蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

夜の暗さ

2012-03-29 | ブログ

夜、書く文章と、朝に書く文章は違うと、よく言われる。

本日、アップの記事は、翌朝は早く出かけないといけないので、夜のうちに入力したものだ。


わたしは、昨日の記事あたりで、読む人に、少なからず不快感を引き起こさせたことだろう。
多くの人から共鳴、賛同していただける内容は、わたしには書けない。

そもそも、いつも同じような内容に偏ったブログなんて面白くない。


そういえば、あることを思い出した。

わたしのブログの存在を知っているリアル知人が、何人かいる。
「教えて」と乞われて、お教えした人もいる。
彼らの顔が思い浮かび、書く内容が制限される・・・と、自分では思っていたし、実際、制限を受けた。

ところが・・・ぜんぜん、彼らは、わたしのブログなんぞ、読んでいないことが最近、判明した。
「近況を知らせてください」なんていうメールも、もらう。
ブログを読んでいない証拠だ。

ある方も、はじめの頃は、まあ読んでくれていた。
お世辞なども交えて、ブログの感想や、内容について、延々、熱っぽく話し合ったりしていた。
でも、それは最初の頃だけ。
次第に、うんざりしてくるんだろう。とても、よくわかる。
読むのが面倒くさくなってくる。
付き合い切れない気分だろう。その気持ち、わかりすぎて、胸が痛いぐらいだ。

自分本位の思い込みを延々と駄長文で訴えられても、重いし、何回も何回も、となると、読まされるほうは、そう長続きはしない。
そうなら、一切、読んでくださらないことを願う。
その人、一人だけのために、書けないこともあるんだから。
(加害者と被害者みたいに言われたら、心外だろうなあ・・・うっとうしいだろうなあ・・・)

なあんだ、読んでないんなら、気を使うことはなかった・・・

というか、ブログのことだけではなく、そのリアル知人と、別の事情もあって溝がはっきり出来たことを感じた。
さびしいけれど、そんなものだ。
最初は、わーっと盛り上がるが、盛り上がりは、そんなにいつまでも続くものではない。
盛り上がりが早ければ早いほど、熱が高ければ高いほど、必ず降下する。
もっと淡々と、上がったり下がったりしない、同じテンションで、お付き合いするのが、いちばんいい。

しかし、接点がなくなると、とたんに温度が下がってくるようだ。

人はいつもいつも、同じ状況、特に絶好調や、ノリノリは保てないものだ。
見る見るうちに、わたしとの温度が、どんどん下がる様子を目の当たりに見ると、とても複雑な心境になる。
温度の降下は、お互い作用し合い、スパイラルにさらに下がる。

ああ、具体的に書きたいが、ひょんなことで、万が一、そのリアル知人がブログをご覧になったら・・・と思うと、書けない。
このまどろっこしさ。
どうせ、見ないだろうに・・・


また、こんなケースもある。
何度も聞かれて、乗る気がしなかったけれど、ブログを教えたとたん、コンタクトをとってこなくなったリアル知人がいる。
イヤだったんだろう、このブログ。ニオイ、ぷんぷんの。
それまで想像していた、わたしとはあまりにも違っていて、ひゅーーんと、イメージが地に落ちたんだろう。
あるいは、へんに飾りすぎる(ねじ曲がった)虚偽のニオイに、うぷっと、なったのだろう。


なので、新しく出会った人には、(前から知っている人でも)、ブログを教えないことにしている。
そのほうが、いい。絶対にいい。

 

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暗くて、眠い内容になったようだ。やはり、夜は寝たほうがいい。


落ちこぼれ

2012-03-29 | 人生

人生で、男が女と対等に渡り合える方法。
それは認めること…女のほうが秀でていることを。

こういうご意見を、ある男性が仰った。

そこで、ふと思った。
対等に渡り合うということは、ケンカしたり、トラブったり、砕け散ったり、分裂したり、別れたり、
あるいは、永遠に溝が出来たり、・・・そういう危険性もはらんでいる。

どちらかが、少し劣っていると、引っ込んだり、押したり、バランスが取れるのかも。
ただし、どちらかが常にどの分野でも一方的に、優位にあるのではなく、
分野分野によって、優劣は交替するほうがいい。
お互い、補い合うことが対等ということだろうか。


わたしは、子供の頃、本人の実力とは合わない進学校に入れられてしまったので、
へんな学力コンプレックスのカタマリがある。
で、学力不足著しく、のちに、偏差値の高い名門校には入れず、最終的には、花嫁学校卒業。
落ちこぼれ転じて、今度は、
カワイイ花嫁さんになれるよう、花嫁修業証書を手に、男女平等路線ではない結婚へと舵を切る。

時代の波は、男女平等へと動くなか、
イエ制度は崩壊したっていうのに、亡霊にとり付かれた古い価値観へと、逆行を強いられる。
世の中は、先人たちの汗と涙と努力の結果、男女平等の世界へと進む。
わたしは、子育て期間を経て、抑えられないものに突き動かされ、仕事の世界に顔を出す。
そこで、体制や組織には、男尊女卑や古い価値観もまだ根強く残っている部分も感じつつ、
それを跳ね返すだけの、能力も力量も、ノウハウも根性もなかった。
自分なりの、ほそぼそとした仕事をするが、
つくづく、本質は、オトコもオンナも関係なく、能力第一だと痛感する。
「男尊女卑だ」と涙ながらに訴えられない、そんな手は卑怯すぎて使えない、男性も女性も歯を食いしばって闘っている、
そこには厳しい仕事の現場があった。

自分の身の置き所をあっちへやったり、こっちにやったり。
次々、鞍替えした世界の、このギャップ。
どの選択も、すべて、落ちこぼれた故のシフト。
消極的選択肢。暗さ、負けが、つきまとう。


義母たちの世代は、まだマシ。
イエ制度崩壊の憂き目を嘆いていればいいだけ。
選択肢がなかったせいで、自分の実力について、真剣に考えたことはなく、
運命や宿命に身をまかせて、泣いたり悔しがったりしているだけ。
ほんとうに、裸一貫で社会の荒波で実力を競い合わされたら、どうなっていた?
案外、能力を発揮していた人もいるかも知れないが。

わたしは、進学校では、自分の学力のなさを知り、受け止め、(楽な)お嫁さんコースにコース変更し、
仕事では、自分の根性の甘さを知り、受け止め、片足オクサマコースに身を落とし、
いろんな選択肢を与えられたにもかかわらず、結局、保護される優先座席に座っているだけ。
ホームレスにはならなかったのが、幸いだが。
女性はプライドを捨てられるからか、どうかは知らないが、ホームレスにはならず、どこかに引き取ってもらう道を選ぶ。

 

たくさんのコースがあっても、結局、ものに出来なかったら、無能だってことだ。
たったひとつのコースでも、精進して頑張れば、それはそれで素晴らしい。
仕事であろうが、家庭であろうが、どの分野でも、どんなレベルでも、
そこそこ結果を出すことができたら、それでいいんじゃないかと思う。

出来ないくせに、へんに頑張ろうとしないで、身の丈にあったコースを選ぶほうが賢明だ。 

しかしながら、
わたしのポリシーは、実際にやっていることと、思っていること、現実と理想、が、バラバラだってことだ。

なので、読んでいる人から、「ええかげんにせい!! ここまで読んだのに、時間、返せ!!」と
逆鱗(げきりん)をかうシステムになっている。

あ、最初に、お断りしておくべきでしたね。ごめんなさい。

 

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