蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

矛盾がいっぱい

2024-06-25 | 暮らし
わたしは受動的人間である。
自分から光を発する太陽では決してなく、太陽の光を浴びて自転する地球だ。
地球のまわりをぐるぐる回る、生真面目にルーティンをこなす月でもない。
マイペースでちょっと軸を傾けて、365日かけてゆっくり回る。

自発的に何かをしたい衝動や欲求は、なかなか現れない。
ひとの人生や行動、ブログなどで蓄積された他からの影響がどんどん膨らみ、やがて動き出すまで、時間がかかる。
胎内時間が長い。
突然、突発的に、オリジナルの何かに突き動かされることはない。
過去の経験の中の何かが、何かを見た時、何かの行動をした時に、瞬間的に誘発される。
なので、自分では気づかない間にインスパイアされている。
「経験」とは、今まて生きて来た時間の積み重ねだ。

そのインスパイアされるものは、人によって様々だと思う。
犯罪行為にまで発展する人もいるだろうし、仕事とはまた別に、趣味が深まることもある。
好き嫌いは、感性による。
道徳心や倫理観にも左右される。
好きな興味あることは、追い求め、情報を積極的に取りに行く。
嫌いなことには目を背ける。
「好きなこと」は、どんどん精錬されていく。
その場限りのものもあれば、無意識にこころに残っているものもある。
枝分かれし、主流から派生していることもある。
ある日、知らない間に自分の中にあるものが、突然、呼び起こされ、引き出されることがある。
引き出しがたくさんあると、呼び起こされる頻度が多くなり、広がり、深まり、濃くなる。
が、自分で整理していないと混乱するだけとなる。

真横で同じものを見て、同じことをしても、何も考えず、何も感じず、何も見ない人もいる。
人それぞれの価値観、感性である。
同じ価値観、、、は、なかなかぴったり一致するのは難しいから、合っている部分だけを共有する。
感性や考え方も然り。
ボール(球)のように全ての面々で接するのは困難だが、多面体で、一面が小さければ小さいだけ、接するところが多い。
ただし、球は転がって安定しない。
何にでも一長一短があり、表裏一体。

何も見ない、見えない人は、それはそれで安定して幸せである。
何でも見える人は、自分が定まりにくい。
選択肢は少ないほうが、幸福感が上がるらしい。
なんでも選べる人は幸せかというと、これまた一長一短である。

上を見ると、キリがない。
下を見ると、キリがない。
横を見ると、ざわつく。
何も見ないと、生きている意味がない。
でも、無の境地。
それも幸せかも知れない。

生きているのに、生きていない無の境地を目指すのは、矛盾している。
「人間は矛盾で出来ている」
この結論、カンタン便利。
だが、摩擦を生み、ビジネスや争いの世界では通用しない。
矛盾をぐるぐる回ると、いつまでもエンドレス。
そうしていると、お腹が減る。
食べて満腹になると眠くなる。
そうやって毎日が繰り返される。


※先月のウブド。
このショップの入り口では、履き物がきちんと揃えられている。
ショップのスタッフによって性格はさまざま。
だけど、入り口の外にビーチサンダルを脱ぐのは同じ。