蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

うつくしき人びと

2012-03-18 | 無題

昨日は、夜中に発生した突然の痛みが、朝、激痛となり、歩けなくなった。
この痛み、このフィーリング、・・・
2年半前に、段差のある道路で、よろっ、ぐにゃっとよろめいて、自分の足の小指に自分が乗っかって経験した、
骨折の様子が蘇り、骨折したんだと確信を持った。

で、あわてて、早朝、まず、仕事先の夫に「松葉杖、または、杖の用意をお願いします」とメールした。
(知人に松葉杖屋さんがいる)
次に、東京の上娘に、
「骨折したみたいなので、2週間後の東京で催される大事な会までに治らないかも知れない」とメールした。

そして、レントゲンを撮ってもらい・・・

あれ??
あんまり痛くなくなってる・・・??

なんの変化もない、健康そのものの骨の写真を見せてもらい、
言葉を失った。

しかたないので、無香性のシップをもらい、すごすごと引き上げた。

ま、いいじゃないですか。
あれほど痛かったものが、治ってるってことは、嬉しい、喜ばしいことじゃないですか。

これで、また、今後、わたしが、大騒ぎしても、まわりは、オオカミ少年としてしか、わたしを見てくれないだろう。

それにしても、事故発生(午後4時、生足をグギっと鋭利に踏んづけられる)から、
痛み発生(翌朝、未明)のあのタイムラグはなんだろう?

とりあえず、ドクターに聞いてみたら、先生も首をかしげていた。

無香性のシップを前に、わたしは複雑な喜びをかみ締めている。

 


と、ここで、話がまるで変わるのだが・・・
足を踏まれたアクシデント付きの、一昨日のダンスパーティで感じたこと・・・

お年寄りでも美しい男性って、いるんですね。
お年寄りの年齢にもよるけれど、100歳ってことはないのだが、
年の頃なら、見た目・・・うーーん・・・70歳ぐらい?

いまでは、70歳では、お年寄りとは言わないだろう。
とても若く見えるので、67歳ぐらいかもしれないが、実年齢を知らないので、
若く見えるといっても、検証できないから、意味がないのだが。

顔の細かいシワから想定した年齢が、70歳。
でも、表情や雰囲気とか動き、姿勢、言語行動は、若い。
そして、ステキなのだ。
持って生まれた美しい顔。これが、あの年齢まで維持できていることが不思議。
というのは、わたしは、年齢の高い美しい男性というものを知らない。
味わいや哀愁、深み、重みはあっても、見た目の美しさ、というものは、さすがにない。

美しさというものは衰える。それは、盛者必衰の理。
美を売り物にする大女優は、敵は、外にいるのではなく、過去の栄光、ピーク時の自分だったりする。
夏木マリは、その点、とても美しく年をとったと感心して、毎朝NHKの「カーネーション」を見ている。

まあ、女性に関しては、世の中も、男性も、女性自身も、美しさには敏感で、こだわり続けるものだ。
だが、男性に関しては、オトコは見かけなんかじゃない、
ジャニーズジュニア系の、中身の薄い、年かさがいった姿は見るも哀れ、
なんていうかんじで、外見を重要視どころか、むしろ否定する方向でさえある。
(女性もその傾向ありだが、女性はある程度、美が衰えることを自覚しているので、
防備したり、開き直って、別の生き物になったりする)

わたしもそう思っていた。

(時折、ダンスウエアを買いに行く店で、大嫌いな店員がいる。
元、ジャニーズ系ルックスで若い時からモテモテ、30代ではさらに年上にモテモテだっただろう、
40代以降も、そのままのノリで、まだモテモテと勘違いしている、
年上女性には無条件で可愛がられると思い込み、わざとらしく、ぶりっ子で、アホっぽい、
ものすごくイタい男性ショップ店員。
わたしは、そのホストみたいな店員さんがいると、背筋がぞぞっと寒くなって、そそくさと早々に店を出る傾向にある。
アホで、でも勘違いしていて、年、くってる人って、見るに耐えない)


ところが・・・ところが、だ・・・

背もそう高くない、体格に恵まれているとは決していえない、そういう、地味めなご年配。
が、じつに美しい方がおられる。
それも、一人ではない。
最近、何人か、お目にかかった。
ノーメークなのに、顔が美しい。なんのまじりっけもない、透明感があるキレイな真っ白い肌。
もう一人の方は、ダンスに力が入り、うっすら上気してピンクがかった顔。
そして、表情が素晴らしい。とても魅力的で、品があって、好感度、スペシャル大。

