蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

解毒剤が欲しい

2012-03-16 | ブログ

わたしの最近のブログは、こんなことがあった、あんなものを食べた、こんなところに行った、と
日常生活を綴ったり、ライフスタイルをご紹介したり、
そういうことをあまりしなくなった。

卒業したわけではないのだが、ちまちま書くのが、ちょっと、つまらなくなっている。

丁寧な暮らしをしていない。
なので、ご紹介したくてもできないのが現状だ。
女性からの好感度が高くないのも、そのせいもあるのかも知れない。

考えることといったら、腹黒だし。

いま、小説の書き方をあれこれご指導してくださる先生がいて、
ちょっとした小説のルールを学べば、300枚ぐらいはすぐ書ける、とのこと。
でも、やはり小説を書く気は、しない。もちろん、能力の問題が先だが。
自称・小説家なんて、恥ずかしすぎる以前に、痛すぎる。

ケータイには、撮りためた写真がいっぱいあるが、ちっとも、まったくアップしてない。
以前なら、嬉々として、「こんなお店で、こんなの食べました」と、ひとつひとつアップしていたことだろう。

ちょっと、ある思いがあって、ブログへのキー入力の指が、非常に重くなっている。
その思いをブログに書けないところが、わたしの、ずしんとした重さの原因になっている。
どうして吐露できないのか、その理由も書きたいところだが、これまた、ある事情があって書けない。
あれもこれも、制限なく、ぱーっと吐き出せたら、どれだけスッキリするか・・・

ブログだけならいいが、リアルなわたしも存在していて、ブログとリンクしている。
制限があるということは、社会で生きていく中では避けて通れないルールだ。
自由自在に書けると喜んでいたブログにも、制限があるとは、予想外だった。
といっても自己規制のルールなので、ルールなんて、あって、ないようなものだが。

いかなるものからも開放されるのは、死ぬときだ。


この蝶ブログは、わたしの生まれて初めてのブログなので、
どういう風にしたらいいのか、試行錯誤の連続だった。
自分だけが満足できればそれでよかったのだが、だんだん、訪問人数やらランキングやらが気になり、
本来の目的から逸れている。
わたしは、それに振り回される凡人さゆえ、執着みたいなものが出てきて自分の首を絞めている。

思ったことをなんでもかんでも書きすぎていて、
その書いたもの(あまりにもしょーもない、つぶやき)に、自分自身が苦しめられる。
わたしは本来、自分のことを人に知って欲しくない性分なのだ。
日陰でひっそり、にやにや、にこにこしていたい。
なのに、こんなにべらべらホンネばかりを綴って、ふと気付くと、自分の毒気にあてられている。
ホンネはこころの中だけでつぶやいて、日のあたるところでは、建前で行かないと、
こころと社会性のバランスが失われる。


とあるブロガーさんのように、わたしもブログタイトルをころっと変えたい心境だ。

 

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