蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

共感と優越感は違う

2024-06-16 | ブログ
昨日、書いた記事がある。
が、また別の日にアップする。
なぜか?
全く別のことを書きたい気持ちがムクムク。

ブログ村エッセイに、わたしはセキ(席?OR 籍?)を置いている。
ブログは、goo運営のもので、毎月利用料金がかかかる、有料コースに設定している。
ブログ開設当初は無料バージョンにしていたが。
まあそれはよいとして。
つまり、2つの容れ物があるということ。

毎日、ブログ村エッセイで、ランキングされている記事を読んだり、
gooでお気に入りにしているブログの更新記事を読んだりしている。
その他には、まったくそれとは別に、個別にお気に入りブログが2つあり、訪れて読む。

それぞれのブログには特徴がある。
わたしと同じく孤独愛好家のブログがあり、毎日更新され、短文で、読みやすく、論調は哲学めいているのだが、、、
必ず絶対にいつも、自分と同じぐらいか、それより下の人々のことしか取り上げられない。
昔の過去記事にまで遡ってはいないから、上の人々のことに触れていた時期もあったのかも知れないが。
人には好みがあり、それぞれが好きなことを追求すればよい。
わたしは、上も下も真ん中も、あっちへ行ったりこっちへ来たり、わりと好きなものは偏っていない。
が、そのブロガーさんは、必ず最下層か、下か、同じぐらいの生活をしている人々だけに着目する。
そのブログ記事によって、わたしは、年金ギリギリラインの人々のことを知るのだが、上のほうの人々が空席。
なので、別のお気に入りブログに、上のほうのブログを選び、毎日拝読している。
わたしは、自分を軸に、自分より下、自分と同等、自分より上、を上下移動して楽しんでいる。
(人は人の上に人を作らず、人の下にも人を作らないので、上下といっても、年収や属性で分けているだけ)

何度も書くようだが、毎日訪れるブログの肝は、短文であること。
わたしのように、毎日、長文は、毎日重いと思われる。
が、次から次へとおしゃべりが止まらない。
よほど、内向き気質で、ヒマなんだろう。

それはそれとして。
今日、新たなブログを初めて読んだ。
グチグチブログ。
内容が、わたしのグチと瓜二つ。全く同じ。
「あなたも愚痴って、こころの老廃物を出し切ってください」と、紹介文に書かれていた。
が、わたしは、わたしの代わりに愚痴ってくれるブログに、ひたすら溜飲を下げるのみ。
全く同じ内容の愚痴のところには、割れんばかりの拍手を送っている(胸の中で)。
ブログは、娘さんが書く、自分の身の回りのことを全くしない父に対する愚痴なのだが、「父」を「夫」に変えるだけ。
家事だけでなく、他の全てのことに、母任せの父、よく離婚せずに持っていると思う。
「仕方ないのよ、昔の男は」とお母さんは諦めているようだ。
一度、離婚の相談を娘さん(ブロガーさん)にしたことがあるが、娘さんはその時は応じなかった。
それを今は悔いているとのこと。
しかし、世の中の大半の高齢者夫婦は、似たようなものだと想像する。
わたしが尊敬する友人の夫でさえ。

知人の同世代夫婦で離婚したという話を耳にすると、なぜかわたしは、すごくウキウキ、イキイキする。
そうだろうなあ、そうだよねー、やっぱりねー、と、よく経緯を知らないくせに、夫婦の現状や離婚原因をまるで真横で見てきたかのように想像する。
しかも、心躍りながら。

離婚する人、できる人は少ないだろう。
壊すのは、エネルギーがいる。
作る、造る、創るときとはまた別の、無機質ながら膨大なエネルギーを必要とする。
現実問題として、メリット、デメリットを秤にかけると、かなりデメリットが大きい。
LINE婦人公論の記事などで紹介されている、高齢・団地一人住まい、イキイキ暮らしのお手本みたいな人は、女性ばかり。
(媒体が婦人公論だから、読者は女性)
登場する人は死別が多いように思う。

高齢になって離婚はやはりハードルが高い。
経済だけでなく、健康、介護が関わってくる。
しかし、まだ70歳になるかならないかの、健康な、家事をしないリタイア夫は、妻には重くのしかかる。
「昔風で古い」では片付けられないが、別れることも出来ない。
生きている間だけじっと我慢すればよい、とは言っても、どちらが先にあの世に行くのかわからない。
グチグチブログのブロガーさんのように、本当にそんな父(夫)を持つと気の毒だ。
自分の代わりに愚痴を吐いてくれてスカッとする一方で、自分の夫はあの男性よりはずっとマシだなあと、へんに安堵したりする。
下には下がある。

自分より下の生活をしている人ばかりをとりあげるブロガーさんと、同じ心境か。
上を見て、羨ましくため息をつくのは嫌なのだろうか。 
私は違う。
なぜなら、自分より上の人は、その状況に適した能力なり人格なりの人であることが多い。
自分より格段に優れている人を見て羨ましがるのはおかしい。
その人の器や能力に見合った状況だから。
それに、今の状態が未来永劫に続くとは限らない。

羨ましがる場合は、現況が自分の能力に見合っていないと感じるからだろう。
わたしは、かつては姉の夫さんは「夫の鑑」だと羨ましいと思ったこともあったが、姉のレベルに相応しいのであって、わたしレベルには高望みしすぎだ。
同級生の夫さんや家も羨ましいと感じたこともあったが、今では全然、比較したりしない。
隣の芝生は青い、という面もあるだろうし。
それに、異質のものは比べられない。

とは言え、、、
グチグチブログ、読んだ瞬間は、スッキリしたのに、しばらくすると、自分のほうがまだマシか、と胸を撫でおろしたり、無意識に比較している小さな器の自分を発見する。

なので、わたしは、上や下や真ん中や、いろんなブログを読む。
向学心、向上心を刺激するものも好きなので。
走ったり、ジャンプしたり、転けたり、休んだり、、、いろいろしながら、毎日を生きる。
というか、たんなるブログオタクだ。