別の人で、63歳ぐらい?身長172センチぐらいの人で、ボリュームの多いヘアスタイルが印象的な男性がいた。
その方も、また、どこがどう、と表現しにくいが、とてもいいかんじだった。
あとで、よおく考えてみると、顔の表情、接し方、態度に、えも言われぬ人間性のあたたかさ、大きさ、品を感じた。
あんな男性を連れていると、お相手のペア女性まで株が上がるというものだ。
ほんの一瞬、袖すりあう縁なのに、大嫌いな印象の人と、逆に、とてもいい印象の人がいる。
その中間の人が最も多い。

男性が、若く美しい女性を連れていると、羨望の的、お金や権力、オトコらしさの象徴なんて言われたけれど、
女性が、ステキな男性を連れていると、その女性の持ち点数がぐっと底上げされ、ポイントアップ。評価が上がる。
男性は、点数稼ぎの道具でも、アクセサリーでもなんでもないのは、百も承知だが、男性も女性に選ばれるし、
女性も、ステキな男性に認められるには、それにふさわしくなるために、自分も切磋琢磨しなければならない。


行動心理学によると、人間の行動には、必ず、心理が働く、とのことだ。
なにかしらの思いがあって、行動に出る。
かんじいい人と、かんじわるい人は、その、心理の違いが行動に現れていると思う。
表情、顔つき、言葉遣い、態度、しぐさ、
そういう、あまり深く感情に左右されないで、キャリアの積み重ねで自然に出るものと
会話内容、踊り方、進め方といった、アタマで考えた結果、出る行動とがある。
そこに、好き嫌いといった感情やフィーリングの一致、不一致が加味され、行動にまたひとつ、違った分野の要素が加わる。

「オジイチャン」というと、意固地に凝り固まった、枯れ木寸前の、ポキンと折れそうなイメージが、わたしにはあった。
ちょっと、その意識は、変わったかもしれない。
オジイチャンにも、思わず見とれてしまうような美しい、品のある、
そして、どきっとするセクシーな方もおられるということだ。
これは、びっくりだった。
スローキぺディア(=造語: スローのウィキペディア)を書き換えなくてはいけない。

わたしが想像するには、人生のある時点で、
こだわりや執着や苦しみのあと、ランナーズハイみたいに、ふっと軽くなった状態じゃないかと思う。
いつまでも、いくつになっても抜け出せない人は、老醜として姿に残るのではないかと。
これは、男性も女性も同じことが言える。

高齢で、やたら、べとべとギンギン厚化粧というもの、その老醜のひとつ。
薄い髪を気にしすぎるあまりの、ヘンなヘアスタイルもそう。
化粧をするな、オシャレをするな、とは、まったく思わない。
苦しみやピークを乗り越えたあとの、爽やかさのなかにも、美しさは必ずある。
そして、女性も男性も、いくつになっても、やはり、美しくありたい。

それは、介護の世界や、現実から見ると、ありえない机上の空論かも知れない。
が、夢のなかだけでなく、現実の世界にも、美しさは、あるところには、ある。
それを発見する目、気付く目が、あるかないかによって、美しさを見過ごしてしまうか、堪能できるか、
その違いはあるだろう。


ただしわたしは、美術鑑賞は趣味ではあるが、
美術工芸品やら、名骨董品やらを普段日常使いにはできないタイプ。
美しいものは、見て楽しむものであって、実用品とは別物と考える。
人も、おなじ。
美に魂を奪われるのは、美術品の世界だけにするのが身のため。
生身のもの(人間)や、変動するもの(金融商品)に、心奪われると、ろくなことがない。

 

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文章が長くなりすぎて、眠くなってきた。zzz

 

 


頑張ろうとすると、突然・・・

2012-03-17 | 日々のこと

昨日は、午前から続く過密スケジュールのなか、時間をやりくりして、昼食もとらず、京都に向かった。
ある会に参加するためだ。

はじめての場所。
京都駅から、どうやって行くのか、よくわからないまま、
とりあえず、たまたま出た改札口から、適当に歩き出した。

でも、時間がないので、行ったり戻ったりして迷う時間が取れないため、
地下街の売店の若い女性に、行き先の名前と大きな地図を見せて、「ココに行きたいんですけど・・・」
と、聞いた。

女性は、首をかしげ、しばらく黙って、そして、奥に引っ込んで、戻ってきた。
「ここをまっすぐ行って、左に曲がったところに、案内所がありますから、そこで聞いてください」
なんじゃいな~。

