ニオイ
確定申告の時期も過ぎ、昨日の辣腕・若手税理士K氏は、まったく元気がなかった。
連日の睡眠不足が続き、ぐったり。
「とにかく、眠りたいです」
くたびれきった顔で言うK氏の顔を見ながら、
この人も、いっちょまえ(≒一人前)に年を取ってきたんだなあ・・・と時の経過に妙に納得した、わたし。
初めてお会いしたときは、少年に、年齢を少し加えたような人だった。
彼が属していた会計事務所から派遣されて、わたしに面会に来た時だった。
その頃は、仕事内容や、やり方に問題意識を抱く、少し前だったと想像するが、小柄で、あまり印象に残らない青年だった。
人は、考え方、問題意識、やる気、努力、行動力、成果、生き方で、見かけはどんどん変わるものだ。
いつもわたしは、ナニサマ発言である。
ブログを読んでくださった方に「そんなナニサマっぽさは感じません」と心優しいコメントを頂戴したが、
そのことを「上から目線」と酷評してくださったお方に伝えると、
「いやいや、上から目線、ぷんぷんです」と、がんとして主張を譲らなかった。
そうかなあ・・・きっと、そうなんだろう。
というか、見方によって、見え方、感じ方は変わるということだ。
見る人の数だけ、感受性は存在するし、同じ一人の人でも、対象物によって、いろんな感じ方をする。
白にも黒にも見えるってことだ。
わたしは、色は、いろいろあるほうがいい、という主義なので、何色に見えていただいても、
わたしは、わたしなので、
わたし以上でも、わたし以下でもないので、いっこうにお構いなしだ。
色だけでなく、立体、3Dに見えても、動き、声、音響が加わっても、ニオイや振動がついてきても、
(わたしにとって)不快や恐怖のマイナス方向でなければ、イマジネーションの世界には、なにも妨げるものはない。
「ナニサマ」、「上から目線」が、そんな立体的なイメージになると、どんな感じになるのだろう・・・??
この分野は、たいして3Dや動画にする必要はなさそうだ。意味がない。
ひとつだけイメージ要素を特化してピックアップすると、「ニオイ」だろう。
ニオイは、同業者や、同種、同類の人間が、嗅ぎ分けてくる場合が多い。
目に見える見かけだけでは言い表せきれない、ニオイというものだ。
この、ニオイを嗅ぎ分ける嗅覚というものは、人生においても、かなり重要な役割を果たすことがある。
意識せず、天性のもので勝手に嗅覚が働く場合と、努力や必要性に迫られて研ぎ澄ませている場合とがある。
解決できない大きな問題に発展することもある。
なので、ニオイを感じても、あたりさわらず、そっと、軽く反応し、場合によっては、知らん顔しているほうが
深入りしない、身を守る、ずるがしこいやり方かもしれない。
ニオイというものは、共通項のある人にしか感じることはできないものもある。
が、そんなもの、あろうがなかろうが、いいニオイ、悪いニオイ、これは誰にでも感じることができる。
ヨーロッパ貴族は、香水で、体臭を消したように、自分自身が好まないニオイを嗅ぎ取られるのは、嫌な人は多いと思う。
マネーロンダリングみたいに、出どころを消しちゃうわけだ。
そのうえで、好きなニオイを重ねて、オリジナルなニオイをつくる。
特殊なニオイを共通して感じる人同士は、いつも一緒にいないほうがいいと思う。
影響力を与え合うのは、同じニオイの人だと思うけれど。
感性が響き合いすぎて、神経がいつもONになり、くたびれる。
芸術家同士は、高めあうときはいいけれど、衝突すると、粉々になる。
だからといって、鼻の詰まっている人よりは、
普通のオーソドックスなニオイ判定をする人と、一緒にいるのがいちばん、いい。
なので、ニオイの違う、違った分野の人といるのが、お互い、適度な距離を保てて、いいのかも知れない。
ニオイもひとつだけではないので、いろんな分野の中で、ひとつ、もしくはいくつかが、共通していれば、それで十分。
好きな香水をつけて、本来の自分とは違うニオイを楽しむのもいい。
時には、いつもと違った香水で、違った自分になるのも、いいかも。
ちなみに、わたしが好きなのは、あま~い薔薇の香りの香水です。
(イメージ合わなくて、すみません)