雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

憎しみは消えない ・ 今昔物語 ( 巻26-14 )

2016-02-02 11:04:00 | 今昔物語拾い読み ・ その7
          憎しみは消えない ・ 今昔物語 ( 巻26-14 )

今は昔、
陸奥の守、何某(意識的な欠字)という人がいた。また同じ頃、某々(意識的な欠字)という者がいた。
二人がまだ若い頃、某々は陸奥守が意外なことに自分をたいそう憎んでいることがあったのを知らずに仕えていたが、陸奥守もこの男をこの上ないほどに厚遇したので、嬉しく思っていた。
陸奥の国では、厩の別当(責任者)を第一の側近とするのが習わしであったが、京にいる間はそのようなことは決めていなかったが、新しい馬を手に入れると、自然にこの男に世話をさせたり、厩の別当に就かせるかのように扱ったので、周りの人は、「この人こそ、第一の側近に違いない」と思って、下人たちも多くがこの男に付き従っていた。

さて、陸奥守はこの男を伴って、陸奥国に下ったが、京を出てからずっとこの男以外には何の相談事も持ち掛けないので、男は道中多くの家来にまで命令し、得意満面であったのも無理がなかった。
このように、肩を並べる者もいない状態で下って行ったが、やがて陸奥国の国境に着いた。そこは、昔は白河の関という所で、陸奥守がその関所に入る時は、供の名を書き上げ、それに従って順に関所内に入れ、入れ終ると木戸を閉じることになっていた。
そういうことで、陸奥守は供の名簿を目代(モクダイ・代官)に提出して、自分は関所内に入っていった。この男は、「こういう指図も、自分にさせるだろう」と思っていたところ、どうもそうではないらしく、関守たちがずらりと並んで、「何々殿の一党の者入れ、次に何々殿の一党の者入れ」と呼び出すと、この男以外の家来とその従者が順に入って行った。「まず最初に自分が呼ばれるだろう」と思っていたが、四、五人まで別の者が呼ばれたので、「自分を尻巻(シリマキ・最後の締め括り。しんがり)に入れるだろう」と思って、自分の従者たちを率いて待っていた。
「皆が入り終わった後で、自分たちが入るのだ」と思っていると、木戸を素早く締めると、関守たちはこの男主従を置き去りにして入ってしまったので、唖然として言葉もなく、今更引き返すとしても、都を霞と共に出立したが、すでに秋風の吹く頃になっている。たとえすげなくされても、陸奥国にしばらくでも置いてくれればよいものを、この男主従は関の外に締め出されてしまった。

こうなると、この男の従者たちは、「我らはこのような人の従者になったばかりに、こんな目に合ってしまった」と、ののしりながら主人を棄てて去っていってしまった。
それでも、去りがたい従者も四、五人いて、「いずれにせよ、これから行こうとされている所までお送りしたうえで、我らはお暇するつもりです」と言って、各々泣き言を言い合っていた。

主人である取り残された男はと見ると、これもどうすれば良いか分からぬままに、近くの底が白砂で浅い小川が流れている所に降り立ち、鞭の先で水の底の白砂をあちらこちらとかき混ぜていると、鞭の先に黄色い物が見えた。
「何だろう」と思って掻き回すと、それは丸い形をしていて、鞭がその周りを廻ったので、そっと砂を掻き除けて、興味深げに見てみると、小さな瓶の口であった。
「瓶だったのか。人の骨でも入れて埋めたのか」と気味悪く思ったが、思い切ってこじ開けて瓶の中を見ると、黄金を瓶一杯に入れて埋めてあったのである。

男は、放り出されたという侘しい気持ちもとたんに消えて、「陸奥の国に無事下り着いて、道中と同じように重用され、任期の間勤め上げても、黄金をこれほど手にすることなど出来まい」と思い、近くにいる従者たちに見つからないように体で隠しながら、この瓶をそっと抜き出し、とても重いのを我慢して懐に入れて、着物の袖を引きちぎり、それで腹に結わえ付けてから従者たちの所に歩み寄った。
「あの陸奥守の奴めが我をこんな目に遭わせたからといって、むざむざ此処に屍をさらすわけにはゆかぬ。越後守は長年親しくさせていただいている人である。いま、任国にいらっしゃるので、その越後へ行こう」と言うと、四、五人残っていた従者たちは、「それもどうしたものかなあ」という者があり、「どうということではありません。その越後においでなさいませ」という者もいる。
従者たちの意見は様々であったが、かまわずどんどん進んで行くと、従者たちも渋々ながら遅れがちについて行き、その夜は近くに宿を取った。
あの小さな瓶は、皮子(カワゴ・皮製の行李)の底深くにしまっておいた。