その教えの通り、案内所に向かった。
完全に外国人になったわたしは、他のガイジンさんに混じり、「ココ、行キタインデスケド・・・・」
と、たどたどしい日本語で、いや、ガイジンにしては、上手な日本語で尋ねた。
いっしょに案内所で道を尋ねていたのは、アジア系の貧しい層と思われる中高年女性。
新快速で、ちょっと大阪から30分、足を伸ばしただけの、近畿在住のわたしは、この女性と同じ枠かあ・・・

まあ、なんでもいい。
わたしは時間内に、少しでも早く目的地に着きたいので、
案内係のおじさんの言葉を一言も聞き漏らすまいと、必死で耳を澄ませた。

「この前を左に行けば、そこが入り口です」

なんだ~。
目の前ではないの。
梅田駅で、阪神デパートを尋ねるような、大阪駅で、大丸を尋ねるような、それよりもさらに近い場所にあった。
案内所から、100メートルも行かない場所だった。
それにしても、地下街で勤務する人って、よくまあ、あんなに知らないものなんだと、そっちのほうが驚いた。

そそくさと、でも、そんなに近いことに気分をよくし、
さっそく、お目当ての会場へと足を向けた。


その会場は、ある会が主催するダンスパーティだった。
ふむふむ・・・方向音痴のわたしが、はじめて来た割には、すいすい来れた。
満足して、受付をちょっとのぞき、自分で更衣室を探した。
が、なかなか見つからない。

ぐるっとひと回りしても、それらしき部屋が見当たらない。
で、仕方なく、受付の女性に更衣室の場所を尋ねた。

「ココを出て、ぐるっとひと回りして、部屋から出た場所の奥の部屋です」

その通りにしてみた。
ぐるっと回るのは2回目だ。
部屋から出たら、もう、階段や非常出口になる。
どうせ~と?

ぐるぐる、回って、ギブアップ。
廊下にいた女性に、聞いてみた。

「ココをまっすぐ行って、ほら、目の前に白い扉が見えるでしょ? あの扉の向こうです」

その扉は、何度も見に行った扉だった。
それにしても、わかりにくい更衣室だ。
わかりにくいのは、わたしが、(大阪から来た)外国人だからか?

やっとたどり着いた更衣室で、見知らぬ女性に、「これ、さしあげますわ」
と、パーティ100円引き券をいただいた。
100円でも、うれしい。
さっそく、浮いた100円をロッカー代金に使うことにした。

さあ、会場に足を踏み入れると、華麗に皆々様が踊るなか、
・・・・一人で、壁のシミとなりますか、どうなりますことやら・・・


ああ、ここまで書くと、もう、パーティの内容に触れるのが、面倒になってきた。
時間もエネルギーも残りわずか。


肝心のパーティだが・・・・・・
またもや足を骨折したようだ・・・・・・(小骨の骨折?)

踊っている時に、男性に足を踏まれた。
そのときは、痛い!と思ったが、べつに足を見ると、なんともなっていなくて、ほっとしたのだが、
ばかみたいに素足のわたし。(ふつうは、ストッキングとかをはく)
その上からスピード感のある足が、速い動きで乗っかってくると、なんらかの支障をきたすのは想像できる。

夜中に、寝ていると右足に激痛が走った。
あっ! あの踏まれた箇所だ。
恐る恐る、朝、起きようとしても、足に力を入れると、また激痛。
甲の部分から激痛が起こっているようで、痛みは広がり、右足でカラダを支えられない。
左足だけをずるずる引きずりながら、階段の手すりにしがみついて、一歩一歩、歩く。

今日、お彼岸のお墓参りに行く予定なのに、車の運転、どうすればいい?


楽しいパーティ報告は、中身がぽそっと抜け落ちて、
目的地に行き着くまでと、帰ってからのヘマ話となってしまいました。

ああ、わたしって・・・なんで、いつも、こう・・・?

それより、この足、どうにかならんか?

