来る仕事もある。
働き方、人それぞれ。
30年以上前とはだいぶん、状況が変わってきている。
ちなみに。
コップの一つも洗わない、食べ終わった食器を下げない、いつもトイレは汚しっぱなし、(汚している意識もない)、お風呂は入浴事前事後ノータッチ、ゴミの分別をしない、ゴミ収集日がいつか知らない、家事を全く微塵もしない、一切関わらない夫は、40年前のまま。
(しかし、これは家事と言えるのか?当たり前の身の回りのこと。
もし1人住まいなら、メディアで紹介される、足の踏み場もないゴミが山積みされた汚部屋住人になることだろう)
自分で動くのはお酒とジャンクフードを買いに行くことぐらい。
生まれてから一度も家事をしたことがない。
そういう男性はまだいる。
家父長制度の成れの果て。
(大正生まれの父は、家事はしていたが)
ノーベル賞受賞者やお偉い権威者、政治家、実業家、有名なスポーツマン、俳優、優れた人々でも、家で家事しないんだろうな、、、と想像すると、どんな素晴らしい成果が世に出ても、その人の家族にはなりたくないなあと思ったりする。
別居という手があるが。
身の回りの家事をする、家事能力を身につけさせなかった、当たり前の躾が出来なかったわたしが悪いのだろう。
ペットでもトイレトレーニングの躾がされている。
わたしは、ブリーダー失格だ。
躾トレーニングに失敗し、その結果、毎日具体的な形となって目の当たりにして接すると、ストレスが頭の上から大岩のようにドカンと降って来て、わたしの神経を蝕んでいる。
て、頭に大岩直撃だと即死だ。
毎回、即死を繰り返している。
いったい何回、即死したのだろう。
我が家における専業主婦とは、、、魂が抜けた抜け殻。
病んでいる状態は過ぎ、生体反応のないロボットになっている。ルンバちゃん。
丸く掃除が終われば、自分で元の位置に戻ってチャージ。益々更に進化中ルンバ。
だから、長女も次女も、専業主婦には決してならない、、、か、あるいは、ビジネスと割り切るかも。
わたしは身を挺して見本となったわけだ。反面教師。
わたしは、これだけ即死を繰り返しても、今だに神経がヒリヒリして、壊れてもまた蘇り、中途半端でなかなか死なない。
その度に苦しむ。悶絶する。
魂を切り売りし、自分の羽根を抜いて旗を織るかのように、生活のために少しずつ身を削って生きている。
ま、自分のためなので。
他ならぬ自分が生きていくため。
まだまだ生には執着しているようだ。
時は止まることなく僅かずつ進む。
進み続ける。
やがて最後はどうなるのか、だいたいは想像できる。
最後に。文末で、今更遅いですが。
真面目でまともで正当な専業主婦の方は、閲覧注意。
読まないでください。