さて、こうして行くうちに、日数を重ねて越後国の館に行き着いた。
「こういう者が参りました」と取り次がせると、中に呼び入れて越後守が出てきて、「陸奥国へ行ったはずだが、思いがけないことに、どうして此処に来たのか」と尋ねた。男は、「そのことでございます。国司は京で名簿を書き上げ、連れて下るまいと思う者は、その名簿から除くので、それを見て都に居残るのが普通のやり方です。それなのに、この度は、京を出てからの道中ずっと万事につけ相談を受けていたので、「よくして頂いている」と思っていたのですが、陸奥守は内心では私に毒を含んでいて、白河の関で外に締め出されてしまいました。その為どうすることも出来ず、あなた様を頼りにして、やっとの思いで参ったのでございます」と答えた。

越後守は、「それはまことに気の毒なことであったなあ。陸奥守殿はそなたにとって前世からの敵なのでしょうな。それにしても、そなたがそんな目に遭ったの気の毒ではあるが、私にとっても当てが外れてしまったよ」と言った。男が「どういう事でしょう」と尋ねると、「私には長年の宿願があって、丈六(一丈六尺)の阿弥陀仏をお造りし始めているのだが、そなたが陸奥守の第一の側近として下ると聞いたので、仏像に使う金箔を頼むことが出来ると当てにしていたのだ。しかし、そのようなわけで此処に来たのだから、もはやどうにもなるまい」と答えた。
「黄金は、どれほどご入用なのですか」と男は尋ねた。越後守は、生意気なことを聞くものだ、と思いながらも、「七、八十両はいるだろう、と聞いている」と答えた。
「そのぐらいなら、陸奥国まで参らなくとも、何とかできるでしょう」と男が答えると、越後守は驚いて、「人の願いは、おのずから叶えられるものかな」と言うと、すぐに住居を与え、食べ物、馬の餌などに至るまで与え、十分にもてなしたので、それまで渋々ついてきていた従者たちは、思い直して、精出して仕えるようになった。
そして、男は部屋に帰り、皮子を開いて、小さな瓶の口をこじ開け、黄金百両を取り出して持って行き、越後守に献上すると、大変に喜び、言いようもないほどにもてなしたので、陸奥国にいるより遥かに善い目にあった。

やがて、越後守は陸奥守より前に任期が終わり、大金持ちとなったこの男は越後守の供をして京に上った。
京においてもたいそうな黄金を持っているので悠々と暮らしているうちに、内舎人(ウドネリ・宮中の雑役、行幸の警備などにあたる)になった。
その後も朝廷に仕えていたが、御代が替わって、不破の関の役人(役名は欠字になっている)となって、この関に下り警固にあたっていた。
たまたまその折に、かの陸奥守が中上(ナカノボリ・国守が任期中に一度上京すること)ということで、奥方や娘などを連れて上京していて、男が警固している所に来かかり、「そなたは、私などではなく、朝廷にお仕えすべき者であったのだな」と言って通ろうとしたが、通すはずがなかった。
通ろうとしても通さず、引き返そうとしても引き返させない。いろいろ難癖をつけ、関所内に留めて嫌がらせをしたので、陸奥守は朝廷に訴えたが、すぐに沙汰もなく、そのうち供の雑役夫たちは逃げ出してしまった。馬なども飢え死にしてしまい、十分に恥をかかせてしまったのである。

されば、人に対しては、あまり憎しみを抱いてはならないということである。また、仏神の加護があったのだろうか、思いかけず黄金を見つけたことで、この男は豊かになったのである。それは、前世の福報によるものであろう、
となむ語り伝へたるとや。

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