蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

努力しないで生まれのせいにする

2024-06-13 | 無題
「燕は戻ってこない」。
これはNHK TVで火曜日22:00から放送されているドラマである。
桐野夏生、原作。
かなり刺激的な内容であるが、毎週、息もしないで(いや、少しして)固唾を飲んで、熱心に見ている。
稲垣吾郎、黒木瞳が、まあまあまあまあまあなんと、カンジワルイ役で、なかなか印象的。
稲垣吾郎は、夜ドラを挟んで、引き続き23:00からの「ワルイコあつまれ」でのキャラクターのギャップがスゴイ。おもしろい。

今週、一昨日、放送された中に、わたしのこころを鷲掴みにした、黒木瞳(母親役)のセリフがある。
表現は少し違っているかも知れないが。
「努力もしないで(不遇な今の状況を)生まれのせいにするのは最低」
これ、刺さった。
わたしに、言ってる?

多くの人は、「努力している」のに報われないと嘆いている。
あるいは、「努力している」のに報われないのは生まれのせいだ、と、努力していることを主張する。
それをわざと肯定せず、逆説的に扱い、反感を買うことで強調され、インパクトある表現になっている。
深層心理を揺さぶり反応を引き出す。

これの変形バージョンなのだが。
のほほんと、ナマケモノ、省エネ主義のわたしは、
「努力もしないで今の安泰を、生まれのおかげと安堵するのは最低」
そう言われているような気にもなる。
否。努力したから安泰を掴んだのだ、生まれのせいではない、と、自分のやってきたことを評価することだろう。
努力と生まれと幸運のおかげ、なんていうのもある。
どちらにしても、今、波風立たずに満足している人には、不穏な喚起だ。
幸せぼけに一石を投じる。
が、幸せ感は、尺度や基準は人それぞれ。

代理母をテーマにするこのドラマでは、「生まれ」とは、主に遺伝子のこと。
加えて経済状況を含む環境なのだが。
母親役の黒木瞳の口から出るわ出るわ、ケシカラン言葉の山。
あっけらかんと自分肯定、他人否定。
バレエ業界に悪感情を抱かせてしまうのではないなと、かえってわたしは老婆心。
人それぞれ一人一人尊厳があるので、バレエダンサーだけが飛び抜けて地球上の誰よりも尊厳があり高付加価値があるとは理解し難い。
滑稽に思えてくる。笑ってはいけないのだが。
作者や脚本家の意図にハマっている?

努力をする、しない、、、努力の内容も、時代の移り変わりがある。
優秀な遺伝子(精子、卵子)が高値で流通する時代に投げかける、「生命って、なに?」。