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解毒剤が欲しい

2012-03-16 | ブログ

わたしの最近のブログは、こんなことがあった、あんなものを食べた、こんなところに行った、と
日常生活を綴ったり、ライフスタイルをご紹介したり、
そういうことをあまりしなくなった。

卒業したわけではないのだが、ちまちま書くのが、ちょっと、つまらなくなっている。

丁寧な暮らしをしていない。
なので、ご紹介したくてもできないのが現状だ。
女性からの好感度が高くないのも、そのせいもあるのかも知れない。

考えることといったら、腹黒だし。

いま、小説の書き方をあれこれご指導してくださる先生がいて、
ちょっとした小説のルールを学べば、300枚ぐらいはすぐ書ける、とのこと。
でも、やはり小説を書く気は、しない。もちろん、能力の問題が先だが。
自称・小説家なんて、恥ずかしすぎる以前に、痛すぎる。

ケータイには、撮りためた写真がいっぱいあるが、ちっとも、まったくアップしてない。
以前なら、嬉々として、「こんなお店で、こんなの食べました」と、ひとつひとつアップしていたことだろう。

ちょっと、ある思いがあって、ブログへのキー入力の指が、非常に重くなっている。
その思いをブログに書けないところが、わたしの、ずしんとした重さの原因になっている。
どうして吐露できないのか、その理由も書きたいところだが、これまた、ある事情があって書けない。
あれもこれも、制限なく、ぱーっと吐き出せたら、どれだけスッキリするか・・・

ブログだけならいいが、リアルなわたしも存在していて、ブログとリンクしている。
制限があるということは、社会で生きていく中では避けて通れないルールだ。
自由自在に書けると喜んでいたブログにも、制限があるとは、予想外だった。
といっても自己規制のルールなので、ルールなんて、あって、ないようなものだが。

いかなるものからも開放されるのは、死ぬときだ。


この蝶ブログは、わたしの生まれて初めてのブログなので、
どういう風にしたらいいのか、試行錯誤の連続だった。
自分だけが満足できればそれでよかったのだが、だんだん、訪問人数やらランキングやらが気になり、
本来の目的から逸れている。
わたしは、それに振り回される凡人さゆえ、執着みたいなものが出てきて自分の首を絞めている。

思ったことをなんでもかんでも書きすぎていて、
その書いたもの(あまりにもしょーもない、つぶやき)に、自分自身が苦しめられる。
わたしは本来、自分のことを人に知って欲しくない性分なのだ。
日陰でひっそり、にやにや、にこにこしていたい。
なのに、こんなにべらべらホンネばかりを綴って、ふと気付くと、自分の毒気にあてられている。
ホンネはこころの中だけでつぶやいて、日のあたるところでは、建前で行かないと、
こころと社会性のバランスが失われる。


とあるブロガーさんのように、わたしもブログタイトルをころっと変えたい心境だ。

 

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上から目線

2012-03-15 | ブログ

ある人から、わたしのブログの、ある1記事だけを読んだ感想を聞かせていただいた。

おそらく、女性からは嫌われるだろうとのご指摘。
読んでいる人はいても、「好きで」、というのではなく、「キライだけど、でも気になって」、
そういう、「女性の敵」っぽいニオイがするそうだ。

なるほど、そう言われてみれば、その通り。
そして、もっと、うなずけたのが、このコメント。

「端から端まで、上から目線を感じる」

そう言われて、びくっとするわたし。
「え~? あんなに隠して、ソフトに書いているのに、わかります~?」

「ぷんぷん匂う」
とのことであります。

びしっと、正解を突かれて、いやはや、白旗。降参した。

アタマ隠して、尻隠さず・・・なんだろうか。

女性の敵で、上から目線。
とくに清く正しく美しい、性善説を唱える、立派な女性には嫌われるそうだ。

女性の嫌な面をこれでもか、と、観察するのも、嫌われる要素らしい。
同じ穴のムジナとして、自分を戒めるために書いているんだけど、
それが高じて、敵を作り、上から目線になっちゃうようです。

世の中やモノゴトを、否定することから始まる。
これは、脳ミソの活性化にはとてもいいそうだ。
自分も否定するついでに、意図せず、他の皆さんも同時に否定してしまうのがよくないのだろう。

せっかく、清く正しく美しく、まじめに生きているのに、
不真面目な人から、冷水をかけられるようで。

わたしは、立派な人を非難するなんて、そんな気はないのだけれど、
世の中には、自分は絶対に正しい、と、言い切っている、思い込んでいる人がいて、
マチガイを頑として認めない人が、けっこう、痛かったりする、と思うだけだ。

真面目路線を崩して、不真面目になりなさい、とは言いませんが、
時として、別方向からモノゴトを見てみるのも、悪くないのでは?と感じるだけだ。


上から目線に関しては・・・
ご指摘の通りで・・・ご無理ごもっとも。しかたない。
なぜなら、お腹のなかは腹黒いついでに、自慢のカタマリだからだ。
自虐スタンスを取りながら、じつは自慢してるって、誰が見てもわかるハナシだ。

