7日は墓掃除。
県内東部の山間部ではいずこもそうだが、昨今は集まりやすい日曜日に移すことも珍しくない。
山添村の菅生では5日にされていた。
奇麗になった墓地に参る人々。
朝早くから参った人が供えていった御供。
洗い米や薄切りしたキュウリ、ナス、カボチャも供える。
供えているのは一枚のカキの葉。
表面に置いている。
傍には線香もある。
太い竹に花飾り。
竹は花立てだというから毎年作り替える家もある。
先祖さんに供えた御供にシキビとお花。
実家に戻った人はお寺の墓に参って先祖供養。
次から次へとやってくる。
新盆を迎えた親戚筋もおられたのであろう。
墓参りは午前中に済ませんという。
参るお寺は無住寺の蓮照院。
嘉永七年(1854)の頃は観音寺の末寺であったようだ。
同寺には文明十一年(1479)の建之された光背地蔵菩薩立像と大永八年(1528)建之の光背地蔵菩薩立像がある。
山添村の文化財に指定されている地蔵立像だ。
そこにもカキの葉に乗せた御供と花飾りをしている。
村人の心遣いであろう。
菅生には四つのお寺があるとN氏は話す。
一つは蓮照院で、他にはニシナンサン(西南寺)、ナカナンジ(中南寺)、シモンドだ。
シモンドは村の下の入り口付近に祀られているから下の堂を書いてシモンドと呼ぶ。
そこには立て札があった。
時代的には室町期前半の舟形光背をもつ地蔵菩薩立像。
ギザギザの髪際線が鋸歯状とする特徴をもつ「被帽地蔵」だそうだが、お堂の扉が閉まっているので拝見できない。
それぞれの地区ごとにあるお寺やお堂に参る各垣内の人。
大垣内に氏神さんを祀る十二社神社にもお寺があったそうだ。
それを移したのがどうやら蓮照院のようだ。
各垣内の墓参りは14日にするというから蓮照院に供えていたのは新盆の親戚筋であろう。
(H24. 8.13 EOS40D撮影)
県内東部の山間部ではいずこもそうだが、昨今は集まりやすい日曜日に移すことも珍しくない。
山添村の菅生では5日にされていた。
奇麗になった墓地に参る人々。
朝早くから参った人が供えていった御供。
洗い米や薄切りしたキュウリ、ナス、カボチャも供える。
供えているのは一枚のカキの葉。
表面に置いている。
傍には線香もある。
太い竹に花飾り。
竹は花立てだというから毎年作り替える家もある。
先祖さんに供えた御供にシキビとお花。
実家に戻った人はお寺の墓に参って先祖供養。
次から次へとやってくる。
新盆を迎えた親戚筋もおられたのであろう。
墓参りは午前中に済ませんという。
参るお寺は無住寺の蓮照院。
嘉永七年(1854)の頃は観音寺の末寺であったようだ。
同寺には文明十一年(1479)の建之された光背地蔵菩薩立像と大永八年(1528)建之の光背地蔵菩薩立像がある。
山添村の文化財に指定されている地蔵立像だ。
そこにもカキの葉に乗せた御供と花飾りをしている。
村人の心遣いであろう。
菅生には四つのお寺があるとN氏は話す。
一つは蓮照院で、他にはニシナンサン(西南寺)、ナカナンジ(中南寺)、シモンドだ。
シモンドは村の下の入り口付近に祀られているから下の堂を書いてシモンドと呼ぶ。
そこには立て札があった。
時代的には室町期前半の舟形光背をもつ地蔵菩薩立像。
ギザギザの髪際線が鋸歯状とする特徴をもつ「被帽地蔵」だそうだが、お堂の扉が閉まっているので拝見できない。
それぞれの地区ごとにあるお寺やお堂に参る各垣内の人。
大垣内に氏神さんを祀る十二社神社にもお寺があったそうだ。
それを移したのがどうやら蓮照院のようだ。
各垣内の墓参りは14日にするというから蓮照院に供えていたのは新盆の親戚筋であろう。
(H24. 8.13 EOS40D撮影)