枕草子 第九十四段 五月の御精進のほど・・その1
五月の御精進のほど、職におはしますころ、塗籠の前の二間なるところを、殊にしつらひたれば、例ざまならぬも、をかし。
朔より、雨がちに曇りすぐす。
「つれづれなるを。郭公(ホトトギス)の声、たづねにいかばや」
といふを、
「われも」
「われも」
と、出で立つ。
(以下割愛)
五月のご精進の間、中宮様が職の御曹司においでであった頃、塗籠の前の二間を、特別に部屋飾りをしてあるので、いつもと様子が違っているのも、趣きがあります。
月初めから雨がちで曇天の日が続く。
「退屈だわねぇ。ほととぎすの声を探しに行きましょうよ」
と私が言いますと、
「私も」
「私も」
ということになり、そろって出発しました。
「賀茂の奥に、何とか崎とかいいましたね、織女星の渡るかささぎの橋ではなくて、感じの悪い名前が付いていましたよね。そのあたりで、ほととぎすが鳴くのよ」と誰かが言うと、
「それは、ひぐらしですよ」と言う人もいる。
「そこへ行きましょう」ということになり、五日の朝に、中宮職の役人に、牛車の手配を頼み、北の陣を通って、「五月雨の時は、車を入れても咎められない」ということで、職の御曹司の階際に車をつけさせて、四人くらいが、それに乗ってゆく。
残った女房はうらやましがって、
「いっそ、もう一台仕立てて、同じことだから連れて行って」などと言うと、
「駄目ですよ」と中宮様が仰せになるので、こちらは他の人の言葉は耳にもとめず、薄情なふりをしてさっさと出掛けていくと、馬場(ウマバ)というところで、人が大勢で騒いでいる。
「何をしているのか」とたずねると、
「駒射(ウマユミ)の演習があって、弓を射るのです。しばらくご見物なさって下さい」と供の者が言うので、車をとめました。
「左近の中将殿、お二人とも来ておられる」と人々が言っているが、そういう人も見えない。六位の役人などが、あちこちうろうろしているので、
「見たくもないことよ、さっさと行きなさい」と言って、どんどん走らせる道中も、賀茂祭の頃が思い出されて、懐かしい。
このように話している所は、明順の朝臣(中宮の伯父に当たる)の家だったのです。
「そこも、早速寄りましょう」と言って、車を寄せて降りました。
田舎風で、閑散としていて、馬の絵を描いてある衝立障子、網代屏風、三稜草の簾など、わざと古風な造りを模している。
建物の様子も簡素な風で、全体が渡り廊下のように奥行きがなく、貧弱ではあるが趣のある家で、なるほど、「うるさい」と思うほどに鳴き合っているほととぎすの声に、
「残念なことね。中宮様にお聞かせ出来ないし、あんなに来たがっていた人たちにも」と思う。
「場所が場所だから、こうしたことを見るのがいいよ」
ということで、稲というものを取り出して、若い下層の女たちの、小ざっぱりしたその辺の娘などを連れてきて、五、六人で稲こきをさせ、また見たこともないくるくる回る機具を、二人がかりでひかせて、歌をうたわせなどするのを、珍しくて楽しみました。そのため「ほととぎすの歌を詠もう」と思って来たことを忘れてしまっていました。
唐絵に描かれているような食卓を使って、ご馳走してくれたのですが、誰も見向きもしないので、家の主人の明順は、
「いかにも田舎風な料理です。けれども、こんな田舎へ来た都の人は、うっかりすると、主人が逃げ出しそうなほど、お代わりを催促して召し上がるものですよ。全然手つかずなんて、都の人らしくないですよ」などと言って、座を取り持って、
「この下蕨は、私が自分で摘んだものです」などというので、私が、
「だって、ねえ、女官なんかのように、食卓にずらっと並んででは、とても」と笑うと、(身分の低い女官は局住まいではなく、大部屋で食卓に並んで食事をしたらしい。局を持っている女房たちには気に入らなかったのでしょう)
「それなら、食卓から下ろして召しあがれ。いつものように、腹這いに慣れていらっしゃるあなた方ですから(身分の高い女房は、その服装からも、気楽にしている時は腹這いに近い姿勢だったらしい)」などと、あれこれ食事の世話で騒いでいるうちに、供の者が、「雨が降ってきました」と言うので、私たちは急いで車に乗ろうとしましたが、その時女房の一人が、
「ところで、肝心のほととぎすの歌は、ここで詠まなくてはね」と言うので、私は、
「それもそうだけれど、帰り道ででも詠めるわ」などと言って、皆車に乗ってしまいました。
花が、みごとに咲いているのを折って、車の簾や脇などに差し、それでもまだ余るので、車の屋根や棟などに、長い枝を屋根を葺いたように挿したので、まるで「卯の花の垣根を牛にひかせているのか」といった風に見えました。
供をしている男たちも、大笑いしながら、「ここがまだだ」「ここがまだだ」と、皆で挿し合っているのです。
「誰かしかるべき人に出会いたい」と思うのですが、いっこうに会えず、身分の低い法師や、下層の者だけが、たまに出会うくらいなのが、とても残念で、御所近くまで来てしまったけれど、
「いくら何でも、このままで終わらせるような風情ではないですよ。誰かに噂を広めさせずにはおかれませんよ」と言うことで、一条殿のあたりに車を止めて、
「侍従殿はおいでになりますか。ほととぎすの声を聞いて、今帰るところでございます」と言わせに行かせた使いが帰ってきて、
「『すぐに参ります。どうかしばらくお待ちください』とおっしゃっておいでです。侍所に裸でいらっしゃいましたが、慌てて起きて、指貫をお召しでした」と言う。