「自慢」という言葉は、マイナスイメージであるが、
誇り、プライド、自尊心、・・・そんなかんじ?
一寸の虫にも五分の魂。
ただ、内容が、いかにも自慢っぽい。
ほんとうに気の毒な状況でもないのは、明らかなのに、わざとらしく嘆いて見せるのは、茶番劇以下。
それは、それで、ひとつの持ち味、というか、スタイルなので、確信犯みたいなものだ。

と、今回は、自分のブログを斬ってみた。

自己分析って、すっきり、さわやか~、というものでもないなあ・・・
けっこう痛いものですね~

 

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泣けました

2012-03-14 | 人生

日曜日のコンサートでシャンソン歌手がしんみり歌うのを聴いて、思わず涙してしまった歌。
「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」(樋口了一/2008年発売)
もとは、一通の差出人不明のポルトガル語で書かれたものだったとか。


「手紙」


年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても 
どうかそのままの私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしたとしても 靴ひもを結び忘れても 
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい 

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても 
その結末をどうかさえぎらなずにうなずいて欲しい 

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は 
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた 

悲しいことではないんだ
消え去ってゆくように見える私の心へと 励ましのまなざしを向けて欲しい


楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり 
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい 

あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 
様々な理由をつけて いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 
旅立ちの前の準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい 


いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ出来なくなるかもしれない 
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら 
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように 
よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい 
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど 
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい 
きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです。

あなたの人生のはじまりに私がしっかりと付き添ったように 
私の人生の終わりに少しだけ付き合って欲しい

あなたが生まれてくれたことで
私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい


私の子供達へ 愛する子供達へ

 

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バイ菌まみれ

2012-03-13 | 日々のこと

昨日のブログは、一方的にまくし立てた感あり。
その勢いで、夫にくってかかれたら、言うことなし。
それができたら、我が家も、もっとステキな明るい家庭になっていたことだろう。
部屋の隅っこで、暗く三角座りしているのは、わたしかも知れない。

ぐちを言い出すと止まらない。
指に油でも塗ってある? 
するするする、ちゃちゃちゃちゃーっと、キーが流れるように動く。
動かしているのは、わたしなんだけれど。

時代を怨んでいては前向きに進めない。
世のお父さん方も、同じ方向を見て頑張ったからこそ、戦後の復興や、高度成長期を支えたんだから。
その裏方で、奥さまたちの頑張りあっての、高度成長。

いまみたいに、女性の顔色を伺ってばかりいては、時として、情けない。
仕事に没頭できない環境で、仕事がデキる?
がむしゃらに頑張る新興国に、どんどん追いつかれ、追い越される。
単純労働、作業ではない、仕事の質を問われると、これはこれでまた、キツイ。

どっちやねん? 意見がコロコロ、変わるわたし。
哲学者になりきれない(ほど遠い)、地図を読めない女性の典型です。

男女、夫も妻も、どっちとも仕事に没頭できれば、いいですね。
ただし、2人とも、同じクラスの同級生みたいに、同じぐらいのレベルであることが前提かもしれない。
努力して能力を高め、同じぐらい頑張って、家庭も同じように頑張る。


わたしは、いつも、言っていることと、やっていることが矛盾している。
これは、理想と現実のギャップが大きくて、分裂症気味だからだ。

ま、それはそれとして・・・(とすぐに、話題が変わる)

長いものに巻かれる生き方は、それはそれで、卑怯ではあるけれど、楽だ。
純粋を貫くのは、たいへんなので、いっそ毒を飲んで、醜い人間として、再生いたしましょう。
ヒューマン・リサイクル。
傷ついて生きるより、バイ菌だらけのほうが、マシかも。
名もなき、無名の、雑草のごとく。踏まれて、なんぼ。

皆さんは、努力して、清く美しく、たくましく、生きてください。

 

 

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切り札

2012-03-12 | 暮らし

昨日、母、姉、義姉と、シャンソン&ピアノのコンサートに出かけた。
義姉のお友達が出演。
天は二物も三物も与えるんですね~、という、感想。
ステキな時間だった。

ランチをした時に、
GWの旅行話が出て、わたしが皆に惨状を訴えたところ(=たんなるグチ)、
わたしのブログを知る姉が、母に、
「ブログで日々のことを世界中に発信し、公開している」と、大げさに面白おかしく説明した。

