雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

打てば響く ・ 小さな小さな物語 ( 1564 )

2023-02-02 15:38:13 | 小さな小さな物語 第二十七部

私は漫才が好きで、生で見る機会は久しくなくなりましたが、つい最近まではテレビ番組があればよく見ていました。
テレビで見た中では、かなり前になりますが、テレビの有名なチャンピオンを決める番組で優勝したコンビは、「漫才の神様が降りてきた」とは、あのような状態を言うのかもしれない、と思わせるほどすばらしいものでした。
ただ、最近は、少し売れ始めると、漫才以外の仕事が多くなるようで、劇場へ足を運べばそうでもないのでしょうが、テレビでは、「漫才の神様が降りてきた」と思わせるような漫才にはなかなかお目にかかれません。

ある大御所と呼ばれるような芸人のお方が、こんな話しをされていた記憶があります。
「漫才であれ、芝居であれ、もしかすれば落語などのピン芸であっても、最も大切なのは『間』だと思う。そして、その絶妙の『間』を育て生かすのは、『打てば響く』ような互いの呼吸であり、信頼だと思う」といった内容でした。うろ覚えの部分がありますので、その点はご勘弁下さい。
この、『間』とか、『打てば響く』といった対応は、何も芸事に限ったことではなく、私たちの日常生活でも重要な意味を持っているはずで、仕事の上や人間関係でも、その良否が多くの影響を与えています。

幕末をテーマにした小説やドラマなどで、よく登場する名シーンがあります。
勝海舟に勧められて西郷隆盛と会談した坂本龍馬は、どのような人物であったかと勝海舟に尋ねられると、「茫漠としてとらえどころがない。ちょうど大鐘のようだ。小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る」と答えたそうです。 
一方の西郷隆盛は、坂本龍馬について、「天下に有志は多く、自分はたいていの人物と交わっているが、度量の闊大なことは、龍馬ほどの者を未だ見たことがない」と語ったという。
なかなか含蓄のある話だと思うのです。

現代社会においては、多くの場面で、人間関係の希薄さが語られるようです。
「自分の思いがなかなか伝わらない」「彼が何を考えているか分からない」等々、職場関係や教育現場、あるいは家庭内においても、こうした声は少なくないようです。
いくら立派な鐘であっても、打たないことには音は鳴りません。それも、小さく叩けば音は小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴ることは誰でも知っているはずです。しかし、人間関係においては、その叩き具合、さらには、それによって鳴る音をどう聞き取るのか、それが大切なようです。
家庭であれ交友であれ、長い付き合いがあれば、それなりに「阿吽の呼吸」といったものは生まれてくるものです。しかし、阿吽の呼吸といったものは、どのような場面においてでも通用するものではないのです。
名人上手というほどではないとしても、大切に思う人間関係であればあるほど、適切な『間』を考え、『打てば響く』ことが出来る関心を持ち続けることが大切なように思うのです。

( 2022.08.06 )


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