(以下は、その2に続く)
五月の御精進のほど、職におはしますころ、塗籠の前の二間なるところを、殊にしつらひたれば、例ざまならぬも、をかし。
朔より、雨がちに曇りすぐす。
「つれづれなるを。郭公(ホトトギス)の声、たづねにいかばや」
といふを、
「われも」
「われも」
と、出で立つ。
(以下割愛)
五月のご精進の間、中宮様が職の御曹司においでであった頃、塗籠の前の二間を、特別に部屋飾りをしてあるので、いつもと様子が違っているのも、趣きがあります。
月初めから雨がちで曇天の日が続く。
「退屈だわねぇ。ほととぎすの声を探しに行きましょうよ」
と私が言いますと、
「私も」
「私も」
ということになり、そろって出発しました。
「賀茂の奥に、何とか崎とかいいましたね、織女星の渡るかささぎの橋ではなくて、感じの悪い名前が付いていましたよね。そのあたりで、ほととぎすが鳴くのよ」と誰かが言うと、
「それは、ひぐらしですよ」と言う人もいる。
「そこへ行きましょう」ということになり、五日の朝に、中宮職の役人に、牛車の手配を頼み、北の陣を通って、「五月雨の時は、車を入れても咎められない」ということで、職の御曹司の階際に車をつけさせて、四人くらいが、それに乗ってゆく。
残った女房はうらやましがって、
「いっそ、もう一台仕立てて、同じことだから連れて行って」などと言うと、
「駄目ですよ」と中宮様が仰せになるので、こちらは他の人の言葉は耳にもとめず、薄情なふりをしてさっさと出掛けていくと、馬場(ウマバ)というところで、人が大勢で騒いでいる。
「何をしているのか」とたずねると、
「駒射(ウマユミ)の演習があって、弓を射るのです。しばらくご見物なさって下さい」と供の者が言うので、車をとめました。
「左近の中将殿、お二人とも来ておられる」と人々が言っているが、そういう人も見えない。六位の役人などが、あちこちうろうろしているので、
「見たくもないことよ、さっさと行きなさい」と言って、どんどん走らせる道中も、賀茂祭の頃が思い出されて、懐かしい。
このように話している所は、明順の朝臣(中宮の伯父に当たる)の家だったのです。
「そこも、早速寄りましょう」と言って、車を寄せて降りました。
田舎風で、閑散としていて、馬の絵を描いてある衝立障子、網代屏風、三稜草の簾など、わざと古風な造りを模している。
建物の様子も簡素な風で、全体が渡り廊下のように奥行きがなく、貧弱ではあるが趣のある家で、なるほど、「うるさい」と思うほどに鳴き合っているほととぎすの声に、
「残念なことね。中宮様にお聞かせ出来ないし、あんなに来たがっていた人たちにも」と思う。
「場所が場所だから、こうしたことを見るのがいいよ」
ということで、稲というものを取り出して、若い下層の女たちの、小ざっぱりしたその辺の娘などを連れてきて、五、六人で稲こきをさせ、また見たこともないくるくる回る機具を、二人がかりでひかせて、歌をうたわせなどするのを、珍しくて楽しみました。そのため「ほととぎすの歌を詠もう」と思って来たことを忘れてしまっていました。
唐絵に描かれているような食卓を使って、ご馳走してくれたのですが、誰も見向きもしないので、家の主人の明順は、
「いかにも田舎風な料理です。けれども、こんな田舎へ来た都の人は、うっかりすると、主人が逃げ出しそうなほど、お代わりを催促して召し上がるものですよ。全然手つかずなんて、都の人らしくないですよ」などと言って、座を取り持って、
「この下蕨は、私が自分で摘んだものです」などというので、私が、
「だって、ねえ、女官なんかのように、食卓にずらっと並んででは、とても」と笑うと、(身分の低い女官は局住まいではなく、大部屋で食卓に並んで食事をしたらしい。局を持っている女房たちには気に入らなかったのでしょう)
「それなら、食卓から下ろして召しあがれ。いつものように、腹這いに慣れていらっしゃるあなた方ですから(身分の高い女房は、その服装からも、気楽にしている時は腹這いに近い姿勢だったらしい)」などと、あれこれ食事の世話で騒いでいるうちに、供の者が、「雨が降ってきました」と言うので、私たちは急いで車に乗ろうとしましたが、その時女房の一人が、
「ところで、肝心のほととぎすの歌は、ここで詠まなくてはね」と言うので、私は、
「それもそうだけれど、帰り道ででも詠めるわ」などと言って、皆車に乗ってしまいました。
花が、みごとに咲いているのを折って、車の簾や脇などに差し、それでもまだ余るので、車の屋根や棟などに、長い枝を屋根を葺いたように挿したので、まるで「卯の花の垣根を牛にひかせているのか」といった風に見えました。
供をしている男たちも、大笑いしながら、「ここがまだだ」「ここがまだだ」と、皆で挿し合っているのです。
「誰かしかるべき人に出会いたい」と思うのですが、いっこうに会えず、身分の低い法師や、下層の者だけが、たまに出会うくらいなのが、とても残念で、御所近くまで来てしまったけれど、
「いくら何でも、このままで終わらせるような風情ではないですよ。誰かに噂を広めさせずにはおかれませんよ」と言うことで、一条殿のあたりに車を止めて、
「侍従殿はおいでになりますか。ほととぎすの声を聞いて、今帰るところでございます」と言わせに行かせた使いが帰ってきて、
「『すぐに参ります。どうかしばらくお待ちください』とおっしゃっておいでです。侍所に裸でいらっしゃいましたが、慌てて起きて、指貫をお召しでした」と言う。
(以下は、その2に続く)