母は、それを真に受け、そんな大層なブログにまでアップするほど、深刻なことになっていると思い、
「あなたは、わがままだ。もっとご主人を大事にしなさい。なにがなんでも、、旅行にいっしょに行きなさい」
と延々、わたしに説教が続いた。

ランチのあいだじゅう、ランチが終わっても、なかなか終わらない説教を聞かされて、うんざり。

わたしは、旅行の方法について、意見が噛み合わない、話し合いの余地がない、と嘆いているのだが、
言葉足らずのわたしと、思い込みの強い母とでは、どうも、意思疎通がスムーズにいかない。


以前にわたしが娘と参加した団体旅行(フランス)に、奥さんだけで参加されている女性が個々に2人いた。
ご主人とは、行き先の嗜好が合わないので、お互いに行きたいところに別々に参加されているそうだ。
その団体フランス旅行参加者には、独身らしき女性が、さらにもう2人。
独身らしき男性は1人。
不倫カップルと思われる中年男女が1組。(わたしの独断と偏見の、予想)
あとは、ファミリーと、母娘、新婚さんだった。(新婚でないご夫婦もいたかも?)
けっこうな大人数で、団体ならではの辛酸をなめ、
この旅行を最後に、わたしは団体旅行・卒業宣言をこころに誓った。

 

よくよく考えれば、わたしの実家では、小さいときから、旅行は個人旅行だった。
(ある世代には、「小さい時から旅行なんて贅沢だ」と反感を買うかも知れない。
ラグジュアリーなものではなく、山登りや、時刻表片手にプランを立てたり、オリジナル性を重視した旅。

父は、仕事が超多忙だったので、家族旅行はあまりいっしょに行けず、
母が連れて行ってくれた。
母が、小さい子供たち(わたしたち、きょうだい)と、
ホームに到着した列車に飛び乗ったら、反対方向だった、なんてこともあったりした。

子供たち(われわれ)が独立したあとは、北海道でレンタカーを借りたり、両親揃って旅行に行くこともあったが、
お互い別々の旅行に出かけることも、よくあったようだ。
(というか、父は、相変わらず、仕事が超多忙で、連泊旅行には数えるほどしか行けなかった)


夫側の両親は、旅行に行くようになったのは、おそらく義父が60歳を過ぎてからだと思う。
いつも義父の選んだ団体旅行に、義母と参加する。
義母は、どこに行ったのかもよくわからないまま、あとを着いていくだけ。
団体バスの席も、前方と後ろ側とに、別々に座っていたとか。
バスから降りて観光する時も、時によっては、
義父だけ、もうその場所はいいからパス、と、喫茶店でお茶を飲んで、義母だけ観光に歩かせることもあったそうだ。

わたしの目から見ると、まったく面白くもなんともない団体旅行の、ほとんど同じコースを何度も繰り返し行く。
ほんの一部分だけ、違う要素が組み入れられている、団体旅行を選ぶ。
ひとそれぞれ、好みがあるので、自分のお金と、自分の時間を使って行くんだから、べつに構わないが、
行ってきた団体旅行の話や、これから行こうとする団体ツアーの予定を聞かせてもらっても
「へえ~。そうなんですかあ~」と、相槌を打つだけだ。

先日、義母は、ぽつんとこう言った。
「おとうさんには、あちこち旅行に連れて行ってもらったけれど、覚えているのは食べたものぐらい。
自分は、いったい、なにをしてたんやろうって、虚しいような気持ちになるわ」

それとともに、人生を振り返って、
前はよく、自分はいかに幸せか、ということを親戚や友人と比較しながら、納得していたが、
ここのところ、言うことが違ってきている。
義母たちは、家制度が崩壊する前で、しかも、軍国主義真っ盛りの頃に青春をつぶされた世代。

「自分は、なんのために結婚して、なんのために生きてきたんだろう。
あんなに自分を犠牲にして尽くしてきたものは、なんだったんだろう」

そういったニュアンスが読み取れる。

一生懸命、ガマンして、辛くても耐えて忍んで、頑張ってきた過去の日々。
時代の流れ、価値観、ライススタイルの変化、
自分の居場所を見失い、それらに取り残されたかのような寂しさ。
どの時代の、どんな人にもあると思う。

