『 その頼通が、欠けることのない絶頂期を続けている中で、その先に見据えているものがあったとすれば、それは何であったのだろう。』
「 この世をばわが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば 」
よく知られたこの歌は、道長が詠んだものとされる。権力の絶頂期にあることを見事にまで表した和歌とはいえようが、いかにも傲慢で無神経な感がある。
この和歌が詠まれたのは、道長が頼通に摂政を譲った翌年のことで、三女が後一条天皇の中宮に上ったことを祝う道長邸での宴席で、即興に詠んだものと伝えられている。ただ、道長が書き残した「御堂関白記」にはこの和歌の記載はなく、祝宴に加わっていた藤原実資が書き残した「小右記」に記載されていることから後世に伝わったのである。
藤原実資は、従一位右大臣にまで上った貴族であるが、道長に対して批判的な人物だったようなので、この和歌を書き残したことに若干の悪意が感じられる。まったく個人的な意見であるが。
あるいは、道長が書き残していないのは、さすがに少々調子に乗り過ぎたと考えたためかもしれない。
いずれにしても、当時道長が「欠けたるものがない」ほどの絶頂期にあったことは、決して過大な表現でなかったのである。
そして、その頃にはすでに摂政・内大臣になっていた頼通は、翌年関白に上り、以後五十年その地位を続けている。
月は満ちれば欠けるのが自然の摂理というものであるが、頼通は御堂関白家の絶頂期を保ったまま生涯のほぼすべてを貫き通しているのである。
その頼通が、欠けることのない絶頂期を続けている中で、その先に見据えているものがあったとすれば、それは何であったのだろう。
( 「運命紀行」 上り詰めた先 より )
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