わたしは、男尊女卑の陰で泣いている側の人間だ。
そして、男女平等になると、一瞬にして、男性に負ける側でもある。
なので、不公平だ~と、男女平等を訴えると、とたんに、自分が不利になる。
どうすればいい?
自分が劣っている分、優先座席のシートみたいに、かばってもらえる。
わあ、楽だ。
でも、ふつうにしていると、気が付くと自分の定位置は、常に低い場所にある。
そして、男尊女卑だ、と声を上げると、「しかたないなあ・・この人は・・・」と、
へきへきした顔で、手を差し伸べ、時折、底上げしてくれる。
こういう人間がいると、いちばん困るのは、優秀な女性だ。
「おんな」というひとくくりで、みなされてしまうので、実に、気の毒だ。
おんなの足を、おんなが引っ張る。
最近は、男女平等の枠内に、きちんと優秀な女性枠がキープされているようなので、
ちょっとほっとしている。
わたしのような女性のせいで、足を引っ張られることなく、
のびのびと実力を発揮できる舞台が確保できるような社会になりつつある。
ただし、女性だからと、甘くは見てもらえない。
事故や災害の時などは、女・子供・老人は、屈強な成人男性に比べると、身体的能力が劣っていることが多いので、
比較的、優先してもらえると思うが。
戦争等では、あえて、弱いものをターゲットにする悲惨さには言葉を失う。
女性は、子供を産む年齢制限があるので、その点では、出産時期や、仕事の予定や管理には、男性より選択肢が狭まる。
母乳の人は、冷凍する方法もあるが、でも、男性に比べると、たいへんだ。
おしめを替えるのは、男性、女性、どちらが適しているか、ということはないと思う。
食事・掃除・洗濯もそう。
強いて言えば、収入を多く稼ぐ方の人は、稼ぐ方に力を注いでもらうほうが、経済的には合理的。
拘束時間が緩やかな方の人は、育児などを臨機応変にしてもらったほうが、うまくコトが進む。
ただし、家族で話し合って決める。
プロの料理人や、建築家、華道・茶道家などに男性が多いのは、それなりの社会的背景もある。
特に伝統的な家元制度は、その歴史などをよく熟知したうえで、モノ申すべきだ。
わたしなど、いつも生半可な知識で、したり顔をして、めちゃめちゃ間違ったことをヘーキで言ったりする。
あとで、顔が火事になっているが、後の祭り。
いつもいつも、顔から火を噴いていると、化粧のノリが悪いので、
「わたしは、ええかげんなコト、いつも言ってます」と、先に前置きすることにしている。
それで、免れるわけではないのは、十も承知。
免罪符には、なりません。
免罪符にならないことを承知で、無理やり、免罪符にしようとしているところが、
「わたし、男尊女卑の陰で泣いてます」の、涙ながらの直訴アピールに、近いものがある。(わたしにだけに、関して言うとです)
確信犯は許されないのに、
強引に、電車の小さな隙間に、およそ入らないだろうというカラダをねじ込んで座ろうという、厚かましさを持っている。
そうやってでも、生きていかないと、
生きていけません。
食べるものに少々、ホコリがついていようが、賞味期限が過ぎようが、
食べないことには、生きていけません。
そう言えば・・・
社交ダンス・レッスンの生徒さんで、とほうもなく、あり得ないほど、ムカつく人がいる。
前々から、この人は、このレッスンには不向きだ、とは思っていたが。
適材適所、どんな分野でも、その人に合ったところで、活躍されることが一番いい。
その人は、ほぼ初心者の方で、足型をほんの少しだけ覚えられ、軟体動物のフォークダンスのようなかんじで、踊られる。
わたしが個人レッスンを受けている先生(プロの現役競技選手)の、グループレッスン・クラスに入っておられる。
そのレッスンは、同じ先生の個人レッスンを受けておられる女性の生徒さんが結構、多い。
女性の生徒たちは、デモや、いろんなことを経験された方が多く、キャリアも長く、年齢も比較的若い。
そこで、基本をさらに美しくブラッシュアップするために、先生のグループレッスンを受けている。
その、ミスター軟体動物は、このクラスに、何ヶ月か前から入っている。
「同じ踊りばっかりで、つまらない、飽きてくる、疲れる」
とまわりに仰る。
基礎の同じことの繰り返しではなく、難しいステップを教えてもらいたいようだ。
そのクラスは、何年も個人レッスンを受け、そこそこデキル人が多く、難しい基礎の動きを学ぶクラスなのだが、
難しい基礎は、彼の目には、単純で面白くないように映るようだ。
というか、基礎のキの字も、できていないんだけれど。基礎は、素通り。
基本が出来ていないなら、おとなしくしていればいいものを、へんに先生のマネをして(したつもり)で、
ぐにゃぐにゃ軟体動物踊りをされる。
その動き、ぜんっぜん、まったく、ちがう。
なぜ、その人が、あのクラスにいるのかは、まるで不思議な世界。
ジャマさえ、されなければ、まあ、いいか、ぐらいに思っていた・・・・
が・・・、わたしは彼に、前回のレッスン中、「あ、ここ、手は、こうやって広げるんですよ」と、指摘された。
なんで、あなたに、わたしが教わるわけ???
ぶっちーーんと、ブッちぎれた。
その瞬間、わたしの顔は、おそらく笑っていただろう。
あの人は、趣味仲間がいないのか?
話を聞いたり、アドバイスをしあう人がいないのか?
巷のあふれる情報に耳を傾けないのか?
どう考えても、来る場所、属するクラスが違うやろう??
周りと自分とのギャップに、なにも感じないのか?
ギャップがあることさえ、気付いていないのだろう。
さすがのわたしも、驚きのお方だ。
いくら注意されたからって、ナニサマ発言、やりすぎました。