特に、義母は、イエに尽くしてきたこと、
当時の男尊女卑の風土、風習、慣習のことを語りだすと、怒りや悔しさがこみ上げ、うっすら涙すら浮かべる。


男性だって、定年後、自分の居場所を見失う人が多い。
あんなに一生懸命、骨身を削って寝食を忘れるほど頑張ってきたのに、
戻ってきた家庭には、ご苦労様という安らぎの場所は見当たらず、
「げっ、あんた毎日、一日中、いるの?」という、変わり果てた妻の、ふて顔。(きみまろネタそのもの)
そりゃあ、気の毒。
現役の頃から、退職したらぜひ行こうと計画していた旅行。
わくわく、アタマの中でプランを立てる。
妻を誘えば、「あんた、一人で行ったら? わたし、もう、そんなトコ、何回も行ってるし、団体なんかヤダ」
と、けんもほろろ。

と、哀れをさそい、不幸はクライマックスに。
いつまでも、真っ暗い顔をして、真っ暗な部屋の隅っこで、ひとり膝を抱えて三角座り(=体育座り)してなくっても、
アタマを切り替えて、
だったら、一人で行けばいいんじゃない? 一人は、いいですよ~。
相手が嫌だって言ってるんだったら、強制的はよろしくない。
「オレがわざわざ、2人で歩こう、って、言ってやってるのに」、
なんて高い位置から頭ごなしに考えるから、不調和音になるのだ。

(関係ないけれど、
社交ダンスでも、自分本位で引っ張りまわす踊りの男性は、女性にめちゃめちゃ嫌われる)

妻は、お先に、一人で、もしくは、仲間たちとお先に半歩も10歩も先に歩いている。
その間、出遅れたのは、仕事のせいもあるので、かわいそうではある。
でも、仕事を最優先で、家庭は一切関係なし、仕方ないにしても、
言葉がけ、会話がなくても理解されているはず、というスタンス、ほんとうにそれでよかったの?
よくなかった妻は、子供が成長したあとは、一人歩きしてしまったようだ。
なかには、ちゃんと歩調が合った、仲良しのご夫婦もおられる。
ただし、歩調を合わせるのには、努力と時間がかかる。


定年後、時間はみな平等だが(介護がある人を除く)、交友関係、お金には、多少ばらつきがある。
その限られた資源の中で(人も大事な資源のひとつ)
自分に合った、自分がやりたい道を選んで進むと、と~~っても、楽しい老後が待っている(はずだ)。
決して、妻に寄りかからないで。
お互い、ポイント、ポイントで、タイミングが合えば、フレキシブルに、いっしょに行動すればいいと思うのだが、
どんなもんでしょう。

 

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客観的なこと、ひとのことは、すっきり見通せるのに、
自分のこととなると、あああ、重い~~~。
それもわたしが今まで、サボってきた長い道のりの結果、自業自得だ。


ピンチ

2012-03-11 | 日々のこと

ここのところ、夫婦の危機。
いつも危機なので、どの局面が危機なのか、もはやわからなくなっているが。
その、年がら年中、危機のなかで、さらに、危機だ。

というのは、旅行。
夫が、旅行をしたいという。
まだ現役世代なので、休みは、暦どおりにしか取れず、
旅行代金がいちばん高い、混んでいる時にしか行けない。
(お仕事、ご苦労様です。それはそれで、感謝する)

で、今度のGWの旅行。
団体旅行、しかも、バスに詰め込めるだけ詰め込まれる、大所帯。
いまどきの学校でも、一クラス、あんなに生徒数はいないんじゃないだろうか、というぐらい。
それが、一クラスまるごと、団体で、どこへ行くにも、なにを食べるにも、トイレも土産物屋にも、
ぞろぞろぞろ。
目的地への移動も、ぎゅうぎゅうバスの中。ブロイラーのごとく、

どこに連れていかれれるのかもよくわからないまま、
「ココで降りてください」
「トイレに行ってください」
添乗員さんの指図どおりに、囚人のごとく、市中引き回しの刑。

朝は、毎朝、早くからホテルの廊下にスーツケースを並べ、
それまでには、あたふたと全て身支度を整え、朝食を取る部屋へと行進。
二日に一度の時もあるが、毎日の時もある。
パッキング地獄。

名所近くのレストランでは、団体旅行客専門の部屋に押し込まれ(トイレの前だったりする)
他のお客さんは、ゆったり、ステキな空間を楽しんでいるが、
団体客は、隅っこの端っこの、奥の部屋で、隔離病棟のごとく。
しかも、いっせいにトイレの行列に参加する。

修学旅行のノリで、客同士、仲良くはなるけれど、どこに行ったかなんて、あまり記憶になく、
あの客は、うるさかっただの、集合にいつも遅刻するだの、やたら、騒ぐだの、派手だの、クレーマーだの、
人間模様ばかりが記憶に残る。

