『 主役の座へ ・ 望月の宴 ( 76 ) 』
さて、大殿の姫君(道長の長女彰子)は入内なさったが、帝(一条天皇)はすっかり大人びていて、何事にも分別がおありなので、姫君は入内された甲斐があられるが、帝に対してたいそう恥じらっていらっしゃる。
中宮(定子)が入内なさった頃などは、帝もたいそうお若くていらっしゃったが、これは当然のことではあるが、「御気配り、御態度など、末世の帝として並外れて御立派である」とまで世間の人は噂し、「まことに優れた主上であられる」と時の大臣、公卿も申し上げておられるのである。
故関白殿(道隆。定子の父。)の御有様は、まことに華やかで、当世風で情味溢れていて親しみやすい御方であったので、中宮のお住まいの所は、殿上人も、その御殿である細殿は心ひかれるすばらしい場所と思っていた。
帝のもとには、弘徽殿女御(公季娘・義子)、承香殿女御(顕光娘・元子)、暗部屋女御(道兼娘・尊子)などが入内なさっている。けれども、しかるべき御子たちもお生まれになっておらず、中宮だけが多くの御子(実際は二人)がいらっしゃるのである。」
この御方(彰子)は、藤壺(フジツボ・後宮五舎の一つ。史実としては、この時は、内裏の火災により、一条院を里内裏としていた。)にお住まいであるが、お部屋の飾り付けはすばらしいもので、たとえば、すばらしい玉であっても少しばかり磨いた物ではその光りは薄いもので、この御殿は光り輝いていて、女房も少々優れている程度では御前にお仕えできないように見受けられ、まことに至れり尽くせりの御装いである。
御几帳、御屏風の縁木にいたるまで、すべて蒔絵、螺鈿を施していらっしゃる。女房のお揃いの大海を描いた摺裳、織物の唐衣などは、昔から今に至るまで同じようであるが、それでいながら、どうすればこれほどすばらしく仕立てられるのかと思われる。
女御(彰子)のさりげなくお召しになっている御衣(オンゾ)の色、香りなどは、世にもすばらしい例ともなる御事である。帝からの御夜伽のお召しは引きも切らない。
吉日を選んで、御乳母(オンメノト・一条天皇の乳母。ここでは女房方の中で最高位の人、といった意味。)を始め、命婦(内侍より下位の中臈女房。)、蔵人(女蔵人を指す。命婦に次ぐ下臈女房。)、陣の吉上(キチジョウ・内裏の警護所に当直する近衛府の官人。)、衛士(エジ・衛門府に属し、雑役を担当した。)まで、贈り物を賜ったので、年老いた女官(女房の下にあって、雑務に従事する。)や刀自(トジ・御膳の下役などを勤める女官。)などに至るまで、並大抵ではないほど真剣に、女御の幸せをお祈り申し上げている。
御乳母たちにさえ、絹や綾や織物の装束などたくさん重ねて賜り、衣箱にお包みになり様々な物を添えて贈られた。
この御方にお召し使われていない人について、世間では、もったいないことだと非難し、とんでもないことだと取沙汰している。たまたまお召し使いいただいている人には、まったく幸せでうらやましいことだと思い、幸人(サイワイビト)だと世間では呼んでいる。
このように、ただ今の宮中は、華やかで喜びに溢れていたが、三条大后宮(サンジョウオオキサイノミヤ・昌子内親王。朱雀天皇の皇女で、冷泉天皇の皇后。)が十二月一日に崩御なさったので、その事をこの御所では、しみじみと悲しみに包まれていると思われる。
世の中の無常が、何につけても痛切に思い知らされる。
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