マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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白土子供の念仏講の大回り

2012年10月25日 06時44分43秒 | 大和郡山市へ
14日は集落内で行われる毎日の念仏講に加えて集落外へ向かう大外回りも行われる白土町の子供の念仏講。

行程が大幅に増えることから、前日までの出発時間を30分繰り上げて16時半とした。

いつもの通りに浄福寺の門下と本堂前で行ったあとは千束に向かう。

まあまあ距離はあるが、自転車を漕ぐ速度に徒歩では追いつかない。

この年も自転車に跨って追っかけていく。

その間に目に入った地蔵尊と思われる石仏にお供えがあった。

お盆の真っ盛りの今日に供えられたのであろうか。

ドロイモの葉の上にあるのはウリ、ナスビ、ブドウにササゲの豆だ。

丁寧に一膳の箸も添えてあるからムエンサンであるかも知れない。

そういったムエンサンのお供えは新仏の家でも祀られていた。



隣町の石川町の境界になる千束の街道筋は古来の中ツ道。

後世に橘街道と名を替えた街道は、今でも地元の人たちがそう呼ぶ千束の地の街道である。

そこでは南端の辻の橋辺りで太鼓と鉦を叩く。

そこから北に向かって千束のN家の敷地内に移動する。

ここも講中である。

何故にここで行われているのか判らないと云うN家の婦人。

太鼓打ち、鉦叩きは2度行われる。

この年はさらに北上した。

新仏の家に参るのだ。

忙しく駆けずり回る子供たちは一気に終えて橘街道を南下した。

三叉路の信号がある地にはかつて祠があった。

道路を拡張した際に消滅したことからそこでは太鼓も鉦も打たずに通り抜ける。

さらに南下してツチンドと呼ばれる辻堂橋の傍らに祀られている地蔵さんに向かって打ち鳴らす。方角は東を向いていた。

そこから西に向かう。

白土池の堤防を抜けて堤防下で鉦を叩く。

そこは池の取水口にあたる。

その昔、池で亡くなった人を弔うのだという。

もう少し西に向けて行けば田んぼの境目。

そこは牛の弔い地だという牛塚。

かつて、そこで牛を飼っていた。

その牛が亡くなったので弔いの鉦を叩くという。

そこからは集落に向けて北に向かう。

南の辻である。

旧仲家の墓に向かって鉦を叩く。

集落を抜けて北の端のフダワの辻で叩く。

戻って地区の墓地のセセンボで叩く。

そして集落の中央の辻。

旧仲家の玄関先とされる地だ。

それぞれの地で太鼓と鉦を打ち鳴らす。

その間、新仏の家の鉦叩きもあることから効率よくコースを決めて大回りをしてきた。

集落内の新仏の2軒でタナ念仏。

休憩もせずに一挙に2度の太鼓打ち、鉦叩きを行った。

最後に出発地の浄福寺境内に戻ってお勤めを終える。

およそ2時間もかかる大外回りでは急ぎ足でのお勤めである。

7日から連日行われてきた太鼓打ちと鉦叩きの念仏は14日に幕を閉じた。

3カ年に亘る白土町の念仏講調査も同時に終えたのであった。

(H24. 8.14 SB932SH撮影)