惨状が目に浮かぶ。

わたしは、団体旅行は、大嫌いで、
昨秋、パリに2週間行ったが、前半と後半で、2つのアパルトマンに滞在した。
一人旅の気ままさもあり、自由にパリを満喫した。


夫に、自由に行動を組み立てる、個人旅行を提案したが、あっさり、きっぱり却下された。
話し合いの余地なし。

わたしの大嫌いな団体旅行に、無理やり、押し込められようとしている。
しかも、いっしょに行かなかったら、離婚するんだって。
笑っちゃいますね。

いつもは、夫婦の危機、で、具体的には漠然としない、たんなる不調和音の気まずさだったが、
今回は、離婚の危機であります。


三浦友和主演の映画で、熟年夫婦の夫が、妻に旅行を提案し、
妻は、離婚届を用意するというストーリーがあったが、
うちの場合、夫は、旅行と離婚届を用意し、妻は、団体旅行手続きを強制的にさせられ・・・

小説のネタが仕入れられそうだ。

 

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あたふた土曜日

2012-03-10 | 日々のこと

昨日は、思いがけず、いいことがあった。
その延長で、今日も休みではあるけれど、お出かけとなった。

いいこととは・・・趣味の分野でありまして、
わたしだけが、楽しい話なのだが。


明日も、休みであるが、母や姉・義姉たちと、数ヶ月前から約束していたイベントに出かける。
土日、連続お出かけ、というのは、じつのところ、あまり好きではない。
ゆっくりするヒマがないのは、よろしくない。

だらだらだらと、ひとさまのブログをふらふら見たりする、有意義でない時間が、
わたしには、とても有意義なのだ。

わたしに、「小説を書いたらどう?」と無謀にも薦める方がおられる。
ありえない。
わたしは、作り事はめんどくさい。

なので、「わたしは」、「わたしは」、と、一人称になってしまう。

わたし、ってことにすると、なんでもかんでも、好きなことが書けて楽だ。
それに、話が、ころころ変わっても、つながりは、「わたし」なので、
わたしみたいに、こんがらがったアタマが整理できない人間には、とてもイージー。

ほんとうは、おんなの怨念、恨み、つらみの積み重ね、みたいなものを書いてみたいが、
エネルギー不足。
入院したり、服役したり(これはありえない)、じっと、一定のところに、縛り付けられてないと、書けないかも。
(それ以前に、能力の問題。これは、火を見るより明らか)

でも、そんなマイナス・エネルギーを充電するって、やっぱり楽しいことではない。
わははと、毎日過ごせれば、のーてんきな幸せ。

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それでも、やっぱり、生きていると、思い通りにならない、うっとうしいこともあるんです・・・


スキとキライの間には、なにがある?

2012-03-09 | ブログ

今日は、ふとんの中で、起きる時間か近づいてきて、時計を見ながら
「あと5分」というやつを4回繰り返し、20分、いつもより始動遅刻。

そのせいで、今日は、提出しなければいけない、延ばし延ばしのダスキンモップ交換日、
モップ掃除のスタートが20分遅れた。
そのせいで、ブログに取り掛かる時間が、またまた20分遅れ、

さらに、その遅れを承知しているのなら、即、取り掛かればいいのものを、
まったく関係ない、愛読している「女性についての、とても深い観察、実験、体験」ブログを読む。

そのブログは、年配の男性が書いているものだが、
はじめは、だいっキライで、それこそ虫唾(むしず)が走っていた。
なんという、キショク悪いヒト!!と思っていた。
女性の敵!!最低!!と嫌っていた。

でも、無理やりガマンして(そんなにまでして読む必要はまったくないのに)
ずっと読み続けていると、いつの日からか、キライのピークから緩やかに、なだらかに、
キライ指数が下降し、キライもスキの一部、となり、
今では、待ち遠しいほどになっている。

この変化は、いったい、なに?

自分でもよくわからないが、
おそらく、文字間に毒が盛られているのだと思う。(うそです。真に受けないように)

これは、ひとえに、そのブロガーさんが、ひとの誹(そし)りも気にせず、評価なんぞに振り回されず、
ひたすら、自分の好きなことだけを、
それも、一部分、一点のみを、深く深く深く追求、掘り下げたからに他ならない。
「スキ」、ってことは、力を与えるんでしょう。

掘り下げるフィールドが、ちょっと、わたしでは役不足、経験不足なので、
分野的にマネはできそうもないが、
ある意味、面白い現象だ。

 

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