「お殿さんの花や」と云って燈籠とも呼ぶ木製の吊り燈籠に飾った奈良市別所町の極楽寺。
それは家型の吊り燈籠。
両側に丸と月の形が抜いてある。
抜き穴の大きさは異なるが同じような形の吊り燈籠を見たことがある。
思い出したのは川上村の高原。
法悦祭の営みを終えた後は祭文踊りなどの盆踊り。
踊り子たちが集まる薬師堂に吊るされていたのであった。
この日の別所町では神事と寺行事が行われる。
始めに祭典されたのは六社権現を祀る金刀比羅神社の月次祭だ。
毎月の月初めの日に行われている。
例月であれば1日であるがこの日は2日。
お寺行事の「二日酒」に合わせて2日に行われている。
集まった村の男性たちは12人。
村神主が登場すれば社務所から手渡しで神饌を献じる。
拝殿に登った氏子たち。
六社権現のマツリの当家らも登壇して祓えの儀式。
いつもの月次祭のお勤めである。
普段着で参拝する姿や献饌など別所はヒグラシ蝉が鳴く。
ゆったりとした空間に包まれる。
極楽寺の蔵には二枚の棟札が残されている。
一枚は「奉修造 六社権現宮國家安全五穀成就村中繁栄如意所 満足 (右)聖主天中天 迦陵類伽肇 大梵天王 辯財天女宮 (左)哀怒衆生者 我等今敬禮 帝釈天王 金剛童子宮 元治二丑年(1865)四月六日 (右下)神野寺法印快寶 極楽寺□居照圓 神主 庄右衛門 長右衛門」とある。
裏面には「當寺極楽寺畄主居照圓 庄屋當邑中岡利兵衛 年寄重三良 年預新六烝 善五良武助」 大工棟梁新之烝 喜蔵 喜七 松吉」である。
棟札はもう一枚ある。
「奉遷宮 六社権現宮國家安全五穀成就村中繁栄 祈所 (右)聖主天中天 迦陵類伽肇 大梵天王 辯財天女宮 (左)哀怒衆生者 我等今敬禮 帝釈天王 金剛童子宮 (右下)大阿闍梨憲達 神主儀右衛門 善右衛門」だ。
裏面には「弘化二巳年(1845)九月十四日 年寄重三郎 年預新七 善□ 新兵衛 善四郎 大工上津村栄三郎 菅生村□□ □□門」であった。
かつては真言宗豊山派だった極楽寺。
僧侶名と神主名が連名で記されていることから神仏混合による造宮行事が行われていた。
四国のコンピラサンを祀ったのは後年のことだと話す。
(H24. 8. 5 EOS40D撮影)
それは家型の吊り燈籠。
両側に丸と月の形が抜いてある。
抜き穴の大きさは異なるが同じような形の吊り燈籠を見たことがある。
思い出したのは川上村の高原。
法悦祭の営みを終えた後は祭文踊りなどの盆踊り。
踊り子たちが集まる薬師堂に吊るされていたのであった。
この日の別所町では神事と寺行事が行われる。
始めに祭典されたのは六社権現を祀る金刀比羅神社の月次祭だ。
毎月の月初めの日に行われている。
例月であれば1日であるがこの日は2日。
お寺行事の「二日酒」に合わせて2日に行われている。
集まった村の男性たちは12人。
村神主が登場すれば社務所から手渡しで神饌を献じる。
拝殿に登った氏子たち。
六社権現のマツリの当家らも登壇して祓えの儀式。
いつもの月次祭のお勤めである。
普段着で参拝する姿や献饌など別所はヒグラシ蝉が鳴く。
ゆったりとした空間に包まれる。
極楽寺の蔵には二枚の棟札が残されている。
一枚は「奉修造 六社権現宮國家安全五穀成就村中繁栄如意所 満足 (右)聖主天中天 迦陵類伽肇 大梵天王 辯財天女宮 (左)哀怒衆生者 我等今敬禮 帝釈天王 金剛童子宮 元治二丑年(1865)四月六日 (右下)神野寺法印快寶 極楽寺□居照圓 神主 庄右衛門 長右衛門」とある。
裏面には「當寺極楽寺畄主居照圓 庄屋當邑中岡利兵衛 年寄重三良 年預新六烝 善五良武助」 大工棟梁新之烝 喜蔵 喜七 松吉」である。
棟札はもう一枚ある。
「奉遷宮 六社権現宮國家安全五穀成就村中繁栄 祈所 (右)聖主天中天 迦陵類伽肇 大梵天王 辯財天女宮 (左)哀怒衆生者 我等今敬禮 帝釈天王 金剛童子宮 (右下)大阿闍梨憲達 神主儀右衛門 善右衛門」だ。
裏面には「弘化二巳年(1845)九月十四日 年寄重三郎 年預新七 善□ 新兵衛 善四郎 大工上津村栄三郎 菅生村□□ □□門」であった。
かつては真言宗豊山派だった極楽寺。
僧侶名と神主名が連名で記されていることから神仏混合による造宮行事が行われていた。
四国のコンピラサンを祀ったのは後年のことだと話す。
(H24. 8. 5 EOS40D撮影)