蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

無資格者が、言うのもなんですが

2012-03-20 | ブログ

今回
わたしのブログをお読みになられる方が、(またもや)わたしのことが大嫌いになるような内容ではありますが、
キーボードを打つ指を抑えられないのも、不徳のいたすところであります。


ある、浮気亭主に悩まされる妻の会ブログ。
このブロガーさんの意見、考えは、とてもはっきりしている。
自分が歩んだ道、とった行動、選んだ道は、なにがなんでも正しい、と、強く、一点のかげりもなく信じておられる。
彼女のブログに思いを寄せる、浮気されて離婚を要求されている妻に、
その考え、信念を、正しい道として、とうとうと説き、正しい道に導く。

ブログ上での、そのやりとりの回数は、ハンパではない。
そのやりとりをいちいちのぞきに行く、わたしのヒマ人根性、のぞき見趣味も、ハンパではない。

同じように、亭主に浮気されて、結果的に離婚した人には、さして関心を示さないブロガーさん。
浮気され、離婚を要求されているが離婚していない妻には、執拗なまでに、救いの手を差し伸べる。
浮気されて、でも離婚しなかった人たちとは、縁側に集う家族の会のごとく、和気あいあいと。

いくら、自分が選んだ道が正しいと納得したいからって、他のコースを一切がっさい全否定って、すごい。
自分が救われたら、それでいいのだから、関係者ではない他人は何を言う資格もないし、なんの効力も強制力もない。
よかったね、という、暖かい拍手を送るべきなのだろう。

夫に浮気された苦境を「幸運」と、とらえるそうだ。
わたしは、幸運だなどと思えない。どう見ても不運だと思う。
自分を変えるキッカケを与えてくれた、幸運なんだそうだ。
(その割には、自分の非を認めることなどせず、まったく消化も、昇華もされていない
ドロドロの憎悪、悪意のカタマリが、消えることなく強くこころに渦巻いている)

浮気されて苦しんでもいない人には、わかるまい、というスタンスだから、
浮気の苦しみ経験がない人は、人間扱いされていないので、道端の石ころのごとき、扱いを受ける。
というか、そんな、関係ない、接点のないブログに、なんで、そうちょいちょい見に行くのか、わたし?
(浮気騒動の経験がない、わたしを含め、世のオクサマ方も、
ただ、夫の浮気を知らないだけ、発覚していないだけの、幸運な人々である可能性もおおいにある)


わたしは、逆説の論理を楽しんでいる。
不幸な人の不幸を楽しもう、なんて、そんな人として最悪、最低の思いはさらさらない。
そうではなくて、まったく、思考回路や考え、フィーリングの合わない人が世の中に存在していることに、
斬新な驚きを感じるのだ。

自分と同じものだけを純粋に拾い上げ、すくい上げ、それらに囲まれてだけ過ごす、心地よさ。
それは、だれしもあるだろう。
他を一切、排除する、その様子がありありとわかる、ブログというものの、面白さ、怖さ。


浮気され、離婚してくれと懇願され、でも、がんと離婚しない妻。
なんで? Why?
夫が他の女性に走って、そっちに鞍替えしようとしている。
夫は、愛人にそそのかされているだけで、たんに熱病だと言い切る。
べつに夫を愛しているわけでもない。
あるのは、執着心と、自己愛と、妻という社会的身分保障と、ついでにお金。
(ひょっとすると、見捨てることが出来ない、介護が必要な高齢の親がいるのかも知れないが
それも、ある程度、お金で解決できる)

十分な慰謝料を用意できない夫、十分な慰謝料が用意されないと離婚したくない妻。
離婚すると、少ない慰謝料では現状の生活レベルが維持できない。
自分の代わりに、夫の愛人が妻の座に、ででんと座ることへの、耐え難い屈辱。


ここで、今回の記事が終了していれば、斬った!というかんじになって、毒舌路線で完結する。
わたしの弱点、難点は、じゃあ、自分は?と自問して、わけがわからなくなり、ドツボに陥ることだ。


わたしなら、どうするかな~??
十分な慰謝料をくれないなら、離婚しないだろう。
つまり、あのブロガーさんや、被害者の方々と同じなのだ。

が、十分な慰謝料を闘って取る可能性もないわけではない。
そうなると、わたしは、離婚しても、しなくても、どっちも選べる、二者選択の余地があるというわけだ。
その時点で、十分な慰謝料が取れそうもない気配の
(というか、たとえ少しでも慰謝料を取って離婚する方向には導かれない)彼女たちとはちょっと違っちゃうわけで、
同じ視点で見ることができなくて、上から目線になってしまうということだ。

ということは、そんな場所から、批評家やカウンセラーみたいに、したり顔で物申すなんて、けしからんことだ。

夫の浮気に苦しむ=お金に苦しむ、という構図。
夫に適正な金額のお金がないから、苦しむ。

生活を取るか、こころを取るか。


自分の現実はさておき、仮定として、もし、十分な慰謝料が取れないとすると・・・どうする?
一生懸命、仮定法で考えるが、結婚のいろんな状況を考えても、わたしの想像力がちっとも働かない。
慰謝料だけの問題でもない、いろんな方面の問題が、複合的に、ごちゃっと詰まっていて、
こんがらがった糸を解くには、たいへんな作業となり、わけがわからなくなって、面倒くさくなってきて、
ついには、どうでもよくなってくる。

あれこれ考えると、そんなたいへんな目に遭うのは、夫もわたしも、うんざりすることだろう。
それを考えると、そんな面倒な事態は出来るだけ回避したい方向にもって行きたい。
ということは、そんな事態を引き起こす行動は、慎むということ。
それが、面倒くさがり屋には、いちばんの近道。

なので、自分たち夫婦のこととしては、シュミレーションできない。感情移入できない。
離婚騒ぎは、ありえない。
平和で仲良し、熱々で、プラスの要因で離婚はありえないのではなく、
面倒くさがりで、イザコザはうっとうしいという、マイナス、消極的理由で、離婚は、ありえない(いまのところ)。

なので、決定的な亀裂が生じて手遅れにならないよう、日ごろ、あまり大胆な衝突は避けようと、小さな努力を積み重ねる。

そうすると、ドロドロの浮気された妻の会とは、どんどん生活実体が離れていってしまう。
自分とは、かけ離れた世界のごとく感じる。
なので、いくら正当性を訴えられても、まったく、こころに響かず、正反対の、考えが合わない集団として映る。
その自己主張っぷりがあまりにもすごいので、ホラー映画を見るかのごとく、ついつい、のぞきに行ってしまう。


ああ、話が、堂々巡り。
悪い予感がしたとおり、なんか、よくわからなくなってきた。
わたしは、上野千鶴子教授の、爪のアカを煎じて飲んでも、お腹をこわしそうだ。
ぐるぐる、ぐるぐるぐる。

なんか知らないけれど、そういうわけで、「夫に浮気された妻の会」ブログ
引き寄せられるのは、なぜなんだろう・・・と自己分析してみた。

 

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