わたしの最近のブログは、こんなことがあった、あんなものを食べた、こんなところに行った、と
日常生活を綴ったり、ライフスタイルをご紹介したり、
そういうことをあまりしなくなった。
卒業したわけではないのだが、ちまちま書くのが、ちょっと、つまらなくなっている。
丁寧な暮らしをしていない。
なので、ご紹介したくてもできないのが現状だ。
女性からの好感度が高くないのも、そのせいもあるのかも知れない。
考えることといったら、腹黒だし。
いま、小説の書き方をあれこれご指導してくださる先生がいて、
ちょっとした小説のルールを学べば、300枚ぐらいはすぐ書ける、とのこと。
でも、やはり小説を書く気は、しない。もちろん、能力の問題が先だが。
自称・小説家なんて、恥ずかしすぎる以前に、痛すぎる。
ケータイには、撮りためた写真がいっぱいあるが、ちっとも、まったくアップしてない。
以前なら、嬉々として、「こんなお店で、こんなの食べました」と、ひとつひとつアップしていたことだろう。
ちょっと、ある思いがあって、ブログへのキー入力の指が、非常に重くなっている。
その思いをブログに書けないところが、わたしの、ずしんとした重さの原因になっている。
どうして吐露できないのか、その理由も書きたいところだが、これまた、ある事情があって書けない。
あれもこれも、制限なく、ぱーっと吐き出せたら、どれだけスッキリするか・・・
ブログだけならいいが、リアルなわたしも存在していて、ブログとリンクしている。
制限があるということは、社会で生きていく中では避けて通れないルールだ。
自由自在に書けると喜んでいたブログにも、制限があるとは、予想外だった。
といっても自己規制のルールなので、ルールなんて、あって、ないようなものだが。
いかなるものからも開放されるのは、死ぬときだ。
この蝶ブログは、わたしの生まれて初めてのブログなので、
どういう風にしたらいいのか、試行錯誤の連続だった。
自分だけが満足できればそれでよかったのだが、だんだん、訪問人数やらランキングやらが気になり、
本来の目的から逸れている。
わたしは、それに振り回される凡人さゆえ、執着みたいなものが出てきて自分の首を絞めている。
思ったことをなんでもかんでも書きすぎていて、
その書いたもの(あまりにもしょーもない、つぶやき)に、自分自身が苦しめられる。
わたしは本来、自分のことを人に知って欲しくない性分なのだ。
日陰でひっそり、にやにや、にこにこしていたい。
なのに、こんなにべらべらホンネばかりを綴って、ふと気付くと、自分の毒気にあてられている。
ホンネはこころの中だけでつぶやいて、日のあたるところでは、建前で行かないと、
こころと社会性のバランスが失われる。
とあるブロガーさんのように、わたしもブログタイトルをころっと変えたい心境だ。