雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

若い時の苦労は 買いか売りか ・ 小さな小さな物語 ( 1565 )

2023-02-02 15:37:11 | 小さな小さな物語 第二十七部

「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉は、かつては、ちょっとばかりうるさい小父さんの得意文句の一つだったようです。
さすがに、最近は余り聞かれないようですが、それでもまだまだ健在のようです。
確かに、「良いとこのボツちゃん」「苦労知らずのお嬢ちゃん」などといった言葉は、けっして褒め言葉ではなく、若い時に苦労知らずで育つと、世間知らずであったり、打たれ弱い人間になったり、人の痛みが理解できない性格になる、など、否定的な意味で使われることが多いようです。
そして、それと対を成すかのように、「若い時の苦労は買ってでもせよ」と小父さんは宣うわけです。

同じような言葉として、「艱難(カンナン)汝を玉にす」という言葉が紹介されることがあります。
なかなか威厳のある言葉で、きっと大陸あたりから渡ってきた言葉だと思っていたのですが、実は、西洋からやって来た物のようです。もちろん、この言葉そのままではなく、「困難や苦労を乗り越えることによって、初めて立派な人間に成長する」といった教えを、どなたかが、このような立派な言葉に仕上げて下さったのでしょう。
ただ、この二つの言葉を、同じような意味の言葉として紹介されていることが多いようですが、少し違うような気がするのです。どちらも、困難や苦労が人格形成によい影響を与えると教えているのでしょうが、片方は『若い時』が強調されており、他方には、それはありません。

本当に、『若い時の苦労』は買ってでも経験すべきものなのでしょうか。それとも、売り払ってしまうべきではないのでしょうか。
功成ったか否かはともかく、そこそこの年令まで人並みの生活が出来ていてこそ、「若い時の苦労は買ってでもせよ」と、イッチョ前の顔をして言えるのではないでしょうか。
実際には、『若い時の苦労』に押しつぶされて、人格形成に悪影響があったり、大変なハンディを生涯にわたって背負ってしまう人も少なくないと思えてならないのです。何かの統計に基づいての意見ではないのは申し訳ないのですが。
試練が逞しい人格を作るといった考え方は、洋の東西に存在しているのですから、おそらく真実なのでしょう。しかし、『若い時』、それもまだ幼いと言っていいような年代の過酷な試練は、人格形成に「わざわざ買いに行くほど」有用な物なのでしょうか。まだ未熟な子どもが、「苦労を売り払う」知恵などあるはずがないのですから、たとえ少しでも引き受けて軽くしてあげる社会制度が、もっともっと有効に働かなくてはならないように思うのです。

つい最近、ヤングケアラーに関するドキュメント番組を複数回見る機会がありました。
老老介護という問題も、大きな社会問題として取り上げられることがありますが、介護や育児といった本来大人が担うべき仕事の多くを、子どもたちに背負わせることは、一家庭の問題として見過ごしていいはずがありません。
「ヤングケアラー」というのはまだ新しい言葉で、法的な定義はないようですが、「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども」とされていて、18歳未満の子どもを指しているようです。
もちろん、国や地方行政として、こうした子どもや家庭に対して、いくつかの支援制度が準備されています。しかし、残念ながら、多くの対象者はその支援を受けておらず、事件化するような状態になるまで、幼いと言ってよいような子どもに重い荷物を背負わせているのです。
「若い時の苦労は買ってでもせよ」とご高説を述べるのも結構ですが、ヤングケアラーの問題は、当事者で解決を求めるのは酷であって、周囲の人の温かい目が絶対に必要なのだと思うのです。
私たちは、もう少し、自分以外の子どもたちも大切に見守る必要があるのではないでしょうか。

( 2022.08.09 )


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