雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

お盆のひとときを ・ 小さな小さな物語 ( 1566 )

2023-02-02 15:36:05 | 小さな小さな物語 第二十七部

本日8月12日は、旧暦の7月15日に当たります。地域によっては、今日をお盆とする所もあるようです。
一般的には、8月13日から8月16日の期間をお盆とする地域が多いようで、企業のお盆休みもこのあたりを中心に設定されている所が多いようです。新暦の7月15日をお盆とする地域も関東を中心にかなりあったようですが、現在はどうなのでしょうか。
今年は、昨日が「山の日」であったことから、すでにお盆休暇に入っているお方も多いようで、一部では交通渋滞も始まっていますが、折から、コロナの感染拡大が治まらない中、極端な制約が解除されたなかで、それぞれが自己判断を求められる休暇になりそうです。

お盆、正確には盂蘭盆会ということになりますが、その始まりは、西暦606年に、推古天皇が「七月十五日斉会」を行った事に遡るとも言われています。「盂蘭盆経」に基づく行事ともいわれ、仏教との関わりの深い行事であることは確かでしょうが、時期や行事の習わしなどは、地域によってかなりの差があるようです。ただ、「ご先祖の精霊を浄土からお迎えして、お盆の期間を共に過ごし、ご冥福を祈り、やがて浄土にお送りする」といった意味を持っていることは、ほぼ共通しているようです。
浄土にお送りするにあたっての「京都五山の送り火」などは大変著名ですが、厳密な意味での仏教信仰に縛られることなく、多くの人にとって、一つの大切な行事になっているのではないでしょうか。
「盆と正月が一緒に来たような」と表現されることがあるように、家事を引き受けている人にとっては、この二つは多忙な行事の代表でしょうが、お正月に比べて、お盆はやはり重たい物が共存しているようです。
特に近年は、第二次世界大戦の敗戦の日や、原爆被害などの消えることのない記録が渦巻いていて、このお盆の前後の期間は、私たちに重い記憶を見せつけられることも少なくありません。

つい先日にも、「宝塚海軍航空隊」に関する悲劇が報道されていました。
昭和19年 ( 1944 ) 8月15日、宝塚大劇場を接収して、宝塚海軍航空隊(前進組織は、滋賀海軍航空隊宝塚分遣隊)として、増加した予科練甲飛第13、14期の生徒を教育するために予科練教育航空隊として創設されたのです。
そして、昭和20年8月2日、悲劇が起こりました。
淡路島南西部に砲台を造る(?)ため、少年兵たちは現地に送られることになりましたが、すでに海上運行も安全ではなく、岡山から四国に渡り、鳴門から淡路島に渡ろうとしました。木造船の住吉丸には111人の少年兵が、すし詰め状態で乗っていたそうです。その鳴門海峡で米軍機の機銃掃射に遭い、82人が戦死しました。うち76人は、14歳から19歳くらいまでの少年兵だったそうです。
この悲劇は、秘匿され世間に知られることはありませんでしたが、終戦直前の余りにも残念な犠牲でありました。
現在は、地元有志の方などによって、鳴門海峡を見下ろす丘の上に、82の墓碑と慈母観音像が祀られて、静かに海峡を見守っているそうです。

今なお収束の兆しさえ見えないロシアによるウクライナ侵攻は、おそらく、至る所で、多くの悲劇を生み出していることでしょう。それは、ウクライナの人に限らず、戦線に送られたロシアの人にとっても同様です。1万人の戦死者や犠牲者は、果たして何万人の悲しみや恨みを膨らませているのでしょうか。
これだけ大きな犠牲を払ってまで得ようとしている物は何なんでしょうか。不可解としか言えない気もしますが、つい70余年前には、わが国も、全く同様の、あるいはそれ以上の行動を取っていたのです。国家国民挙げてです。
わが国が無謀な戦争に突入していったのには、やはり、それなりの理由があった、との意見もあります。しかし、残念ながら、そうした意見を抑えるだけの知恵はなかったということも出来ると思うのです。そして、何かとキナ臭い状況の今、私たちには、戦争を避けるだけの知恵を少しは成長させることが出来たのでしょうか。
そうしたことも含めて、私たちが伝えてきた盂蘭盆会という貴重な習慣を、宗教的な問題は横に置いて、一足先に彼の地に赴かれた人たちと、ほんのひとときでも語り合うのも良いのではないでしょうか。

( 2022 .08.12 )

 


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