『 長命の所以 ・ 今昔物語 ( 10 - 12 ) 』
今は昔、
震旦に荘子(ソウジ)という人がいた。賢明で知識が豊富である。
その人が道を歩いていたが、ある杣山(ソマヤマ・植林された山。)に通りかかった。すると、その山の多くの木の中に、曲って歪んでいる木があるのが目に付いた。かなりの老木である。
荘子はこの木を見て、杣人に「この木が、これほど老木になるまで伐られずに生きているのはどういうわけか」と訊ねた。
杣人は、「私たちは、真っ直ぐの良い木を選んで伐りますので、この木は歪み曲っていますので役に立たたず、材木にも適していないので、このように長年そのままになっています」と答えた。
荘子は、「なるほど」と聞いて、通り過ぎた。
また別の日に、荘子は知人の家を訪ねたが、家の主人はご馳走を準備して食べさせた。
まず、酒を飲もうとしたが肴がなかったので、家の主人は、その家に雁二羽を飼っていたので、「その雁一羽を殺して、御肴にしなさい」と命じると、その雁を預かって飼っている人は、「良く鳴く雁を殺すべきでしょうか。それとも、鳴かない雁を殺すべきでしょうか」と尋ねた。家の主人は、「良く鳴くのは生かしておいて鳴かしなさい。鳴かないのを殺して御肴にしなさい」と答えた。
主人の言葉に従って、鳴かない雁を殺して調理して、御肴とした。
その時、荘子は、「昨日の杣山の木は、役に立たないので命を保っている。今日のこの家の主人の雁は、才能がある故に命を保っている。これを以て考えられることは、賢い者も愚かな者も、命を保つことは賢愚によるものではなく、ただ、自然とそうなるものなのだ。されば、『才能があれば死ななくてすむぞ。役に立たなければ死ぬぞ』と定められているものではない。役に立たない木も長命であり、一方で、役に立たない雁もたちまちに死ぬ。これを以て、様々な出来事を知るべきである」と言った。
これは荘子の言葉だ、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます